悪魔憑きの世界矯正~昏睡状態から目覚めたら堕天使が取り憑いていました~

原子羊

第1話 揺り戻し

 ――ムー大陸は実在した。


 否定されてきた伝説は、真実となった。

 歴史が変わる瞬間が、ひっくり返る瞬間がそこにはあった。

 電車に揺られて車窓を眺めていれば、目の前には先端技術研究所がある。半世紀前に発見された魔法というエネルギーの活用についての研究が進んでいる。しかしながら、未だ未解明領域が大きい。

 しかし、広く生活に浸透しているのは事実。

 その一例が、駅の改札である。

 改札を素通りする技術は、身体に流れる魔力を扱って検知しているそうだ。だからICカードの寿命は短かったといえる。

 そして、岩戸宗次郎は、改札に引っ掛かった。

 

 「うげ……」

 

 手元にあるスマートフォンの充電が無くなっていた。宗次郎は露骨に嫌な顔をした。地味な黒髪は癖っ毛が目立ち、黒い瞳にほのかに赤い光の筋が混ざっている。とはいえ、誰の目にも止まらない地味な青年だった。

 宗次郎は後方に小さく頭を下げて、列を逸れる。駅員の窓口へ行くと、にこやかな人がこちらを見てくる。

 

 「どうされました?」

 

 「スマホが充電切れみたいで。お金払うので通してもらえませんか」

 

 身分証を同時に提示すると、駅員の表情が曇った。

 

 ――旧人類証明

 

 即ち――魔力がなく魔法が使えない者。事情を説明するのも億劫なので、先手を打って見せるようにしている。

 

 「なるほど。わかりました。どちらの駅で乗車になりましたか?」

 

 制度が整っていない現在、魔力無しの旧人類は劣等だと非難されがち。昔は結核などの不治の病気の人もこうやって忌避されてきたようだし、どの時代でも必ず通る道ということらしい。なんにせよ宗次郎にできることは無い。声を上げても、小さな声はかき消される。

 

 「ちょっと高くなりますが良いですか?」

 

 「大丈夫です」

 

 結果、無事に改札を通ることが出来た。ただ、手数料と言われて割り増しだったが。

 

 「へえ、旧人類は珍しいな。博物館にしかいないと思ってた」

 

 「きっちり多めに払いましたよ。頭まで古いんでしょうね」

 

 「そんな言い方するな。神の祝福から溢れる奴は必ずいる。これは自然の摂理だ。ああいう奴は仕方が無いんだよ。天に見放された、愚かで憐れな連中だぜ」

 

 「先輩の言い方の方が酷くないですか?」

 

 「そうか?ハハッ」

 

 新大陸と共に地球へ渡来した魔法という力は、生物学の根底から文明そのものを塗り替えた。旧人類が生まれるほどに。

 しかし駅員同士の会話が耳に入ることは無く、宗次郎はそのまま目の前の高校へと足を踏み入れる。

 しかし会話は聞かれていた。


 「すみません。ちょっと」

 

 困り顔でやってきた女に、彼らは思わず面食らった。異国の銀髪を靡かせた女は、瞳に真紅を零しており、見る者全てがその容貌に目を奪われる。後ろ姿ですら、目線が動いてしまうほどに。


 「は、はい。いかがなさいましたか?」

 

 彼女の瞳の赤色が、幽かな光を帯びた。


 「先刻の旧人類証明――憶えていますか?」

 

 支援クラスなんて作ってしまえば、それは宗次郎たった一人になる。そのため、旧人類に対する高校からの配慮は殆どなく、むしろ生徒の思いやりを信頼しているせいか全く役に立たない。

 

 「岩戸君、なんか朝から疲れてない?」

 

 隣の席に座っている葉月美香は、宗次郎のやや暗い顔を覗き込んで言った。学級委員を務めており、進学先は日本最難関の国連士官学校が決まっている。

 

 「そうかな?いつも通りだと思うけど」

 

 「おいおい。これから卒業式だぞ?大丈夫かよ」

 

 すると、宗次郎の肩を組んでくる男が一人。親友の石井将吾は、生徒会長を務めており、生徒からの人望も厚かった。そしてこちらも国連士官学校行きが決まっている。そもそも宗次郎が進学校に入学できたこと自体が運のよかったことで、学力と面接で何とか押し切った形に過ぎない。

 幸い、高校には普段通り接してくれる生徒が何人もいた。

 

 「よし。今日は卒業式だ。分かってると思うが、流石に授業とかは全くない。式の後は好きに過ごしなさい」

 

 別れを惜しんだり、写真を撮ったり、アルバムに寄せ書きをしたりといったことは、前日に済ませていた。卒業式は式典であるため、中には離別を惜んで泣く者もいる。

 肩がぶつかったため、宗次郎はすみませんと振り返った。見れば下の学年、顔や名前に覚えはない。

 

 「あ、すみません先輩。気が付きませんでした。人だと思わなくて」

 

 ケタケタと笑われて立ち去っていく。

 それに気がついたのか、美香が近寄ってきた。わざわざ友人に断りを入れて抜け出してきたので、余程心配だったみたいだ。

 

 「酷い後輩もいたもんだね。大丈夫?」

 

 「僕は慣れてるから」

 

 やや心配しすぎなところがあり、そこには宗次郎も困ってしまう。

 

 「今日でお別れになるけど、困ったことがあったらいつでも連絡してね」

 

 「あ、ありがとう。本当にありがとう」

 

 そう言ってもらえるだけでも、宗次郎には大きな支えになっていた。拙い言葉ではあったが、それでも感謝が伝わって欲しいと祈りながら、宗次郎は深く頭を下げた。

 

 「そ、そんな……なんか私が頭を下げさせてるみたいで申し訳ないよ」

 

 照れて顔の赤くなった美香は、足早に友人たちの輪の中に戻って行った。

 卒業式では、卒業生代表が将吾だった。壇上に立つ姿はまさに生徒の憧れそのもので、そんな人物の近くに自分がいることは、とても誇らしく思えた。

 

 「本物の平等とは、何でしょうか。与えられた才能の差が同じことでしょうか。等しく自由であるということでしょうか。均等に機会が与えられることでしょうか。それは違うと、俺は思います。個々人の持つ個性が、全ての個性が尊重されることだと、俺は考えています。みんなが笑顔でいられる世界を創りたい、この世の中を変えていきたい。俺はそのために、少しでも力になれたらと考えています…………」

 

 最後は万雷の拍手が起き、話し終えた将吾は、とても心地の良い表情だった。ほんの一瞬だけ、宗次郎と目が合った。

 

 桜の散る季節。アルバムの寄せ書きはクラスメイトたちで埋まり、笑顔の影に悲しみが灯る。

 

 「3年間お疲れ様でした。そしてよく頑張った」

 しみじみとした感覚の中で、担任の言葉は中々頭に入ってこない。そして拍手が再び起きる。

 

 「お前が進学できなかったことだけが、俺の心残りだ」

 

 旧人類は進学が非常に困難。通信制に僅かに可能性があるが、基本的に就職になる。宗次郎は小売業として就職先が決まっていた。

 

 「ここに来れただけでも、僕は満足です」

 

 「この先長くなるだろうが、頑張れよ」

 

 最後の会話になっても、担任は宗次郎の心配をしていたらしい。

 

 「最後に集合写真撮ろうぜ!」

 

 こうして、宗次郎は高校を卒業した。

 

 *  *

 

 高校生活を作り上げていた遍く思い出は――その日薄氷の如く砕け散った。

 殴られた感覚はヒリヒリとか熱いとかではない。簡単である。

 痛いものは永遠に痛い。

 問題は、殴られた瞬間と相手によって、宗次郎の思考は氷のように凍てついていたということだった。

 

 「劣等種が人の彼女に手を出すなよ。猿みたいに発情しやがって」

 

 「ちょっと揶揄うとすぐに顔赤くしてさ、ほんと嗤えるよね。キショすぎて最悪だったんだよ?助けて将吾くん」

 

 卒業証書はビリビリに破れていて、アルバムは燃やされて黒く焦げている。制服は汚れて穴が空き、クラスメイトたちからは聞いたこともない笑い声が聞こえている。

 

 ――これは現実か?

 

 見上げて確かめようとして、顔に蹴りが直撃した。大きく意識が揺れる。

 

 「なんで……こんなことを…………」

 

 「先輩、俺もいいですか?」後輩の問いかけに答えるのは将吾だった。

 

 「どんどんやれ。悪いな。俺たちの趣味に付き合わせて」

 

 将吾には仲の良い友人が何人もいる。特筆して宗次郎と仲が良いのではなく、宗次郎とも仲良くしてくれたに過ぎない。その自覚はあったし、親友にされる必要はないと考えていた。

 しかし将吾と仲が良い友人だけがここに集まって、今なお殴られては蹴られている。屈辱的にも、一切の魔法を行使しなかった。

 

 「趣味……?」

 

 「猿君はぜーんぶ騙されたの。私たち最初からアンタみたいな猿と関わる気なんかなかったの」

 

 「何か言い返してやれよ岩戸。こいつらは成績上げるためだけにお前と関わったクズだぜ」

 

 徐々に頭が追いついてきた。それは旧人類に味方がいないという、絶望的な事実と直視することに他ならない。むしろ生理的な気持ち悪さが先行する。

 

 「おお、いい事言うね。そういうの欲しいわ。今だけなんでも言っていいよ猿君。私の事、本当は好きだったんでしょ?キモっ」

 

 腹を蹴られた折、胃の中身が口から溢れた。

 

 「うわっ!最悪!脚にかかったんだけど」

 

 「美香に何してくれてんの?」

 

 裏切られた怒りなど、宗次郎には全くない。生きる気力がぷつりと切れ、全身から力が抜けていく。

 

 「ん、こいつもう終わりますよ将吾先輩」

 

 「弱っ。まだメインはこれからだってのに。伊吹。俺は首席で卒業したから、腕輪が新しくなった。見ろ」

 

 右腕に輝く黄金の腕輪、刻まれた魔術刻印が妖しく煌めく。魔法が体系化された現在、魔力をより効率よく変換するため、人々は魔法の行使にこの腕輪を常時身につけている。腕輪なしでの魔法行使は基本的に不可能で、莫大な魔力変換を要するため、魔力量に余裕があることが絶対条件である。

 

 ――というのが、現在の定説である。

 

 どよめきが生じた。

 

 「IOI社製の最新機種……!高校も頑張ったな!」「マジかよ。本物初めて見た」「変換率が100%を超えたって端末だよな」

 

 「それ、後で私も使いたい」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべた美香は、その腕輪を撫でてみる。指の通った文字が光って見える。特にIOI社の腕輪は、見た目から非常に洗練されており、世界一美しい腕輪と評価されている。車一台分の価値がある。

 

 「使っていいのは美香だけだぞ。しかし、まずはテストしないと。危険だろ?」

 

 魔法――

 

 体内の魔力を触媒を介して変換し、魔法として行使する。必ず一人一つの魔法が与えられる。

 

 「【炎】」

 

 石井将吾の属性は炎。特に四大属性を構成する炎、水、風、土は、指向性を与えるだけで威力を発する。魔力量において秀でている将吾は、的を絞ることなく、触媒の許容限界まで魔力を流し込んだ。

 空気すら燃やしつくす勢いにて、炎の塊が宗次郎へ直撃した。

 通常の焼身では皮膚が焼かれると同時に酸素欠乏による呼吸困難が引き起こされる。しかし、宗次郎の場合着弾と同時に全身の皮膚が焼け落ち、莫大な熱量は喉を引き裂いて内臓にまで達した。

 

 「あーあ、もう死にそうだよ?っていうか本当に死んだらどうすんの?」

 

 喘鳴を上げて全身が痙攣する。激痛などという生易しい表現では到底足りない。脳髄が文字通り焼き切れる感覚がした。幸いにも、既に宗次郎の意識は途切れている。

 

 「大丈夫だ将吾。親父に頼めばこれくらいなんとかなる」

 

 幸助は、将吾の肩を叩いてそう言い放った。将吾は不敵な笑みを浮かべた。

 

 「俺には頼もしい仲間が付いてる。美香、悪いんだけどコレ、治療してくれないか?」

 

 「……まあ、かっこいいから許してあげる」

 

 *  *

 

 再び息を吹き返した時には、寸前の記憶が抜け落ちていた。だが、身体が恐怖を忘れていない。理不尽が襲い掛かってくるストレスで、宗次郎の頭は割れそうだった。

 

 「次はもうちょい弱めにやるから、耐えろよ?」

 

 「私のこと好きなら、私を煩わせないでよね」

 

 そこで待ったをかけるように、先ほどの幸助が手を挙げた。

 

 「待て待て。俺にもやらせろよ」

 

 「幸助もか?お前ってそんなにこいつのこと嫌いだったっけ」

 

 「違う違う。人に向けて魔法使うことってそんなにないだろ?頼もしい治療師がいるんだし、貴重だろ?」

 

 「うわっ、私の事そんな扱いするとか酷っ」

 

 笑ったのは将吾だ。そして美香の頭を撫でる。

 

 「まあ、何回かは大丈夫だろ。好きにしな」

 

 抗議する美香を宥める将吾に、幸助は苦笑を浮かべる。箔をつけるために美香を彼女に置いているに過ぎないため、将吾の内心としてはやや重たいと感じているそうだ。

 

 ――贅沢な悩みだな。次は俺が貰おうか。

 

 煩悩を隅に置き、魔力を籠める。

 

 「【雷電】」

 

 雷属性は、五大属性以外ではでは最も数が多い属性である。文字通り雷を生み出し、高電圧の電荷を対象へ当てる。宗次郎に残った内内電流を目印にして、無雑作に放出された雷が集中する。

 一瞬の閃光。

 その後は焼け焦げる香りがする。

 

 「こいつはすげえや。威力も申し分ない」

 

 「新しく会得した魔法か?」

 

 「ああ。急所を外し、四肢に直撃させる。見ろ、想像以上の攻撃だ!」

 

 電流が直撃した箇所を起点にして、宗次郎の四肢が吹き飛んでいた。さらに不運なことに、宗次郎は意識を保っていた。口から大量の血が溢れる。拭おうとするも、拭う手が千切れている。一気に顔から血の気が引いていく。失血によって、徐々に視界の端が混濁する。

 

 「……ぁ」

 

「あん?何か言ったか?言いたいことがあるならはっきり言えよ」


 「お前達……人間じゃ、ない」

 

 髪の毛を引っ張って頭を掴み、地面に落とした。それが、失神させた決め手になった。同時に心拍が弱まり、宗次郎は自分が死ぬのだと理解した。もたついているとまた治癒が始まってしまう。

 

 「地獄に堕ちろ…………人でなしが」

 

 血を吐き、仰向けに横たわる。徐々に全身が動かなくなっていく。遠巻きに笑い声が聞こえてくる。宗次郎はもう生きられない。そう確信があった。自分を裏切ったことよりも、こんな人間が生きていることに、虫唾が走る思いがした。地獄に堕ちて欲しいと強く願いながら、意識が途切れていく。今度こそ死が見える。消えゆく視界の中、最後に目に映ったのは――

 

 ――刻印…………?


 どこかから聞こえてくる。死神の声が――

 

 『生と死は乖離し』

 

 『地獄の門より四方の王が帰還する』

 

 『王』

 『公爵』

 『君主』

 『侯爵』

 『総裁』

 『公爵』

 『侯爵』

 『公爵』

 『王』

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