二章 乱れる草原
第1話 評議会の影
翌朝、草原の空は薄い灰色に染まっていた。
夜明け前の冷たい風が、草の海を横一線に揺らしている。
ティムールは族長の陣に向かって馬を歩ませていた。
周囲には、草原の各部族から集まった騎馬が何十騎も並んでいる。
色も形も異なる旗が風に鳴り、まるで草原全体が集まったようだった。
(……評議会に呼ばれるのは初めてだな)
胸の奥がわずかに重かった。
戦場で感じる緊張とは違う。
もっと形のないもの——“他者の目”がまとわりつくような感覚。
「ティムール!」
振り返ると、バルトが馬を駆けてくる。
「お前が呼ばれるなんて、すげぇことだぞ。
評議会に若い戦士が出るなんて、めったにないんだからよ。」
「……そうなのか?」
「ああ。普通は族長と、長老と……戦で名を立てて何年も経った連中だけだ。」
バルトは苦笑した。
「まぁ、お前はちょっとやり過ぎたってことだな。」
ティムールは返事をしなかった。
ただ、冷たい風の中で、誰かの視線が背中に刺さっているのを感じた。
(…歓迎されているわけでは、なさそうだ)
勝った者は同時に“危険視される”。
草原の掟でもある。
やがて彼らは円形に並べられた十数本の柱の前に着いた。
その中央に族長オグダイと、他の部族の長たちが腰を下ろしている。
ティムールが歩み出ると、ざわりと空気が揺れた。
「——若いな。」
「本当に、こいつがあの“横撃ち”をやったのか?」
「噂が独り歩きしているだけだろう。」
囁きが背後から流れてくる。
半分は疑い。
半分は警戒。
そんな空気の中で、族長オグダイだけが落ち着いた視線を向けていた。
「静まれ。」
オグダイの声が草原に響いた。
ざわつきが収まり、風だけが残る。
「まず——北の情勢からだ。」
最初に報告したのは、北の部族の長だった。
「家々が焼かれることが増えた。
だが……奇妙なのは、死体がひとつも見つからん。」
「死体がない? 連れ去られたのか?」
「わからん。荷も家畜も残っていた。ただ“人だけ”が消えた。」
焚き火の音が小さくはぜた。
ティムールはふと、前に見た地図の“読めない地名”を思い出した。
偶然にしては、あまりに符号が近い気がした。
しかし、評議会の誰もが深く追求しようとはしなかった。
「それより、モグールの南下が気になる。」
「都市勢力は交易路の見直しを求めてきた。」
「サマルカンドが動いているという噂もある。」
次々に話題が移り変わる。
ティムールはただ静かに聞いていたが、胸の奥に違和感が積もっていく。
(……全部、ばらばらだ)
北の脅威。
都市の動き。
モグール族の進軍。
全部“つながっている気がする”のに、
誰もその可能性を口にしない。
「ティムール。」
突然、族長オグダイが名を呼んだ。
「はい。」
「お前は……北の消失について、どう考える?」
評議会の空気がぴたりと止まった。
ティムールは一瞬だけ空を見た。
雲の隙間を抜ける風が、草を揺らし、その音が耳に沈み込む。
「戦の痕跡がないのなら、
“戦う必要がなかった”可能性があります。」
長たちの顔がわずかに動いた。
「つまり?」
「……敵が、抵抗を許さないほど圧倒的だったか。
あるいは……
村ごと動かすだけの“目的”があったか。」
ざわめきが走る。
「そんな者が草原にいるはずが——」
「今までいなかっただけだ。」
ティムールは静かに答えた。
「草原が乱れる時は、必ず外から火が入ります。
それが今回も同じでないとは、言い切れません。」
沈黙。
その沈黙の中で、いくつもの視線がティムールへ突き刺さる。
驚き、警戒、苛立ち、好奇心——
まるで風向きが一度に変わるようだった。
族長オグダイだけが、深く頷いた。
「——よく言った。」
その一言で、評議会の空気がさらに重くなる。
(……火種が、また一つ落ちたな)
ティムールは感じずにはいられなかった。
草原の風が不穏に揺れていた。
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