第7話 族長の幕舎にて

 族長の陣へ近づくにつれ、

 風が静まり、空気が変わった。


 焚き火の煙、皮革の匂い、馬のいななき。

 どれも“戦う部族の匂い”だが、

 ここにはさらに重いものが漂っていた。


「……すげぇな。

 これ全部、ひとつの部族の陣なのかよ……」


 バルトは圧倒されていた。


 周囲には数百の兵が整然と並び、

 中央に巨大な幕舎がそびえている。

 その旗は、この地で最も古い部族の証。


「入れ。」


 先ほど迎えに来た騎兵が

 ティムールとバルトを幕舎へ導いた。


 幕舎の内は広く、

 中央には黄金ではなく革で飾られた質素な玉座があり、

 一人の男が座っていた。


 歳は四十ほど。

 頬には戦傷の古傷、

 目は鋼のように冷たく、

 しかし静かな威厳があった。


「……お前がティムールか。」


 族長の低い声が響く。


「はい。」


 ティムールは膝をつき、顔を上げた。

 その態度は幼さよりも、

 戦場を知る者の気配を帯びていた。


 族長はしばらく少年を見つめ、

 やがて近くの兵に合図を送った。


「昨夜の戦の報告を聞かせたが……

 話が“大きすぎる”と思っていた。」


 族長は目を細める。


「伏兵二十を壊滅。

 さらに本隊百を横から崩す。

 しかも……二十の兵で、だ。」


 バルトがごくりと喉を鳴らす。

 やはり、大人の口から聞くと重みが違う。


 族長は続けた。


「結果だけならば奇跡だ。

 だが奇跡は草原には存在せぬ。

 誰かが“起こした”ものだ。」


 重々しくティムールを見据える。


「……それは、お前なのか?」


 ティムールは短く息を吸った。


「はい。

 状況を読み、風の向きを見て、

 敵の動きが変わる前に動きました。」


 族長の眉がわずかに動く。


「風の向き……?」


「はい。

 風は敵の“気配”を教えてくれます。

 気配が散る時は、軍が強い時。

 気配が一方向に偏る時は、油断をしている時です。」


「……ほう。」


 族長がわずかに笑った。

 バルトは横で震えている。


(おいおい……族長相手に“風の向き”とか言える奴いるか?

 こいつマジで、度胸あるのか無自覚なのか……)


 族長は手を組み、ゆっくりと立ち上がった。


「草原に生きる者なら、

 風を読む者は珍しくはない。

 だが——風を“戦”に使える者は……」


 族長はティムールの前まで歩き、

 その肩に手を置いた。


「お前が初めてだ。」


 幕舎の空気が一気に張り詰めた。


「ティムールよ。」


「はい。」


「お前を、我が部族の“戦の座”に迎え入れる。」


 バルトが声を飲み込んだ。


「戦の……座って……!!

 それ、普通は二十年戦ってようやく座れる立場じゃねぇか!」


 族長は続けた。


「もちろん、すぐに重い任は与えぬ。

 だが、この草原が乱れる前に、

 賢き者を側に置いておく必要がある。」


 ティムールは静かに頷いた。


「……承ります。」


 族長は満足げに笑った。


「良い目だ。

 だが覚えておけ。」


 族長は低く言葉を落とす。


「“戦の才”を持つ者は、

 草原で最も重い責務を負う。

 裏切りも、嫉妬も、恐怖も、

 すべてお前に向けられる日が来る。」


「わかっています。」


 ティムールは迷いのない声で返した。


「私は……サマルカンドへ行く夢があります。

 その夢を叶えるためには、

 戦いを避けることはできません。」


 族長が少し驚いたように目を細めた。


「夢、か。

 若者らしくてよい。」


 バルトがそっとティムールを見た。


(お前……こんな大人たちの前でもブレねぇのかよ……)


 族長は手を挙げ、告げる。


「——ティムール。

 今日からお前は、草原の“戦の座”を担う者だ。」


その瞬間、ティムールは少年から“戦の者”へ変わった。

草原の風が、またひとつ形を変えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る