第6話 広がる名声

 本隊を崩した戦いから一夜。

 ティムールたちは勝利の余韻もなく、草原を静かに進んでいた。


 勝ちすぎた軍は油断を生む。

 それを誰よりも恐れていたのが、他でもないティムール自身だった。


「ティムール、今日くらいは……もう少し休んでもいいんじゃないか?」


 バルトが、へとへとの顔で馬を寄せる。


「馬の汗が乾くまで動け。

 止まった瞬間が一番狙われる。」


「うっ……そういうとこだけ大人なんだよなお前……」


 バルトは肩を落とすが、

 それでもティムールの言葉に逆らおうとはしない。


 草原を渡る風は冷たく、昨夜の戦いの匂いをまだうっすらと残していた。


「しかし……二十で百に勝つかよ……」


 ぽつりと誰かが呟いた声が、隊の中で広がった。


「本気で信じられねぇ……」

「俺たち、夢でも見てたんじゃねぇのか……?」

「ティムールが狙ったところが、本当に全部崩れたんだぞ……」


 兵たちは、恐怖ではなく“驚愕”の混じった声でそう語った。


 バルトが照れ笑いしながら言う。


「まぁ……ティムールだからな。」


「お前いつもそれで済ませるよな。」


「だって説明できねぇし!」


 その軽口に、隊に小さな笑いが生まれた。


 だが——その笑いはすぐに消える。


 草原の向こうで、複数の馬影が見えた。


「敵か!?」


「いや……違う。」


 ティムールは目を細め、風の流れを読んだ。


「味方の部族だ。……ただし、普通じゃない。」


 馬影は五人ほど。

 旗を掲げていない。

 だが馬の動きは滑らかで、戦い慣れている。


 しばらくして距離が詰まると、

 その中の一人が声を張り上げた。


「お前が……ティムール、だな?」


 ティムールは頷く。


「そうだ。」


 その瞬間、騎兵たちの態度が変わった。

 彼らは馬を降り、深く頭を下げる。


「昨夜の戦——聞き及んでいる。

 二十で百を砕き、伏兵を壊滅させたと。」


「……風のように現れ、

 風のように去った、と。」


 バルトが小声でぼそっと呟く。


「うわ……なんか“伝説”みたいに盛られてる……」


「だろうな。」


 ティムールは淡々と言った。


「草原では、真実はすぐに風に乗って変わる。」


 騎兵たちの一人が言う。


「だが、戦の結果そのものは事実だ。

 ティムール殿。

 我らの族長が、貴公と話したいと申している。」


「……族長が?」


「はい。

 “この者、ただ者ではない。

 会っておくべきだ”と。」


 兵たちがざわつく。


「族長に呼ばれた……!?」

「こんな若さでか……?」

「やべぇ……本物の英雄扱いだぞ……」


 バルトはティムールを見る。


「おい……お前、どうすんだ?」


 ティムールは短く息を吐いた。


「行く。」


 迷いはなかった。


 その姿に、バルトは思わず笑った。


「だよな。

 お前ならそう言うと思ってたぜ。」


 数十人もの兵たちが、ティムールとバルトの後ろに続く。


 草原の向こう、遠くに煙が上がっている。

 部族の本陣だろう。


 ティムールは馬の鼻先をそちらへ向けた。


この日。

 ティムールという名は初めて“草原中の部族”へ伝わった。


そしてその風は、ゆっくりと、しかし確実に広がり始める。

のちに大陸すら揺らす暴風となることを——まだ誰も知らない。

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