「杖持たず」の旧式魔術師 〜機械音痴は手動の魔術で時代を追い抜く〜

最上 虎々

プロローグ

土間明成は狂って死んだ

 西暦二〇二二年、秋。


 某大学の文学部に所属する俺は、学期末レポートの作成に追われ、大学図書館へと足を踏み入れていた。


 遡ること数十分前。


「すみませーん、閉架書庫に入りたいんですが……」


 俺はお気に入りのアニメキャラクターが描かれたバッジを付けたリュックサックを背負い、受付カウンターにて、図書館員に声をかける。


「はいはい、閉架書庫ね!今日はどんなご用件?」


 大学図書館に長年勤めているらしい女性の図書館員が、いつものように対応してくれた。


「レポートに使う本を読みたいんです」


「あら、貴方もなのね、明成君!」


「ええ、この時期なので」


「みーんな大変そうだもんね~。私も大学時代は大変な思いをしたものだけど。頑張んなよ!」


「はーい。頑張りまーす」


 彼女と俺はすっかり顔馴染みであり、暇潰しに図書館へ毎日のように行く俺にとって、このおばちゃんは、大学において数少ない知り合いであった。


 現在大学二年生である俺、土間 明成(どま あきな)に、学生の友人はいなかった。


 高校時代までの、少なくない友人達とは離れた地域の大学へ通っている俺は、去年の春、大学デビューに失敗したのである。


 大学生といえば、少なくない金銭と多くの時間を得て、遊び回る生活を思い浮かべる者も多いだろう。


 特に偏差値が高い訳でもなく、ただ私立の割に学費が安いという理由だけで大学を選んだ俺は、アルバイトをして、友人と遊んで、少しの勉強もして……といった日々を送るものだと、俺も思っていた。


 しかし、現実は非情であった。


 未知の病が世界中を襲い、俺達はオンラインでビデオ通話を繋いでの大学生活を余儀なくされたのだ。


 講義中しか繋がないビデオ通話の場で、友人関係を築く機会など与えられるハズが無い。


 そして、流行病が少し落ち着いた時には、時すでに遅し。


 ある者は無料連絡ツールのメッセージ機能を用いて、共通の講義を受けている仲間の連絡先を探っており、限られたオンライン講義における話し合いの間に連絡先の交換をしていたりを済ませていた。


 一方の俺は、家に引きこもってゲームにばかり勤しんでいたせいか、初対面の人間と雑談する術を忘れてしまい、完全に孤立してしまっていたのだ。


 そして今年の冬明け。


 徐々に活気が戻り、何人かで集まって行動する同級生達を見ることに耐えられなくなった俺は、図書館へと通い始めたのだ。


 初めて会う人間と話す方法を思い出させてくれたおばちゃんには、感謝している。


「ところで……またカバンのバッジ増えてる?」


「はい!新しいのが出たので!」


「小さい女の子とは結婚できないんだよ?」


 しかし、おばちゃんのこの姿勢に関してだけはどうにも受け入れ難いものだ。


 俺の好きなキャラクターが幼い女の子に偏っているため、リュックには当然ながら幼い女の子のキャラクターが描かれたバッジを付けることになる。


 数はそこまで付けてはいないものの、時が過ぎるにつれて好きなキャラクターは増え、そのキャラクターのグッズも増えるのは当然。


 初登校の日に缶バッジを一つだけ付けていたリュックサックは現在、追加で二つのぬいぐるみキーホルダーと三つの缶バッジを迎えていた。


 これでもだいぶ抑えた方である。


 にもかかわらず、おばちゃんは俺のことをよろしくないロリコンだと勘違いしているらしい。


「分かってますよ!イェスロリータ、ノータッチです」


 確かに俺はロリコン、正しくはアリスコンプレックスである。

 しかし自分で言うのも気が引けるが、弁えている方なのである。

 そこの所、勘違いしないでいただきたい。


 俺は許可証を受け取り、閉架書庫へ。


 レポートに追われている状況とはいえ、普段は表に出ていない書物に触れる機会というのは、何回目でも心が踊るものである。


 踊り場でつま先を立て始め、適当に踊りながら階段を登ると、瞳はズラリと並ぶ本に引き寄せられた。


 現在追われているレポートというのは、古代ギリシアの哲学者であるプラトンに関するもの。


 彼が提唱した「イデア論」についての簡単な記述を書くだけだと思っていたのだが……科目名だけ見て講義を選んだ結果、入門編どころか、そこそこ詳しい内容を扱う教授にかかってしまったらしい。


 わざわざ閉架書庫で資料を漁るハメになっているのは、何を隠そうこのミスと、よりによって講義に熱が入ってしまった教授のせいなのである。


 イデア論とは、ざっくり言ってしまえば「この世界にあるものは全て、『イデア界』というところにある、概念そのものの本体によって存在している」ということ(諸説あり)らしい。


 存在を証明しようが無い話ではあるが、当時を生き、世界の真理に迫ったかのような理論の数々に魅了された人間達の臨場ライブ感を知らず、二一世紀をのうのうと生きてきた俺にとって、その理論は、あまりにも幻想的ファンタジー過ぎたということだけは確かである。


 現に俺は、本の力を使わずしてレポートを書くことができていない程に、現実味を感じることができていないのだから。


「ったく、四年生大学の二年目って、こんなに専門的なことやるかねぇ……。ふぁ~ぁ。ちょっと休憩~っと」


 ふと、欠伸と少しの独り言が書庫に響く。


 同じものに長時間打ち込み過ぎると、かえって集中力が落ちてしまうと信じて止まない俺は、休憩がてら、レポートとは関係が無い本を読んでみることにした。


 哲学書のコーナーを漁っていると、やけに目を引く本が目に入る。


 特に装飾が奇抜という訳では無い、ただの分厚い本であったが、不思議と黒目が引き寄せられてしまうのだ。


 俺は本を手に取り、表紙を確認した。


 しかし、本の管理状態に気を遣っている閉架書庫の中でも古い本なのか、題名も著者も、擦り切れてしまって読めなくなっている。


 それでも、俺は本を開かずにはいられなかった。


 今思えば、この時点で俺は脳をやられていたのかもしれない。


 本を開いた瞬間、それを閉じるという選択肢が消え失せる。


 俺はただ、その本を読み続けた。


 ページをめくり、文字に視点を合わせる、脳に染み込ませる、その繰り返し。


 たまに挿入されている図や絵には、特に瞬きを忘れて見入っていた。


 そこから先を、俺はほとんど覚えていない。


 本を抱えたまま混濁する意識の中、僅かに、

「明成君!しっかりして!」と叫ぶおばちゃんの声と、「こんな本、閉架にあったかしら……」と呟く司書の声がした、ような気がした。


 そして、次に意識が戻った時。


「……は?」


 俺はベッドに寝かされており、覗き込むような姿勢で覗き込む見知らぬ男女に、微笑みを向けられていた。

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