深夜、夫が“二十代の私”と話していた
夜道に桜
深夜、夫は“二十代の私”と話していた
山田夫妻は、近所でも仲がいいことで知られていた。
結婚して四十年。
お互い年を取り、足腰も弱ってきたが、二人で散歩する姿は微笑ましいものだった。
しかし、そんな幸せはある日を境に崩れ出す。
ある日、妻は気づいた。
夫の様子が、どこかおかしい。
話しかけても生返事が多くなった。
夕飯の最中にひとりで笑みを浮かべることもある。
まるで、誰かと目に見えない会話でもしているようだった。
「最近、どうしたの?」
「いや、別に」
夫は取り繕うが、その顔には妙な生気があった。
ある夜、妻はふと目を覚ました。
隣の布団には夫がいない。
不安になり、忍び足で家の中を探すと、リビングから声が聞こえた。
夫のものと、もうひとつ──若い女の声だ。
妻は驚いた。
しかし、どこかその声に聞き覚えがある。
恐る恐る扉を開けると、夫はパソコンの前に座り、その画面に向かって話していた。
画面には、二十代の女性の姿。
昔の自分にそっくりだ。
「……あなた、それは何?」
妻は震える声で尋ねた。
「君だよ。昔の写真や映像をAIに読み込ませたら、できたんだ。懐かしくてね。話し相手にしてたんだ」
妻は言葉を失った。
画面の中の“若い妻”は、にっこり笑って言った。
「雅人さん、また来てくださいね」
妻が夫を見つめると、夫は気まずそうにパソコンを閉じた。
「もうやめるよ」
「……本当に?」
「もちろんだとも」
妻はうなずいたが、胸には冷たい影が落ちた。
◆◆◆
翌朝。
夫はいつも通り茶を飲み、「うまいな」と笑った。
その様子は、以前の穏やかな夫に戻ったように見えた。
妻は少し安心した。
しかし──その日の午後。
また夫がどこか上の空であることに妻は気がついた。
(‥‥あなた)
夫は消したと言った。
だが、その言葉を信じる材料は、家のどこにもなかった。
妻はそっと拳に力を込めた。
そのとき、寝室の方から夫の声が聞こえた。
「……ああ、もちろん。今夜、また行くよ」
返事をする女性の声はなかった。
だが、夫の声音にははっきりとした温度があった。
まるで、誰かに恋する青年のような、そんな響き。
妻は静かにリビングへ戻った。
夫に問い詰める気にはなれなかった。
所詮は機械だ。
紛い物だ。
だが。
しかし。
妻は心のどこかで何か得体の知れない感情が湧き上がるのを感じずにはいられなかった。
終わり
深夜、夫が“二十代の私”と話していた 夜道に桜 @kakuyomisyosinnsya
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