揺らぎの鋳型

侘山 寂(Wabiyama Sabi)

揺らぎの鋳造

 “鋳造”と聞けば金属加工を思い浮かべる人が多いだろう。

 だが私たちが扱うのは、人の“性質”の鋳造だ。


 まず要らない性質を熱で溶かし落とし、空になった枠に透明な要素を少しずつ流し込む。

 慎重さをひとしずく、共感性を少々、責任感を薄く——。

 調香のようであり、祈りのようでもある工程の先に、人の形が立ち上がる。


 私はこの技術を初めて知ったとき、胸が熱くなった。

 世界はもっと良くできる、と。

 暴力も偏見も、不安の影も、少しずつ溶かしてしまえるはずだと信じていた。


 研究所の鋳造室は、今日も独特の空気をまとっている。

 炉の熱が部屋を押し広げ、冷気が引き戻す。

 湿ってはいないのに、紙がふやけるような気配が常に漂い、私はその曖昧な重さを“責任”だと感じていた。


 ***


 ある朝、政府の担当官が仕様書を持って訪れた。

「こちらです」


 男は分厚い紙束を差し出し、端の印鑑を軽く叩いた。

「少し強めに押されまして……“強い意志”ということで」


 私は目を走らせる。

「最低限の欲、適度な責任感……柔軟さと従順さ、ですか」


「ええ。波風を立てない人材を求めています。」


 炉の前に立つと、金属の表面を揺らす光が見えた。

 それは“これから形になる誰かの気配”のように思え、手のひらに名のつかない重さがのしかかった。


 鋳造された官僚は、整った表情で誓約書にサインしていった。

 ひとつ世界が良くなった——そう思いたかった。


 ***


 だが企業の依頼が増えるにつれ、その自負は少しずつ揺らぎ始めた。


「また届いています」

 受付が束の書類を運ぶ。


「“ストレスに強い社員”三名。“従順で反応速度の速いタイプ”。そして……“常に笑顔の接客係”」

「……どこも同じだな」


 効率、協調性、安全性。

 その裏側には必ず“扱いやすさ”が潜んでいる。

 世界を良くするはずの技術が、均質な人間を増やす装置になりつつある予感がした。


 ***


 ある夜。

 炉の前で配合表を握りしめ、私はひとつの選択をした。


「……少しだけだ」

 独立心を、爪でひっかくほどの量。


「これも……少し」

 好奇心を、最低値よりわずかに上へ。


「考える力は……消さずに残す」


 まるで自分の芯を鋳込んでいるように思えた。


 鋳型が開くと、彼の目の奥には“揺らぎ”があった。

 生き物の息遣いのように微かに光り、確かにそこに存在していた。


「怖くありませんか? 自分で考えることは」

 私はそっと尋ねた。


「……怖いです。でも、胸の奥がどこか軽くなる気もします」


「なら、その感覚を忘れないようにしてください」

 私は言っていた。

「誰かに鋳込まれても生まれないものがあります。あなた自身が選び、育てることでしか生まれないものが」


 彼は照れたように笑った。

「ありがとうございます。現場を見てきます」


 ***


 ——そして翌週。


 扉が開き、彼が戻ってきた。


「……不良品として交換できますか?」

 書類には“扱いにくい”とあった。


「なにがあったんだ……?」

 気づけば問いかけていた。


「上司から“指示をそのまま受け取らない”と言われて。悪い人ではないんです。ただ……“余計なことは考えなくていい”と」

 彼は自分を責めるようにうつむいた。

「たしかに、考えてしまうんです。だから……仕様どおりの自分に戻してもらえれば」


 胸の奥で、金属がひび割れるような音がした。

 私は、その痛みを直視できなかった。


「……交換できます」

 乾いた声が勝手に口から落ちた。


 署名する手は震えていた。

 私は、その震えを止める術を持っていなかった。


「ありがとうございました」

 扉へ向かう途中、彼は一度だけ振り返った。

 目の奥のかすかな揺らぎ——私が鋳込んだ光——が、一瞬だけ燃えた。


「……何か言いましたか?」

 自分でも驚くほど素直な声が出た。


 彼は首を振る。

「いえ。本当に、お世話になりました」


 扉が閉じると、その揺らぎは吸い込まれるように消えた。


 ***


 鋳造室には炉の赤い光と、手のひらに残る重さだけが漂っている。

 本当に溶けているのは金属か。

 本当に鋳込んでいるのは“性質”か。

 あるいは——もっと別のものか。


 炉が燃えるたび、私は少しずつ自分の芯を溶かされていくような気がした。

 世界を良くするための技術だと信じていたその火に。

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揺らぎの鋳型 侘山 寂(Wabiyama Sabi) @wabiisabii

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