第7話 埋み火

 あれから数日が経ち、月もすっかり元気になった。

 以前は沈みがちだったが、最近はなんだか表情も明るくなった気がする。

 その理由は雨龍にはよくわかる。



「蒼龍の誕生日っていつなんですか?」

 ある日の夜、そう尋ねた月に飛蘭が「十二月よ」と答えた。

「…まだ先ですね」

 悩み顔で呟いた月に、「お祝いしたいの?」と小雷が聞いた。

 すると月の頬がほんのり赤らんだ。

「お世話になってばかりですからだから、なにか…したい、ような」

「…そっか」

「あ、あなたたちにもですよ!?」

 月はハッとして言うが、その頬はさっきより赤い。

 小雷と飛蘭のなにか言いたげな視線に恥ずかしくなったらしい。

「た、ただ、働けないから、…なにも買えないし、なにするのかって感じですが…」

 月は寝台の縁に腰掛けたままもごもごと言う。

 余程恥ずかしいらしい。

 熱を出した日から、月の蒼龍に対する態度が少し変わった。

 まだ不安もあるようだが、蒼龍に怯えることはなくなった。

 笑顔を見せるようになった。

 蒼龍も月に対し、以前のように優しくなった気がする。

「祝ってもらえるならなんだって嬉しいよ。

 私も」

「そうね」

「祝う気持ちが大事なんじゃないですか?」

 ちょっと複雑な思いながら、小雷も飛蘭も雨龍も笑みを浮かべてみせる。

 月がホッと口元を綻ばせた。

「なんだか賑やかだな」

「蒼龍」

 不意に戸が開いて蒼龍が姿を見せた。

「お客様は帰ったのですか?」

「ああ、そもそも大した用事じゃなかったからな。

 いつものことだよ」

 蒼龍は仕事から帰ったあと、来客の相手をしていた。その口振りだといつもの見合いの話らしい。

「蒼龍って、やはりモテるんですね…」

「俺自身がモテてるんじゃない。

 あいつらの狙いは家と財産と権力」

 気にしたような月の呟きに蒼龍はにっこり微笑んで「そういう連中に興味はない」ときっぱり言い切る。

「俺が信頼できるのはここにいる者たちだけだ」

「………っ」

「もちろん月もな」

 蒼龍は優しく月の頬に触れ、甘く瞳を蕩けさせて言う。

 月の頬がかあ、と赤らんだ。

「それより月。

 なにか言うことはない?」

「……あ、…お帰りなさい。

 お疲れさま…?」

「うん」

 恥じらいながら告げた月に蒼龍は嬉しそうに微笑んで、月の身体を軽く抱きしめた。

「やっぱり、月にそう言ってもらえると嬉しい」

「……蒼龍」

 月は素直に蒼龍の腕の中に収まったまま、ますます顔を赤く染める。

「…なんだかすっかり甘い雰囲気ねえ」

「え?

 くっついたの?」

「どうかしら…?

 月さんってなんか鈍い気もするし…」

 とりあえず蒼龍様が月さんを抱くのは性欲処理じゃないって伝わったんじゃない?と飛蘭は小声で言う。

 まあはっきり恋仲になっていたら、蒼龍が自分たちになにか言う気もするな。

 雨龍は抱き合う二人を見つめ、眉根を寄せる。

「雨龍。

 顔、怖い」

「…すみません」

「やっぱ、面白くない?」

「…微妙です」

 小雷の問いかけに雨龍はため息混じりに答えた。

「月さんが泣かずに済むなら、それでいい気もするんですが…」

「複雑だね」

 安心した部分もある。月が悲しまずに済むならそれがいい。

 だけど嫉妬もする。どす黒い気持ちも沸く。

 恋というのは、難解だ。

「…とりあえず、お邪魔っぽいから出るか」

 小雷は仕方なさそうに息を吐いて戸に手を掛ける。

 飛蘭も後に続いた。

 雨龍は一度蒼龍と月に視線を向け、切なげに瞳を細めて部屋の外に出た。

「つかさ、月さんの親を殺したヤツについてはまだわかんないの?」

「それがまだ。

 そもそも月さんの戸籍が全く出て来ないから…。

 月さんはもしかしたら、戸籍のない身寄りのない人間なのかも」

 廊下に立って、飛蘭は困ったように眉を寄せて話す。

「そういえば、蒼龍に対する見合いの話、最近やけに多いな。

 元々あいつはモテるんだが…」

「それね。

 多分月さんがいるから。

 蒼龍様が月さんを買ったって知ってる人間は知ってるし。

 蒼龍様が月さんに溺れて結婚しないとか言い出したりしたら困るって思ってるんでしょ」

「まー、月さんを狙ってるヤツらは、蒼龍様が結婚したほうが月さんを奪いやすいしね。

 両方かな」

 飛蘭と小雷の言葉に雨龍は不快げに顔をしかめた。

「そんなにあの人を狙ってるヤツは多いんですか…?」

「オークション会場で顔見たヤツは多いし…。

 それに蒼龍が月さんを買ったあとから、食事の誘いとか全部断ってるじゃん。

 だからあの蒼龍が溺れるほどの存在に強い興味があるんじゃないかなー」

 小雷はそう言って雨龍の顔を見上げ、瞳を細める。

「月さん、すごい綺麗だしさ…。

 それに雨龍、オークション会場で月さんを見たとき、どう思った?」

「……それは」

 確かに、あのときの月は薬を使われていたせいもあって、ぞくりとするほど艶やかだった。

 虚ろな瞳、上気した肌、ライトに照らされた金色の髪が輝いていて。

 ひどく綺麗で、あまりに色っぽく、薄く開かれた唇は男を誘っているかのようだった。

 あの姿を見て、その細い身体を組み敷き、思う様突き上げて泣かせてしまいたいと思う男は沢山いるはずだ。

 蒼龍や、自分たちだって目を奪われたのだから。

「あれはやばかったよね。

 あの姿を忘れられないヤツは多いかもよ」

「……っ」

 月を狙う男たちに憤っているのか、小雷の瞳は冷たい。雨龍はぎゅっと拳を強く握り、顔を歪めた。

「ま、この屋敷から出ない限りは大丈夫でしょ。

 この屋敷、セキュリティは半端ないし。

 それに苗一族のボス、苗蒼龍の屋敷と知っていて忍び込んでくる命知らずはいない」

「…まあ」

 月のそばには雨龍、小雷、飛蘭もいる。

 蒼龍の懐刀である三人の名は裏社会に広く知れ渡っている。

 蒼龍とその三人がいると知っていて忍び込むような馬鹿はいない。

 捕まれば確実に死か、死ぬよりひどい目に遭わされると想像出来るはずだ。

 それでも胸はざわめく。

 月の存在が自分たちの中で重さを増すごとに、冷静ではいられなくなる。

 それでも今更もう手放せない。蒼龍も、自分たちも同じだ。




 そのころ、蒼龍は月の隣に腰を下ろし、月の綺麗な髪に触れていた。

「伸びたな」

「ええ…」

 金色の髪は少し伸びている。蒼龍は指先でくすぐるように撫でて笑った。

「飛蘭が時々切ってくれるんですが」

「ああ、飛蘭は器用だからな。

 美容師の資格も持っているし」

「そうなのですか?」

「ああ。一応店を経営してはいるんだよ。

 なかなか人気なようだ」

 まあ、本人は店にはあまり顔は出せないんだが、と蒼龍は言う。

「……知らなかったです」

 月はしみじみ「すごい」と呟いた。

「みんなすごいんですね…」

「…ずっとここにいるのは、気になるか?」

「…………」

 蒼龍の問いかけに月は答えていいのか悩む。

 蒼龍は優しく微笑んで「いいよ。言って」と促した。

 月がまだ不安を抱いているのがわかっているから。

 自分に怯えなくなって、信じてくれて、でもここ数ヶ月のことが消えるわけじゃない。

 彼を裏切って傷つけてきた時間が消えるわけではないから、仕方ないと思う。

 だから今は、ゆっくり不安を取り除きたい。

「……会社、行きたい、とは思います…。

 無理なのはわかっていますけど…」

「それは普通の欲求だ。

 気にすることじゃない。

 とは言え、いろんな意味で行かせることは出来ないと思うが…」

 費用とかは別に問題ではない。蒼龍は月のために出資することは気にならない。

 むしろそれで月を繋ぎ止めておける理由が出来るのだから、いやではない。

 ただ問題は、月を狙っている人間がまだいるということ。

「会社なんて、簡単に侵入できるからな。

 さすがに俺たちまでずっとそばにいられないし」

 自分たちがそばにいれば安全だろうが、という蒼龍の言葉に月は慌てて「そこまでしなくていいですから!」と言った。

「…蒼龍たちに迷惑かけてまで行く気はないです…」

「ま、現実的に無理だしな」

 俺たちみんな仕事あるし、と蒼龍は笑って言う。

「ただ、行くならそれくらいしないと安心出来ないと言う話だ。

 金持ちっていうのは、自分の欲しいものを手に入れるためには手間と金を惜しまないんだよ。

 特に月に目を付けたようなヤツらは」

 あんなオークションに行くくらいだからね、と蒼龍。

「…そういえば、どうして蒼龍たちはあの場にいたんです?

 私ははっきり覚えてないけど、なんというか、蒼龍や雨龍が好んで行く場所だとは…」

 人間が売られてるくらいだし、非合法のやばいところだったんだろうと想像はつく。

「ま、裏社会ではああいうオークションはそんなに珍しくない。

 俺は行く気はなかったんだけど、知人に誘われてやむなく。

 今となっては行って良かったと思ってるさ。

 月に会えた」

「……っ」

「月をほかの男に渡さず済んでよかったよ」

 そう言って微笑む蒼龍の瞳は甘い。心臓がドキッと大きな音を立てた。

 あれから蒼龍は優しくなった。でもそれだけじゃない。

 なんか、甘くなった。すごく。

 あのときの蒼龍の言葉ってそういう意味なのかな。あの歌って、恋の歌だし。

 そういう意味なのかな。そう考えるとすごくドキドキする。

「ふふ。

 最近、すぐ赤くなるな」

「…っ」

「可愛いな」

 蒼龍は嬉しそうに笑って月の頬を手で撫でる。

「一番嬉しいのは、笑ってくれることだけど」

「…わ、たしも」

 月は震えそうになりながら、必死で言葉にする。

 なんか、身体が熱い。

「…私も、蒼龍がそうやって笑ってくれるのは、嬉しい…」

「…そう」

「ずっと、またこんな風に、蒼龍と話したかった…」

 頬を赤く染めて告げる月に、愛おしさが沸いてくる。

 なんていじらしくて可愛いんだろう。

 蒼龍は顔をほころばせ、月の身体をそっと抱きしめた。

「俺もだ。

 …ずっと傷つけてしまっていたが、これからは大事にするよ」

「………蒼龍」

「だから、お願いだから俺から離れないで。

 お前が俺から離れることが耐え難くて、そうなると俺も自分で制御出来ないんだ。

 俺はまた、お前を傷つけたくはない」

「………はい」

 離れる気は、もうあまりなかった。無理だとわかっている。

 蒼龍は絶対に自分を離さないだろう。

 それに、自分が蒼龍のそばにいたい。雨龍や小雷や、飛蘭のそばにいたい。

 そう望んでいるから。

 親を失った自分にとって、帰れる唯一の場所だから、なくしたくない。

 蒼龍の手が頬に触れる。そっと上向かせて、優しく唇にキスされた。

 啄むような口づけが段々深くなる。

「…っ……ん」

 月はぎゅっと蒼龍の服を掴み、必死で応えようとする。

「…ぁ……」

「相変わらず初々しくて可愛い」

「……するんですか?」

 月は顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうに尋ねる。

「…そうだな。

 仕事と客のせいですごく疲れたんだ。

 …月に癒して欲しい」

「逆に疲れません…?」

「まさか」

 蒼龍は笑って月の身体をシーツの上に押し倒す。

「…すごく、元気が出るよ」

 甘ったるい笑みを浮かべて告げた蒼龍に、月の瞳が期待で潤んだ。

 ずっと蒼龍に抱かれ続けていたから、そんな目で見つめられるだけで容易く身体は熱くなる。触れられたくなってしまう。

 今までは蒼龍の気持ちがわからなかったから、それも辛いだけだった。

 だけど今は、ひどく求められているようで嬉しくて。

「蒼龍…」

 熱っぽい瞳で見上げて手を伸ばした月の身体を、蒼龍はそっと優しく抱きしめた。




「ぁあっ、あ、やっ」

 室内に湿った空気と水音が響いている。

 蒼龍は寝台に横たわった月の腰を掴み、中を突き上げていた。

「あァっ、や、ひゃっ」

 月はシーツを掴み、与えられる快感にただ身悶える。

 初めて抱いたときに比べ、格段に感じやすく、淫らになった身体はどんな風に突いても敏感に反応する。

 蒼龍は身をかがめ、赤く尖った胸の飾りを舌で舐める。

「っゃ、ァ、ん…っ」

 蒼龍に開発された身体は容易く快楽を拾い上げ、びくんと跳ねる。

「あ、あっ、蒼龍…っ…それや…っ」

「なんで?

 すごく美味しそう」

「…っ…そ、なわけな…っ…ぁあ…っ…!」

 中を突かれながら胸の飾りに噛みつかれ、月は涙を散らして首を振る。

「や、ぁ、あ…っ」

「随分淫らになったな。

 可愛いよ…」

「…っ…や、ぁ…っ」

「恥ずかしい?

 今、すごく締まった」

「や、やぁ…っ」

 月は顔を真っ赤に染め、泣きながら必死でいやだと訴える。

 しかしその仕草すらも蒼龍をあおるだけだ。

「月はいやらしいな。

 泣き顔も、声も、身体も…。

 なにもかも色っぽくて可愛い。

 全身で俺を誘ってる」

「…っ…や、しらな…っぁ…」

「そう?

 でも今、また締まったよ」

「…っ」

 きつく締め付けられて蒼龍は少し眉を寄せながら、月の足を掴んで大きく開かせる。

「いいんだよ。月。

 もっといやらしくなって、もっと乱れて鳴いて。

 俺のために。

 俺はそれがたまらない…」

「んぁあ…っ」

 更に奥まで突き入れられ、月がかすれた声を上げて身体を震わせる。

「…ああ、月。

 全部俺のものだ。

 …全部、俺だけの…っ」

「ぁ、蒼…っ…龍…っ」

 蒼龍は月の汗ばんだ手を取って指先に軽く口づける。

 ぺろ、と指を舐め、口に含んだ。

「あ…」

 ぴちゃ、とわざと音をさせて舌を這わせ、愛撫する。

「ぁ、や…っ」

「可愛い。

 月は全部可愛い」

「ん…っ」

 うっとりと呟いた蒼龍が腰を掴んで、また奥を突き上げる。

 月は身体を跳ねさせ、蒼龍の手をぎゅっと握った。

「あ、蒼龍…蒼龍…っ」

「そう。

 もっと、その声で俺を呼んで…」

「蒼龍…っ…ぁあ…っ」

 泣きながら必死で自分を呼ぶ月に堪らなくなって、蒼龍はその細い身体を抱きしめる。

 月の首筋や胸元にキスを落とし、最後に唇をそっとふさいだ。

 月の手が首に回る。

「月…っ。

 いいよ。背中に爪立てて」

「や、だ、だめ…っ」

「いいんだ。月なら…。

 月の跡なら、欲しい…」

「っ…ぁあ…っや…っ」

 ぐちゅ、と強く奥を貫かれ、月は思わず蒼龍の背中にすがりついてしまう。

「月…月…。

 もっと、もっと…お前の全部を、…俺にちょうだい…」

「や、ぁ…あぁあっ…」

 耳元で囁かれる甘い言葉と熱い吐息、中を突き上げられる快楽になにもかもわからなくなって、月は蒼龍の背中にしがみつき、ただ嬌声をあげ続けた。




 寝台に寝ころんだままの月の髪を、縁に腰掛けた蒼龍はただ撫でていた。

 以前ならは情事のあと、こんな風に触れることも出来なかった。

「月。

 大丈夫か?」

「………なんとか」

 まだ涙に濡れた瞳でこちらを見て答える月は、筆舌に尽くしがたいほど色っぽい。

 散々抱いたというのに、また欲しくなってしまう。

「すまないな。

 程々にしようと思うんだが…月の身体を前にするといつも我を忘れてしまって…」

「……そんなに良いんですか?」

「すごく」

 少しだけ不安げに尋ねられ、蒼龍は微笑んではっきり頷いた。

「月だというだけで、すごく気持ち良いよ」

「……っ」

 蒼龍の甘い言葉と視線に月は顔を赤らめ、視線を逸らした。

 恥ずかしいらしい。

 何度抱いても彼は初々しく純情だ。それがまた堪らなく可愛い。

「…蒼龍、あなたモテるのでは?」

「だから?

 俺は月がいいよ」

「……………」

 月は蒼龍を見つめ、瞳を潤ませる。枕を抱きしめて顔を隠した。

「あんまり可愛い反応しないでくれ。

 また抱きたくなる」

「もうむりです…」

「わかってる」

 これ以上はしないよ、と言った蒼龍に、月はおずおずと顔を出す。

 その光の加減で血の色にも朝焼けの色にも見える綺麗な瞳。

 ずっと見ていたいとすら思う。

 蒼龍は愛おしげに見つめ、月の髪を優しく撫でた。

「…どうしようかな」

「…?」

「…雨龍に後を任せるのがすごく悔しい。

 俺が後始末もしたい」

「い、いいです。雨龍で」

 蒼龍に姫抱きされることを想像し、月は真っ赤になって慌てる。

「俺に後始末されるのはいや?」

「…そ、そうじゃないですが……蒼龍だから、恥ずかしいというか……」

 ちょっと拗ねたような顔をした蒼龍に、月は耳まで赤くなって答える。

「…蒼龍に触れられると、また欲しくなるから…困ります」

「…もう。

 そんな可愛いこと言われたら怒れないじゃないか」

 月の言葉に蒼龍の頬も赤く染まる。

「…まあ、仕方ないね。今は。

 雨龍も納得しないだろうし…、やむを得ないか…」

「……?」

「月はわからなくていいよ」

 蒼龍は柔らかく微笑んで月の髪をそっと撫でる。

 雨龍の気持ちはわかっている。

 だからこそ、任せたくないという気持ちが当然ある。嫉妬もする。

 だけど自分が月を傷つけていた間、月の拠り所になっていたのは雨龍だ。

 それを考えると、なにも言えない。困ったな。




 雨龍はいつも通り蒼龍に呼ばれて月の部屋に行くと、寝台に横たわっていた月に声を掛けた。

「大丈夫ですか?」

「……はい」

「じゃあ風呂入れますから、手を貸してください」

「…………」

 月は差し出された手を見てほんのり顔を赤らめる。

「雨龍……」

「なんです?」

「…雨龍、嫌じゃないですか?」

「…なにが?」

 雨龍は首を傾げながら月の手を取って引っぱると、そっと抱き起こした。

 触れた雨龍の身体は同じ男とは思えないくらい細くて、なのに自分を平気で抱き上げられる力がある。それが不思議だ。

 今までは気にする余裕もなかったから考えないようにしていたけど、今思うとすごく恥ずかしい。

 裸何度も見られてるし、もっと恥ずかしいことされてるし。

「後始末…。

 私、男だし…なんか情けないと言いますか……。

 雨龍も嫌じゃないですか…?」

「………………」

 月は完全に無自覚だろう。

 全裸であちこちに生々しく情事の痕跡が残る格好で、顔を赤らめて恥じらいながら上目遣いで見つめられる。

 そんな姿を見て雨龍がどう思うのか全くわからないらしい。

 雨龍は危うく衝動的に、その誘うように薄く開いた桜色の唇に口づけそうになってしまい、必死で堪えた。

「…ユーロン?」

「………っ…いや、…うん。

 …嫌じゃない、から…安心してください…」

 だから舌っ足らずな声で名を呼んで小首を傾げないで!

 あなた自分の格好がどんなにやばいかわかってないんですか!と叫びたい。

 どうも、最初から雨龍が後始末をしていたため、感覚が麻痺してるようだ。

「…少なくともほかの人にさせたくないんです。

 気にしないで」

「……………?

 面倒じゃないですか?」

「…むしろ役得ですよ」

「…???」

 月は完全に理解できない様子で首を傾げている。

 やばい。この人、鈍すぎないか。

 そんな雨龍の胸中は、「あ、これも仕事だからその分お給料出るのか。だから?」などとあさってなことを考えている月には届かない。

「とにかく、風呂行きますよ」

 雨龍はため息を吐くと、月の身体をタオルで包んで抱き上げた。




 浴槽の縁に座って、膝に乗せた月の身体をいつものように洗う。

 月は緊張したように身体を縮こまらせて、じっとしている。

 頬はほんのり赤くて、そんな表情を見せられると堪らなくなる。

「…あの」

「ぇ…?」

 細い腰を抱いたまま話しかけると、少し潤んだ瞳がこちらを見た。

 背筋がぞくりと震える。

 どうにか堪えて、なんでもないふりをして口を開いた。

「兄上は、優しいですか…?」

「え、あ……、はい」

 月はかあ、と更に顔を赤らめ、小さく頷く。

 蒼龍の言葉を思い出したのか、はたまた蒼龍に抱かれているときのことか。

 どちらにせよ、ほかの男のことでそんな顔をしているのは、あまり面白くない。

「や、優しいですし…、…甘い」

「…あなたが、辛い思いをしてないならいいんだ」

 雨龍は優しい声で言い、月の髪を軽く撫でた。

 本音を言えば嫉妬するし、どす黒い気持ちも沸く。

 だけど、なにも出来ない。

 今、自分が月になにかすれば、また今の穏やかな関係が壊れてしまう。

 また月が傷つくかもしれない。

 それを思えば、なにも出来ない。

 独り占めしたくても、もっと触れたくても、我慢する。

 月が笑っていられる場所を守りたかった。

「……ありがとうございます」

 月は顔をほころばせ、小さな声で言う。

「僕はなにもしていませんよ」

「いいえ。

 雨龍がずっとそばにいてくれたから…また蒼龍のこと信じられるんです。

 ありがとう。そばにいてくれて」

「………それは、すごく複雑ですね」

「…?」

 首を傾げた月を見つめ、雨龍は笑って顔を近づける。

「いいんですよ。あなたはわからなくて」

 雨龍はそう言って月の額に軽く口づける。

 今、自分が許されるのはこのくらいだ。

「……雨龍って、あったかいですね」

「そうですか?」

「それに、私より小柄なのに軽々私を抱き上げてしまうし。

 弟のように思うのに、だからその力の差が寂しいです」

 雨龍はやっぱり複雑だ、と月の身体を抱きしめ、華奢な肩に顔を埋めてため息を吐いた。

 やっぱ男として意識されてないか。そうか。

 自分のそばで安らいでいてくれることに喜べばいいのか、男として見られてないことを悲しめばいいのか、複雑だ。

「雨龍?」

「……苗族は、普通の人間より遙かに力や身体能力が高いんですよ。

 僕でも、月さんよりずっと力が強いです」

「そうなんですか?」

「ええ」

 そう答えて月の身体を抱き寄せる。

「あと、弟はこんなことしませんからね」

「……?」

 ああ、やはりわかっていないか。

 あなたの幸せが第一だ。それで今はいい。

 ただ普通兄弟はこんなことしないから、そこんとこわかっててくださいよ、と内心呟いた。


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