2.5_03_従者も応援…する

〈Ema's perspective〉


 その日の午後、私は本部の休憩室でルーク様にお茶を淹れていた。


 魔導ランプの柔らかな光が、革張りのソファとそこに沈み込むように座る青年の姿を照らし出している。


 「ふぅ……」


 ルーク様が小さく息を吐き、手元の書類をサイドテーブルに置いた。眉間を揉みほぐすその仕草には、隠しきれない疲労が滲んでいる。


 ここ数日、ルーク様はほとんど眠っていない。魔導列車での一件は解決したが、その間に溜まっていた優先度の低い報告書の確認、ナハトヴォルフへの対策、そして枢密院会議での新たな提案、諜報員育成の補助など挙げればキリがない。副長官としての激務は、終わるどころか増える一方だ。


 私は音を立てないように歩み寄り、空になったティーカップを下げて新しい紅茶を淹れ直す。


 茶葉が湯の中で踊り、琥珀色が広がっていく様を見つめながら私はふと昔のことを思い出していた。


 両親を失ったばかりで生きる意味を見失っていた私を、ルーク様が拾ってくれた日のこと。名前をくれて、居場所をくれて、生きる意味をくれた。あの日から、私の世界の中心には常に彼がいた。


 彼の剣となり、盾となり、影となる。それが私の誓いであり至上の喜びだ。だからこそ――私は、自分の胸の奥に芽生えた「別の感情」に、分厚い蓋をしている。


 「ルーク様、新しいお茶が入りましたよ」


 「ああ、ありがとうエマ。……エマが淹れる茶は、なんでこんなに落ち着くんだろうな」


 ルーク様はカップを受け取ると、ふわりと相好を崩した。


 その無防備な笑顔を見られるのは世界で私だけ。その事実に優越感を覚えると同時に、胸がチクリと痛む。


 あまりにも距離が近すぎるのだ。私たちは「主従」であり、長い時間を共に過ごした「家族」のようになってしまっている。


 私はその痛みを振り払うように、努めて明るい声で話題を変えた。


 「ルーク様。最近のシャーロット様はどう思いますか?」


 「ん? ああ、そうだな」


 ルーク様はカップに口をつけ、何気ない様子で頷く。


 「外交公務をいくつかこなすなかで、王族としての覚悟が決まったというか……纏う空気が変わったよな。自信がついた表情は見ていて頼もしいくらいだ。……学院入学当初と比べるとシャーロットも大人になったなよなぁ」


 「……」


 私は心の中で大きく、盛大に溜息をついた。予想はしていたけれど、あまりにも予想通りの反応だ。


 「ルーク様。それは『成長した娘を見る父親』の目線ですよ」


 「え? そうか? 兄貴分くらいのつもりなんだが」


 「どっちも一緒です! もっとこう……一人の異性としての感想はないんですか?」


 私が少し身を乗り出して尋ねると、ルーク様はきょとんとした顔をした後、少し困ったように頭を掻いた。


 「異性として、か……。まあ、シャーロットが魅力的な女性だというのは分かってるさ。学院でもファンが多かったし、今では国民からの人気も第一王女に負けず劣らずだしな」


 「なら!」


 「だがなエマ。俺は彼女の騎士で、彼女は一国の王女だ。それに……」


 ルーク様は言葉を切り、どこか遠くを見るような目をした。


 「俺にはシャーロットが、守らなきゃいけない子供みたいに見えてしまうんだよ」


 ――出た。この「老成した視点」。


 ルーク様は決して「鈍感」ではない。人の感情の機微には誰よりも敏いし、シャーロット様が自分に向ける視線や信頼にも、とっくに気づいているはずだ。


 けれど、彼の中には「自分は保護者である」という、強固で不可解な前提がある。


 詳しくは知らないがルーク様は時折、実年齢よりも遥かに長い時を生きたような――まるで一度人生を経験したかのような、達観した精神性を見せることがある。


 その精神的な成熟故に、同年代の私たちを無意識に「守るべき対象」や「手のかかる妹」として認識してしまっているのだ。


 だからシャーロット様の必死な恋心も、彼というフィルターを通すと「兄を慕う妹の親愛」に変換されてしまう。


 ある意味ただの鈍感よりもたちが悪い。難攻不落の要塞だ。


 (本当に、困った方です)


 私はトレーを胸に抱き、彼の背中を見つめる。


 私だってその「家族の壁」に何度も阻まれてきた一人なのだから、シャーロット様の苦労は痛いほど分かる。


 だからこそ――私は、彼女を応援すると決めたのだ。


 私がその壁を壊せないのなら、王女という立場とあの真っ直ぐな情熱を持つ彼女に託したい。ルーク様が「保護者」の仮面を脱ぎ捨て、一人の男性として幸せになれるのなら隣に立つのが私でなくても構わない。


 ……そう、言い聞かせている。


 「……ルーク、少しいいかしら?」


 ちょうどその時、休憩室の入り口から遠慮がちな声がした。


 シャーロット様だ。顔を林檎のように赤くし、指でせわしなく髪先をいじっている。


 作戦会議通り、勇気を出して誘いに来たのだろう。


 「シャーロットか。どうした? 何かトラブルか?」


 ルーク様が瞬時に「副長官」の顔になり、身を乗り出す。


 その過保護さに、私は呆れを通り越して笑いそうになる。


 シャーロット様は私の方をちらりと見た。


 その瞳は不安に揺れている。『本当に大丈夫かしら?』と訴えている。


 私は無言で力強くガッツポーズをして見せた。『行け! 貴女なら出来ます!』という最大限の激励を込めて。


 シャーロット様は深く息を吸い込み、意を決したように顔を上げた。


 「ち、違うの! トラブルとか、任務じゃなくて……次の休日についてよ!」


 「休日?」


 「そ、そう! ずっと忙しかったし、気晴らしに……そ、その、街へ出かけたいと思って」


 「なるほど、息抜きか。いいことだと思うぞ。最近は根を詰めすぎていたからな」


 「そ、それでね……」


 彼女はスカートの裾をぎゅっと握りしめる。真っ白な指先が震えているのが見えた。


 「一人じゃ危ないし、あまり大げさな護衛をつけるのも目立つから……貴方に、ついてきてもらいたいの」


 「俺にか?」


 「ええ。……貴方と二人で、お忍びで街を歩きたいの。……だめ、かしら?」


 上目遣いで尋ねるその姿。潤んだ瞳、紅潮した頬、震える声。


 それは計算高い「作戦」などではなく、恋する乙女が全霊を振り絞った、一世一代のデートの誘いそのものだった。


 これを見て断れる男など、この世にいないだろう。


 たとえ、相手が難攻不落の「保護者」であったとしても。


 ルーク様は一瞬きょとんとしたが、すぐに納得したように頷き、ふわりと優しく微笑んだ。


 「断る理由なんてないさ。最近は少し働き詰めだったからな、たまには羽を伸ばすといい」


 その言葉の裏には、『気心知れる俺が護衛なら、安全に羽を伸ばせるだろう』という、やはり保護者としての気遣いが見え隠れしていた。


 でも今はそれでいい。まずは「二人きりの時間」を作ることが重要なのだから。


 「俺で良ければ、喜んでエスコートするよ」


 「ほ、本当!?」


 「ああ。シャーロットが楽しめるところを案内するよ。行きたい店とかあるか?」


 「あ、ありがとう! ……楽しみにしてるわ! いっぱい考えておく!」


 シャーロット様は弾けるような笑顔を見せると、嬉し恥ずかしそうに駆け出していった。


 パタパタと遠ざかる足音が、彼女の浮かれた心情を表しているようだ。


 その背中を見送りながら、ルーク様は苦笑して再び書類に目を落とす。


 「やれやれ、責任重大だな。王女殿下のエスコートとなると変な店には連れていけないし、警備ルートも考えないとな……ウィンストンにも相談しておくか」


 完全に「仕事モード」だ。デートだというのに、警備ルートの心配をしている。


 「……ふふ、頑張ってくださいね、ルーク様。普通の女の子のエスコートは、任務より難しいかもしれませんよ?」


 私は努めて明るく声をかけた。


 二人のデートが決まった。これで少しは関係が進展するはずだ。作戦は成功。私は従者として、そしてキューピッドとして、完璧な仕事をしたはずだ。


 それなのに。


 (……おかしいですね)


 空になったティーポットを片付ける私の手は、少しだけ震えていた。


 胸の奥が、ズキリと疼く。


 応援しているはずなのに。二人の幸せを願っているはずなのに。


 『俺で良ければ、喜んでエスコートするよ』


 あの優しい声が、あの全幅の信頼を寄せた笑顔が、私だけに向けられたものではないという事実。


 そして、これから始まる「私が入ることのできない二人だけの時間」への想像が、どうしようもなく私の心を締め付ける。


 (……私も2人で行きたかったな)


 ふと、そんな子供じみた本音が漏れそうになる。


 ルーク様と二人で笑い合って、手を繋いで歩く未来を本当は誰よりも望んでいたのは私なのに。


 「……私も、まだまだ修行が足りませんね」


 私は小さな火種のような感情を、冷めた紅茶と一緒に無理やり飲み込んだ。苦い味がした。


 今はまだ、この気持ちに気づかないふりをしていよう。


 私は最強の従者であり、ルーク様の「家族」。その特等席を今はまだ手放したくないのだから。


 私はお菓子を取りに行くと言い休憩室を抜け出す。そして一人、小さく溜息をついた。

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