Special Chapter 2.5『王女の休日』

2.5_01_王女は自覚する

〈Charlotte`s perspective〉


 シルヴァネル商会の隠し通路を抜け、王城の居住区に戻ってきた頃には日付が変わろうとしていた。


 「――お戻りなさいませ、シャーロット殿下」


 自室の前で控えていた侍女たちが恭しく頭を下げる。


 もちろん彼女たちは、私が情報局の長官であることを知らない。夜遅くに戻る場合は大体、書庫にいたかお父様に呼び出されていたことにしている。


 私は努めて冷静に、いつもの「第二王女」としての凛とした声を絞り出した。


 「ええ。夜遅くまでご苦労様。……下がって良いわ。着替えは自分でします」


 「分かりました殿下。……ルーク様はどちらへ?」


 「……彼はもう下がらせたわ」


 「左様ですか。では何か御用があればお呼びください」


 重厚な扉が閉まりカチャリと鍵をかける。


 その瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。


 「……」


 私はふらつく足でベッドまで歩くと、ドレスを脱ぐのも忘れて、ふかふかの枕に顔を埋めた。全身の力が抜け、代わりに身体の奥底から熱いものが込み上げてくる。


 心臓がうるさい。


 ドクン、ドクンと、耳元で鐘を鳴らされているかのように脈打っている。


 「……うぅ……」


 枕に顔を埋めたまま、情けない声が漏れた。ここ最近はどこにいても何をしていても、彼を思い出してしまう。


 今だって数時間前みた彼の笑顔を思い出していた。


 勝利の美酒に酔いしれる仲間たち。その中心でいつものように穏やかに笑う銀髪の青年。


 『お疲れ様、シャーロット』


 私だけに向けられた、労いの言葉。


 そして、まるで春の日差しのような、優しく柔らかい笑顔。


 たったそれだけのことだ。


 今までだって彼とは「友人」として、何度も言葉を交わしてきた。彼の笑顔なんて見飽きるほど見てきたはずだ。


 それなのに。


 あの瞬間、世界中の音が消えて彼だけが色彩を帯びて見えた。胸が苦しくなって、言葉が出なくなって、顔に血が上るのを止められなかった。


 「……私、どうしてしまったのかしら?」


 ルーク・エディンバラは私の騎士であり得難い友人なのだと。彼に対する信頼も、親愛も、すべて「友情」という箱の中に綺麗に収まっているはずだった。


 けれどあの笑顔を見た瞬間、箱から何かがあふれ出た。


 私は仰向けになり天蓋を見つめる。


 豪華なシャンデリアの光が滲んで見えた。


 脳裏に浮かぶのは、あの魔導列車での出来事だ。


 『何があっても必ず君のもとへ帰る』


 あの言葉を聞いた時、胸の奥が熱くなった。


 そして――彼がボロボロになって、本当に約束を守って帰ってきてくれた時。


 傷だらけで歩いてくる彼の姿を見た瞬間、私の心臓は握りつぶされそうなほどの恐怖と爆発するような歓喜に支配された。


 (怖かった……。あの一瞬は国がどうとか作戦がどうとか、そんなことはどうでもよかった)


 ただルークがいなくなる世界なんて考えたくなかった。


 もし彼が戻ってこなかったら。もし、あの優しい声が二度と聞けなくなったら。そう想像しただけで、足元の地面が崩れ落ちるような絶望感に襲われた。


 そして彼を抱きしめた時に抱いた感情。


 (……ああ、そうか)


 私は自分の頬に手を当てる。


 指先から伝わる熱さと、少し早いリズムを刻む鼓動が答えを告げている。


 私は認めたくなかっただけなのだ。


 「友人」という心地よい関係が壊れるのが怖くて。王女という立場を言い訳にして自分の心に蓋をしていただけ。


 「……好きだったんだ」


 言葉にすると、ストンと腑に落ちた。私はルーク・エディンバラという一人の男性に、恋をしてしまったのだ。


 一度認めてしまうと、もうダメだった。堰を切ったように感情が溢れ出してくる。


 もっと話したい。もっと触れたい。あの笑顔を、私だけに向けてほしい。エマさんのように当たり前のように隣に立っていたい。


 甘い高揚感が全身を駆け巡り、ベッドの上で足をバタバタさせたくなるような衝動に駆られる。


 けれど、同時に冷たい現実も頭をもたげる。


 「……ルークは、私のことをどう思っているのかしら」


 彼は優しい。誰よりも誠実で、私を大切にしてくれる。


 でもその優しさはあくまで「友人」として、あるいは「護衛対象」としてのものに見える。


 学院時代から今までの彼と私を思い出してみる。それらすべてに男性が女性に向けるような「熱」があっただろうか?


 (ない……わよね)


 思い返せば返すほど、彼は私を「手のかかる妹」か「守るべき友人」として扱っていたように思える。  今日の祝勝会だってそうだ。私が赤くなっているのを見て、彼は不思議そうに首を傾げていた。


 「鈍感……」


 ぽつりと呟く。だが彼が鈍感などではなく、私が悪いことは分かっていた。あまりに長く友人として接しすぎたのだ。


 きっと私が「好きです」と伝えたとしても、「俺も友人として好きだよ」なんて見当違いな返事が返ってくるに違いない。


 それに、私の立場も問題だ。


 私はイグニス王国の第二王女。自由な恋愛など許される立場ではない。


 いずれは国益のためにどこかの有力貴族か、他国の王族と政略結婚することになる運命だ。


 (もし、万が一ルークが私を好きでいてくれたとしても……王家はそれを許すの?)


 相手はエディンバラ公爵家の三男。家柄としては申し分ない。けれど彼は次期当主ではないし、今はただの一近衛騎士だ。


 王配として彼を迎えることができるのか。周囲の貴族たちは納得するのか。何より、自由を愛する彼に王室という鳥籠のような重荷を背負わせていいのか。


 「……はぁ」


 深い溜息が漏れる。甘い高揚感と、重たい不安。相反する二つの感情が胸の中で渦を巻き、私は何度も寝返りを打った。


 窓の外を見る。空には、欠けた月が白く輝いていた。


 ルークも今頃、あの月を見ているのだろうか。それとも、激務の疲れで泥のように眠っているのだろうか。


 「……会いたいな」


 数時間前に別れたばかりなのに。


 明日になれば、また情報局や王宮で会えると分かっているのに。


 今すぐにでも彼の声が聞きたくて、その温もりに触れたくて仕方がない。


 枕元のサイドテーブルには、彼からもらった魔力共鳴石が置いてある。緊急連絡用だ。私的な用事で使ってはいけないと分かっている。


 でも、手が伸びそうになる。


 「……さすがにそれは良くない」


 私は自分の手をぎゅっと握りしめ、布団を頭から被った。


 暗闇の中で彼の笑顔を思い描く。それだけで、胸が痛いほど締め付けられる。


 これが恋というものなら、なんて苦しくて、なんて幸せな病なのだろう。


 結局その夜は熱い頬を冷ますのに精一杯で、空が白むまでほとんど眠ることができなかった。

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