004-第01話:最強魔王と世の果ての龍姫④

赤い月を揺らした“神龍の咆哮”が放たれた――あの夜。

その出来事から、数日が過ぎた。


オレは、玉座の間の中心に立っていた。


頭上では巨大な機械仕掛けの大時計が刻みをつづけ、歯車の影が床に落ちている。

足もとには魔界の紋章が沈んだ光を帯び、柱列は広間を守る壁のように左右へ伸びていた。


逃げ場も隠れ場もない。

こここそが――魔王が立つべき位置だ。


オレは背筋をまっすぐに伸ばし、影を足もとに落とした。


威圧でも虚勢でもない。

長く魔王でありつづけた重みが、黙っていても広間に広がる。


呼吸ひとつ、視線ひとつで、この場が掌握できるのがわかった。


ただ立つだけで空気が静まる。

千年、魔界を担ってきた魔王の姿とは、こういうものだ。


先の討議の場とは違い、ここにはざわつきがない。


召集に応じた四天王だけが中央に並んでいた。

声は出していないのに、四人の圧だけで空気が揺れる。


日中の議場で暴れ回っていた喧騒は、跡形もない。

この沈黙こそが、魔王の決断を受け止めるための広間なのだと、あらためて思い知らされる。


地脈の大将“震界”ジオファルク。

幽炎の猛将“轟角”ギルヴァドス。

純従の騎士“白盾”ナナポフィア。

夢幻の魔女“紅華”メリィテトラ。


四人が揃っただけで、広間の雰囲気が一変する。


地脈を握る巨躯、炎をまとう猛将、盾を掲げる騎士、気配を読む魔女――それぞれの存在が場へ落ちていく。

声がないのに、場そのものがじわりと締まっていく。


理屈より先に、身体が反応した。

ここに立つ四天王は、魔界を支える核そのものだと、嫌でもわかる圧だった。


日中の混乱が残した熱はすっかり消え、玉座の間は本来の静けさを取り戻していた。

魔王の決断を受けるための空間――その芯が、四人の気配だけで固まる。


胸の奥に落ちる重みは恐れではない。

長く魔界を支えてきた力が、ただそこに在る重さだった。


四人が揃えば、魔界は動く。

それだけで、この場の意味は十分だった。



***



オレは広間の中心から、一歩だけ玉座へ向かって踏み出した。

床の魔界紋章が靴底の下でわずかに光を返し、天井の大時計が刻む影が視界を横切る。


四天王は動かない。

ただ、その視線だけがオレの歩みを確かめていた。


さらに一歩、また一歩と前へ進む。


巨柱の列が後ろへ流れ、玉座の段差が目前に迫る。

広いはずの玉座の間が、この四人の前では距離まで変わって見えた。


誰も声を出していないのに、四つの気配が中央へ集まり、胸へ落ちてくる。


オレは玉座の前で足を止めた。

ここは、決断を告げる者だけが立てる場所だ。


呼吸を整え、四人を順に見渡す。


ジオファルクの揺るがぬ目の光。

ギルヴァドスの燃える気配。


ナナポフィアの張りつめた空気。

メリィテトラの真意を測る視線。


この四人の前で、言葉をごまかすことはできない。


覚悟だけが問われる。

オレは口を開いた。


「……よく来てくれた」


ジオファルクが姿勢を正す。


「兄者。神龍の件と拝察いたします」


ギルヴァドスは腕を組み、あごを上げた。


「長兄よ。どうせ行くだろ? 顔でわかるぜ」


ナナポフィアはひざをつき、頭を垂れる。


「陛下。どうか御決断をお聞かせください」


メリィテトラは視線を外さず、ただ言葉を待っていた。


オレは目を閉じた。

赤い月、放たれた咆哮――あの夜に浮かんだ答えは、もう揺らいでいない。


「……聞け。オレはこれより“世界の果て”へ向かう」


広間の温度がわずかに下がる。


「神龍の真意を、直に見極める。

 あの咆哮がオレへ向けた呼び声なら……無視はできん」


ジオファルクが拳を胸に当て、深くうなずく。


「兄者の道を脅かすものがあれば、儂が討つ。どうか真っすぐ進まれよ」


ギルヴァドスは鼻で笑う。


「帰り道くらい守るさ。魔界ごとでも引き受けてやる」


ナナポフィアは両手を重ねる。


「魔王城の守護、このナナポフィア、全身全霊でお引き受けいたします」


メリィテトラは薄く微笑んだが、表情とは裏腹に、その視線は鋭く真実を測っていた。


「陛下のご不在の間に生じる影は、この身が引き受けましょう。

 敵も、謀も、芽のうちに断ち切ります」


四人の声は、背を押すためではない。

オレがいない魔界を支えるための声だ。


オレはつづけた。


「……あの夜に決したことは覆らん。魔王城の守りは四天王が担え。

 オレはひとり、世界の果てへ向かう」


四人の気配がわずかに動く。


反対もなく、引き止めもない。

その眼差しにあるのは、揺らぎのない信頼だった。


ジオファルクが前に出る。


「兄者。どうか御身を第一に。魔界は儂ら四柱が支えます」


ギルヴァドスが拳を鳴らす。


「帰ってこいよ。死ぬなよ? 長兄がいねぇと宴にならねぇ」


ナナポフィアが深く礼を取る。


「陛下の留守をお預かりできること……光栄に存じます」


メリィテトラが裾を整え、ひと言だけ告げた。


「どうか、道の果てで答えを見いだしてください。

 その答えが、魔界と未来を照らす道しるべになります」


オレは四人を見渡し、決意を固めた。


「……四天王よ、後は任せる」


そのとき、四人が同時にひざをつく。

ジオファルクがうなずく。


「心得た、兄者」


ギルヴァドスが拳を打ちつける。


「任されとけって、長兄!」


ナナポフィアが胸に手を置く。


「御意にございます。陛下のご命、確かにお預かりいたします」


メリィテトラが杖を傾ける。


「御意。城は我らが守り抜きます」


四人の声が重なり、玉座の間に響きを残した。


……ああ、もう心配はいらない。

ここから先は、オレの旅だ。


答えを求めるための、世界の果てへの道だ。



*** つづく。

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