第2話 穏やかな上陸初日(2)

 各地の領主から報告が相次いでいた作物収穫量の激減問題に対し、オセリア王国中央政府主導のもと、王国農業監督庁および王立三軍参謀本部を絶対的な中核戦力とする「豊穣調査隊」が、王国暦443年春に正式に発足した。


 第一調査隊を率いたのは、高名な生産魔法の専門家であり、魔導連邦アルカディアの名誉教授でもあるリプトン伯爵であった。隊員は王国の貴族の中でも評価が高く、まさに王国の屋台骨を支える実力派たちで構成されていた。

 民衆の熱烈な歓声の中、彼らの調査は正式に開始された。


 王国各地で十分な調査が行われた後、同年秋、調査隊は現象の真実性を確認し、これを「土地活性衰退」と命名した。これ以降、調査隊の活動は徐々に理論研究へと移行していったようだ。リプトン伯爵の招聘に応じ、魔法、土壌、気候などの各分野の専門家が数名、この研究に加わった。

 特筆すべきは、これらの専門家が世界各地から集められ、いずれも最高の研究環境を持つと公認されている国、アルカディアが認めた優秀な学者たちであったことだ。

 リプトン伯爵はインタビューで、自分と彼のチームは当代最高の頭脳であり、オセリアの広大な大地に再び生命を吹き込み、民衆の手に笑顔と満腹感を取り戻すと語った。


 しかし、研究は全く進展しなかった。

 それどころか、研究結果が出る前に、いや、何らかの手がかりが見つかる前に、オセリア王国は突如として第二調査隊の正式な結成を発表した。

 一方、先の調査隊は消息を絶っていた。

 関係者を名乗る複数の匿名の人物によれば、第一調査隊の全隊員は実地調査中に死亡し、死因は不明だという。


 第二調査隊を率いたのは、「常勝将軍」の美名を持つオセリア王国グリフォン騎士団団長のモンバットン侯爵だった。隊員は、輝かしい実績を持つ優秀な騎士たちと、複数の王国貴族の後継者候補で構成されていた。

 微妙な期待と芽生え始めた猜疑心の中、彼らの調査は始まった。


 しかし、今回の結果も前回と同様だった。いや、強いて言えば違いはあっただろう。

 同じだったのは、今回の調査隊も何ら進展がないまま行方不明になったことだ。

 だが違ったのは、今回は少なくとも足取りが追えたこと、そして少なくとも王国公式が、この調査隊の隊員全員が行方不明者となったと正面から認めたことだ。


 エリートというのは、便利な使い捨ての道具ではない。それはどんな状況であっても同じことだ。ましてや、王国にとってはなおさらだった。

 やがて王国暦444年半ば、第三調査隊の隊員を募集する告知が、オセリア王国報をはじめとする各新聞に掲載された。

 破格の報酬と、前回、前々回に比べて格段に緩い審査基準は、それでもなお多くの志士たちを惹きつけた。

 こうして同年冬、過去最大規模の調査隊が正式に結成され、各地に分散して彼らの調査が開始された。


 そして第四次、第五次、それに続いて第六次。

 第七次も、もうすぐだろうか。


 一体、どちらが問題の根源なのだろう。もっとも、俺がその答えを探す必要はない。

 とにかく、おそらくは第二調査隊が全員行方不明になった後から、護送や討伐といった類の任務の需要が急増した。傭兵の国、すなわち連合首長国バラクータが介入できない王国において、その市場を引き受ける重責を担ったのが、冒険者ギルドだった。

 後には、王国公式も大規模な支部で様々な任務を発注するようになり、正直なところ、今では騎士よりも冒険者に憧れる子供の方が多いのではないだろうか。

 もっとも、今頃は多くの騎士が内緒でギルドの任務を受けているだろう。今、俺の隣に立っている者の中にも、何人かそれらしき人物がいる。もし上からの監視役でなければ俺の収入になったかもしれないな……いや、今それを密告したところで意味はないか。まだまだ未熟だな、俺も。


 あの長身の男がようやく立ち去った。

 ふむ、ほとんどが商船の護衛と港周辺の魔物掃討か。その中に、いくつか個人依頼らしきものも混じっている。報酬は平均して一件銀貨5枚。なんとも微妙だ。どうりでこの時間になっても残っているわけだ。


 今の段階で俺が必要としているのは、記録が残りにくい依頼だ。もちろん、報酬が良ければそれに越したことはない。

 出港手続きに必要な金はすでに用意してあるが、偽りの身分でそういった手続きをこなせるほどの腕はまだない。だから、『ローラン』という名前が間違いなくリストに記録されることになる。一度現れた名前は可能性を生み、数度現れればなおさらだ。

 確率は極めて低いだろうが、万が一、上が徹底的な捜査に乗り出すような事態が起きた場合、『ローラン』という名前が注目されるのは時間の問題だろう。

 俺が知る限り、少なくとも俺が出発する前は、調査隊の隊員がペラモンを訪れる理由はなかった。行方不明のまま捜索が打ち切られた者や殉職が確認された者は烈士と見なされるが、発見された場合は、おそらくは栄光ある調査隊員に戻るしかない。明らかに自ら逃げ出したと分かれば、当然、未来永劫汚名を着せられる逃亡兵となる。

 逃亡兵がどんな扱いを受けるのか、詳しくは知らないが、ろくなことにはならないだろう。だから道中、俺は細心の注意を払ってきた。経験不足は否めないが、やるしかないのだ。


 では、最も記録が残りにくい依頼とはどんな依頼か。

 答えは当然、個人的な性質の依頼だ。特に、依頼全体におけるギルドの役割が、ほぼ宣伝機能しかないようなものだ。

 そういった依頼の報酬は、たいていが「応相談」という曖昧で美しい言葉で記されているだけで、ギルドの監督もほとんど受けない。だが、だからこそ、実力が伴わない、あるいは身分に曰くつきの冒険者でも仕事にありつけるのだ。

 口悪く言えば、依頼主と受注者、双方に相手を選ぶ資格がない、いわばクズ依頼だ。

 もっとも、ここでのクズというのはあくまで大半の人間にとっての話で、少なくとも今の俺にとっては、最高の依頼だった。


 というわけで、少し考えた後、俺は「モン区下水道内部の清掃」と書かれた依頼書を剥がし、カウンターへと向かった。

 身分を証明し、受付担当者が依頼を「受理済み」と登録するだけで、俺に関する情報を一切記録しないのをその目で確かめてから、俺は安心してギルドを後にした。


 依頼の集合時間は明日の朝10時。今、太陽はまだ沈む気配が全くない。

 準備時間は十分すぎるほどある。


 装備は、今のままで十分だろう。それに、俺は本来あのような場所にいるべきではない。

 下水道に下見に行った方がいいのかもしれないが、今はその時ではない。

 ギルドで下水道清掃のような汚れ仕事を自然に引き受ければ、俺がただの手詰まりの不運な男だと周囲に思わせることができるだろう。だが、白昼堂々、誰もが寄り付かない下水道に向かうのは、おそらく逆効果だ。

 嫌々ながらも、やらなければならないからと適当に仕事をこなすのは多くの人間にできる。だが、嫌な仕事でありながら真面目にきっちりとこなせるとなれば、それはもはやエリートの領域だ。

 落ちぶれた不運な人間の中のエリート、なんていうのは、人の注意を引かないわけがないだろう。


 正直に言えば、もう一つ理由がある。

 なぜモン区の下水道なのか、という点が気になっていたのだ。以前、『3時間でわかるペラモンの素晴らしい都市景観』といった類の本を何冊か読んだことがある。そのどれもが、ペラモン特有の、完成された効率的な下水道管理システムについて触れていた。確か専門の管理チームもいるとか。

 なのになぜ、ギルドの依頼掲示板に、それも個人依頼のような形で掲載されているのか。さらに言えば、集合場所が下水道の入口やどこかの部署の入口ではなく、直接「下水道内部」となっている点も不自然だ。身元確認なし、仕事内容の詳細不明、報酬は応相談、そして依頼書に依頼番号がないということは、これは単独任務だ。

 これらの要素を組み合わせると、俺が考えつく最善の解釈は、管理チームが安価で口の軽い労働力を求めて、仕事を外部委託しているというものだ。それ以外の可能性は低いだろう。まあ、どこかの組織の実験台にされることはないはずだ。


 今これ以上考えても意味がない。

 色々と考えた末、俺が今すべきことは、これから一週間世話になる宿を探すことだ。

 今の俺にとって最適な宿は、ギルドの近く、つまりペラ区とモン区の中間地帯にあるはずだ。この辺りの宿なら、財布の寂しい父親でも胸を張って泊まれるくらいの価格帯だろう。

 この宿は客が少なそうだな。ここにするか。

 

 理屈の上では、一週間まとめて予約した方がいくらか安くなるはずだ。

 だが、「俺は、探せば見つかるような男じゃないぜ」みたいなセリフがなんだか格好良く思えたので、とりあえず二泊だけ予約することにした。

 

 合計銀貨1枚、朝食付き。

 王国の物価が具体的にどうなっているのか知らないが、さすがは最も繁華な地域の一つだな。

 部屋はさほど広くないが、快適さを確保した上で、この価格はかなりお得と言える。

 俺は魔力で軽く身体を清めると、ベッドに横になってぼんやりとした。オーブンの鉄板ほどの大きさの窓から覗く空は相変わらず青く、月が太陽と交代するのを待っていた。


 船の中ではほとんど身動きが取れなかったが、初めての船旅ということもあり、常に微妙な緊張状態を保っていた。

 夜が更けたら下水道の辺りを偵察に行こうかとも考えたが、自分の夜目がそこまで利くわけでもなく、大した情報は得られないだろう。

 それ以上に、ベッドに横たわった途端、綿のように密な睡魔が俺の意識を侵食してきた。

 おそらく、ぼんやりしていた時間は僅かで、すぐに深い眠りに落ちていったのだろう。


 ペラモンでの初日は、今の俺と同じように、穏やかに地面に着地した。

 もっとも、俺が着地したのはベッドの上だが。

 太陽が沈んだかどうかは分からない。だが、俺の太陽は、確かに沈んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

凡塵の歌 @thourch

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ