第1話 穏やかな上陸初日(1)

——「王国の貴族にペラモンの話をさせれば、その巨大な港と財政貢献について語るだろう。歴史学者にペラモンの話をさせれば、その古の灯台と海洋文明について語るだろう。だが、ペラモンに住む地元民に尋ねれば、彼は人差し指を安物の麦酒に浸し、テーブルに歪な壁を描いてみせる。壁の片側は『ペラ』、もう片側は『モン』。それこそが、この街のすべてだと」



 かつて読んだ本には、そう記されていた。

 正直なところ、その一節を読んだ当時は、ペラモンという街がどんな姿をしているのかまったく想像がつかなかったが、今こうしてこの場に立っていても、どこか現実味がない。


 潮風は、どこか塩辛い匂いを運んでくるようだ。海水に含まれる塩分のせいだろうか。それに加えて、あるようなないような魚の生臭さが混じっている。

 これがいわゆる「潮の香り」というやつか。

 思ったほど良い匂いでもなく、少しがっかりした。


 匂いの次は音だ。

 カモメの鳴き声は想像していたよりずっと甲高く、いくらか攻撃的ですらある。

 遠くからは時折、魚の群れが水面を叩く音や商船が立てる低い唸り声が聞こえてくる。さすがは王国最重要の交易拠点といったところか。さらに波止場の、まるで止むことのない喧騒が加わり、いかにも港湾都市らしい音に満ちていた。


 そして、外観だ。

 結論から言うと、例の歪な壁は、確かにここにあった。

 いや、あった、というのも少し違うかもしれない。だがとにかく、そういうものが確かに存在しているのだ。

 違うかもしれない、と言ったのは、物理的に街を隔てる壁のようなものはどこにもないからだ。なのに、確かに存在していると言ったのは、おそらくここに足を踏み入れた者なら誰もが、そこに目には見えない壁があると認識するからだろう。

 本に書かれていた「歪な」というのは、見えないけれども確かに存在する、という意味だったのだろうか。

 まあ、そんなことはどうでもいい。


 東側にあるモン区は、太陽の光がとりわけそこを好んでいるようだった。

 清浄な白い石造りの塔の尖塔が、紺碧の空を背景に光を放っているのが見える。

 秩序、整然。

 まるで塩の塊から彫り出されたかのような、非現実的なほど遥かな街。


 そして俺が今足をつけている、視界に広がる西側が、ペラ区だ。

 海霧が粘つく蜘蛛の巣のように、低く湿った屋根々の間に絡みついている。

 家々は互いに身を寄せ合うように密集し、まるで湿気て生えてきた無数の黒っぽい茸のようだ。

 そこには腐敗と、それと共存する逞しい生命力が満ちていた。


 歪な壁が、一つの街を乱暴に二つに引き裂いている。

 その光景が、何の余白もなく、ありのままに眼前に広がった時、作者が読者に味わわせたかったであろう、その壮大さを実感できる。


「人の営みがある場所には、必ず三つのものがある。神殿、酒場、そして冒険者ギルドだ。旅先では、それらが何より心強い我が家となる」


 もっとも、よくよく考えればこの言葉も完全に正しいわけじゃない。

 なにしろ俺の故郷には、最初から神殿のようなものはなかった。村の外れに正体不明の神像があったきりで、後になってそこに教会が建てられた。

 その言葉が俺の認識の中で正しくなったのは、それからのことだ。


 詳しくは知らないが、どこの神殿にせよ、俺にくれるのは黒パンほどの希望くらいだろう。

 酒場は情報収集の場としては悪くないかもしれないが、いかんせん俺は酒が飲めない。入ったところで、人と打ち解けることもできないだろう。

 冒険者ギルドについては、確かに登録はしてある。何をすべきか分からない時に覗いてみれば、やるべきことを見つける手助けにはなる。後で一度顔を出すべきだろう。

 だが、まずは片付けるべきことを片付けなければ。


 遠目にも異様だと思ったが、実際に足を踏み入れると、この見えない壁の不条理さをより強く感じる。

 だが、道行く人々は皆、とっくに慣れきっている様子で、俺が大袈裟に騒ぎすぎているだけなのかと不安になってくる。


 やはり、新聞の類はこちら側で買うのがいい。


 さすがは賑やかな都市だけあって、新聞の種類は俺が以前いた場所で手に入るものよりずっと多い。だが、新たに追加されているのは、出所の怪しいゴシップや荒唐無稽な噂話ばかりのようだ。

 どうやら俺はターゲット層ではないらしい。


 あった。調査隊の最新動向についての記事だ。


 新聞売りの少年の目の前で、欲しい情報だけを頭に叩き込んで立ち去るのはあまりに失礼だ。ましてや、彼は今、俺のことをじっと見つめている。

 確か、オセリア王国報の定価は銅貨5枚だったはずだ。

 五枚数えて、その小さな新聞売りの少年に差し出したが、彼は俺をただじっと見つめるだけで動かない。

 やがて、彼は手を挙げて指を一本立てた。

 なるほど、と俺はもう一枚銅貨を取り出す。すると彼は満面の笑みでそれを受け取った。


 彼の心のこもった感謝の言葉を聞きながら新聞に目を通すと、なんだか妙な気分になる。


 ふむ、行方不明の隊員リストも、以前と同じようにきちんと載っている。

『ローラン』という名前も、しっかり書かれているな。

 たぶん俺のことだろう。

 これを見たら、家の皆は心配してくれるだろうか。でも、こっちは元気にやってるよ。


 隊への参加を申し込む際、俺は偽名を名乗らなかった。

 というのも、あのようなど田舎の村では、子供に名前をつけるというのは、極めて真剣な、それでいて適当な儀式だったからだ。まるで家畜に耳標をつけるのと同じように、どこか投げやりな真面目さで完了される。

 自分の名前の由来を家族から聞いたことはないが、ローランという名前は特に珍しくもない。これだけ厳しい審査体制下であっても、このローランが、調査中に行方不明になった不運なローラン本人だと証明できる者はいないだろう。

 それに、他の場所に記載があるのかは知らないが、ここに載っているのは行方不明者の名前だけで、捜索の助けになるような外見的特徴といった情報は一切ない。

 最初は偽名で届け出るべきかと考え、今こうして新聞で自分の名前を見るまでずっと少し不安だった。こんなことは言いたくないが、このローランが俺ではない可能性も確かに存在する。もっとも、同名の隊員が偶然同時に行方不明になった場合、どう報じられるのかは知らないが。

 まあいい、とにかくローランという男が行方不明になった、という事実さえあれば十分だ。


 俺は新聞を畳んでポケットにしまった。

 正直なところ、調査隊から支給された装備はかなり質が良かった。特にあのローブは非常に気に入っていたのだが、残念ながらそれらは栄光ある調査隊員の証だ。行方不明になるからには、行方不明になった証拠を残さなければならない。身分証明のための小さな胸章以外の物は、すべて処分するしかなかった。

 なにしろ、痕跡が全く見つからない失踪と、わずかな痕跡が見つかり、追えばさらに見つかりそうだが、それでも確かな結果に繋がるか分からない失踪とでは、世間の注目度がまったく違うのだから。


 心の中で肯定の答えを出すと、俺は先ほどから視界の中で必死に存在を主張している石造りの建物へと歩を進めた——冒険者ギルドだ。今の俺は、何もすることがない暇人なのだから。


 ここの支部もまた、俺の抱いていた支部のイメージ通りの建物だった。

 富裕層の住む区画に置くにはややみすぼらしく、貧民窟に捨てるには立派すぎる。

 その中途半端な外観は、ギルドが必要とする立場そのもののようだ。どちらにも偏らず、頭を下げて歓迎するでもなく、かといって足を踏み入れがたいほどの敷居を設けるでもない。


 この国を跨ぐ組織は異常に巨大で、俺の認識では、人が集まる場所ならどこにでもギルドの支部が存在する。冒険者の数も馬鹿にならないほど多く、どこにあってもおかしくないというより、むしろどこにない方がおかしいくらいだ。

 国を跨ぐがゆえに、どの国もギルドを管理できないとも言えるし、すべての国が管理できるとも言える。そんな状況下では、ギルドという存在は自ずと、様々な立場や身分の人間を、可能な限り多く受け入れられる方向へと寄っていく。

 そして、構成員が多く、世界中に散らばっているからこそ、共通の、そして効果的な管理制度が極めて重要になる。ギルドも当然そのことは理解している。

 だから、冒険者というのはかなり規範的な職業だと言える。なにしろ、俺のいたあの村にすら支部があったくらいだ。


 俺も一応は正式な冒険者だ。以前、家の収穫が芳しくなかった頃にいくつか依頼をこなしたことがある。辺境の小さな支部だったが、理屈の上ではどの支部も運営システムは同じはずだ。

 だからここを、本格的な意味での第一歩としていいだろう。


 ポケットに手を入れてギルド証を探り出し、人だかりができている掲示板へと向かう。どうやら、どの支部もここが一番混み合っているらしいな。

 うまくいくといいんだが。

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