全ての生きとし生ける者へ
青い葵
第1話 ある村人たちの死 前編
「ナタリー。気をつけて行ってくるのよ。何度も言うけど…、」
「分かってるわよ。森の奥深くまでいかなければいいんでしょ。大丈夫よ。木の実をとるだけなんだから。心配しすぎよ、お母さん。」
ナタリーと呼ばれた十歳の少女は、自分がいまだに子供扱いされていることに不満を抱いていた。洗濯、料理、生まれたばかりの妹の世話。母の手伝いをなんでもこなしてきた。十歳だってもう立派な大人だと、少女は思っていた。
「森の奥は子供の立ち入りは禁止よ。それだけは忘れないでちょうだい。」
「わかってるって。ベリーの実をいっぱいとってくるから、シェリーの面倒見て待ってて。行ってきま〜す!」
少女はぶっきらぼうに言うと、手を大きく振りながら小走りで森へと向かった。母親は心配そうに走る娘を見つめる。娘の姿が見えなくなると、抱いていた赤子をあやしながら、部屋へと戻っていった。
「籠いっぱいに詰めて、驚かせてやるんだから。」
森に着いた少女は籠を地面に置くと、あたり一面になるベリーの実を手当たり次第に摘み出した。むしゃくしゃする気持ちに任せて、ベリーの実を毟っていく。時には力を入れすぎて、ベリーの実を握りつぶしながらも、籠いっぱいに実を詰めていった。
「これぐらいでいいかしら。もう夕方になっちゃったわ。」
目の前には籠いっぱいのベリーの実。少女は誇らしげな気持ちになった。
「これでお母さん、私のことを見直すはずだわ。いつまでも子供扱いなんて、嫌になっちゃう。早く独り立ちして、こんな辺境の村から外に出たいわ。帰ろっ。」
少女は籠を頭の上に乗せると、よろめきながら、スキップをして村へと帰っていった。母親の驚いた顔を楽しみにしながら。
「なに?あれ。」
村へと上機嫌で帰っていた少女の目には、村から上がる黒煙が映っていた。燃え上がる民家も見える。
「お母さん…、シェリー…。急がないと!」
少女は頭に乗せていた籠を投げ捨て、走り出した。ベリーの実など、少女の頭から抜け落ちていた。脳裏には、母と妹の笑顔が浮かぶ。
「嘘……。」
村の入り口に着いた。村の門は、空いていた。空いていたというより、破られていた。木製の門の破片があたり一面に飛び散っていて、まるで無理やり突き破られたようだった。
「ひっ……!?」
少女は、右を見た。そこには村長の首があった。右目がない。両耳もない。地獄を見たような、そんな表情だった。
「近寄らないで!」
「助けて!」
「誰だお前ら!」
村の中から、顔見知りの人たちの声がした。何かに追い詰められている村長の娘の声。大声で助けを呼ぶ近所の酒屋の娘の声。勇ましく何かに立ち向かう戦士の声。
「……!?」
村の中に入った少女の目の前に広がる光景は、地獄そのものであった。大きな鉈や鎌を持った屈強な男たちが、村人たちをなぶり殺しにしている。すぐに致命傷を与えず、腕を切断したり、耳を引きちぎったり、無惨である。村を守っている戦士たちが剣を手に対抗しているが、無力。一方的な殺戮が、少女の目の前で行われている。
「ヒャハハ!!」
「その表情!最高だぜ!」
家の方から、男の卑しい声がする。
「離して!」
悲鳴も聞こえてきた。間違いなく、母の声だった。
「お母さん!」
少女は、無我夢中で家へと向かった。走る少女めがけて、斧が飛んできた。間一髪でそれを躱す。頬に掠り、血が垂れても、少女は走り続けた。
「……!?」
言葉が出なかった。家の前には二人の下劣な男。一人は母親の首を絞め、持ち上げている。もう一人は、
「よく見ておけよ。そらっ!」
赤子の首を、引きちぎった。乱暴にそれを投げ捨てる。首は、少女の横に転がってきた。
「……。」
少女の愛する妹の首である。口を大きく開け、目は白目をむいている。少女は、自分の見ている光景が、理解できなかった。
「ナタリー!!」
母が娘の姿に気がついた。だが、大声で娘の名を呼んだのは、悪手だった。
「ほう…。あれがもう一人の娘か。可愛らしいじゃねぇか。」
「妹の首見て、声も出せないっすよ。」
賊の目に、少女の姿が映る。その目は、歪んでいた。何かに取り憑かれたような、そんな目をしていた。
「嬢ちゃん。よく見ててね〜。」
「楽しいショーの始まりだよ〜。」
二人の賊がにたにた笑う。そして、一人が母を地面に叩きつけ、押さえつける。もう一人は、鉈を振りかぶった。
「ギャー!!!!!!」
母の悲鳴が響き渡る。少女は、声が出ない。
「それっ!」
首が斬られた。男たちは、心底楽しそうに笑っていた。母親の顔は、叫んだ表情のまま固まっている。
「……。」
少女は、声が出せない。表情は、無であった。目の前に広がる光景が、現実のものだと理解できなかった。
「なんだよ。あいつ、悲鳴も出しやしない。」
「泣きもしませんよ。つまんないっすね。」
男たちは、不満であった。実の妹と母親を殺されて、絶望で歪んだ表情。それが、彼らが見たいものであった。
「もういい。さっさと殺せ。」
「へい。」
部下らしい男が、少女に近づいてくる。男達は、この少女を殺して、さっさと次の獲物を探しに行こうと考えていた。
「じゃあね。お嬢ちゃん。」
男が鉈を振りかぶる。
「……。」
それでも少女は声を出さない。動かない。少女は内心、もうどうでもいいと思っていた。早く楽にしてほしいとさえ思っていた。
「なっ…!?」
鉈は振り下ろされなかった。男は困惑した表情を浮かべている。
「体がびくともしねぇ。どういうことだ!?」
どうやら、男は体を制御できないらしい。少女は、何が何だかわからなかった。さっさと振り下ろせ。早くしろ。苛立っていた。
「悲しいな。想像以上に。」
少女の隣に、青年がいた。あまりに突然だった。気配など、全くなかった。
「誰だ?てめぇ。」
鉈を振りかざした男が問う。青年は、真っ黒なローブを羽織っていて、その姿はまるでシスターのようだった。
「お嬢さん。死ぬにはまだ早いよ。」
男に目もくれず、青年は少女に話しかける。
「君にはまだ、生きてもらわないと。」
青年は、少女の目をまっすぐ見つめて話す。青年の目は、左目が漆黒、右目が血で染まったような赤で、今にも吸い込まれてしまいそうだった。
青年は、少女から視線を離し、鉈を持った男に向かう。
「じゃあね。」
「あぁん?」
指をパチンと鳴らすと、男が闇に包まれ、
「…え…?」
少女は、初めて声が出た。鉈を持った男は、初めからそこにいなかったかのように、跡形もなく消えていた。
「てめぇ何を…。」
後ろで事を見ていたもう一人の賊が青年に近づこうとすると、
「君もだよ。」
再び青年が指を鳴らし、賊は闇に包まれて消えていった。少女が唖然として青年を見つめていると、青年は振り向き、少女へと歩み寄ってきた。
「死体を集めよう。手伝ってくれるかな?」
少女に奇妙なお願いをしてきた。少女がこくりと頷くと、
「ありがとう。着いてきておいで。」
青年はにこりと笑い、少女の手を引いて村の中央広場へと向かった。
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