第2話 初恋のお姉さんとお酒

 俺にとって初恋のお姉さん、リサねえこと高田理沙たかだりささん。ああ、離婚したから名字は変わっているのか。今の苗字は知らないな。

 俺達が知り合う切っ掛けは、俺が10歳の時にリサ姉達が隣へ引っ越して来た事だった。

 当時18歳だったリサ姉は、既に娘の杏奈あんなちゃんが生まれたばかりだった。

 うちは両親が離婚していて、父子家庭だったし、リサ姉の所は旦那さんが忙しくてあまり家に居ない。


 お互いそんな状態だったから、俺はリサ姉を手伝いリサ姉は俺の世話をしてくれた。

 なんと言えば良いのだろうか? 少し歳の離れた姉弟みたいな関係だったように思う。

 まあ俺の方は、リサ姉が初恋の人ではあるけれども。多分リサ姉にとって、俺は弟みたいな感じだったと思う。


「リサ姉、ビールで良い?」


 そんな人と今から俺は、2人きりでお酒を飲もうとしている。


「他にも何かあるん?」


 小麦色の肌に良く映える、金髪のお姉さんが小首を傾げて聞いてくる。幾つになってもいちいち可愛いなぁもう。


「あ〜その、カクテルも作れるけど。大学の時に作り方を覚えてさ」


 体育会系のノリというか何と言うか、まあそういう飲み会を繰り返す過程で作り方を知った。

 それからは自分で作る様になったから、ある程度はリキュールを持っている。

 どの瓶も結構見た目がオシャレだから、インテリアとしても悪くない。

 綺麗に並べておくと、意外と女子受けも良かったり。相手にもよるけど。


「ほなカシスオレンジとかいけるん?」


「出来るよ、すぐ作れるし」


 普通の1人用冷蔵庫とは別に、小型のカクテル関係のみを入れている冷蔵庫がある。

 そこからオレンジジュースと、カシスリキュールを取り出してシェイカーで混ぜる。

 大学時代の友人達と、如何にカッコよく混ぜるかなんて、バカな事をやっていた過去を思い出す。

 あの頃は楽しかったよな。まだあの頃は彩智さちも…………いや、今はいいだろその話は。


「あっ、俺が飲む濃さにしちゃったけど良い?」


 ついうっかり、自分で楽しむ時の濃度で作ってしまった。やや濃いめだが大丈夫だろうか。


「ウチはお酒弱くないから平気やで」


「そっか、じゃあ後はツマミでも」


 キッチン下の収納スペースから、適当にストックしてあるツマミ類を取り出す。

 格好をつけて買ったカクテル用のグラスに、まともな出番が出来て良かった。

 彼女と一緒に使う事なく、無様にもフラレてしまったという、悲しみの一品なんだけどねハハハ。

 それを初恋のお姉さんが使うというのは、人生分からないものだな。

 もちろんそんな事はいちいち明かさない。俺は自分用に缶ビールを取り出し、リサ姉の対面に座る。


「「カンパーイ」」


 グラスと缶を軽く押し当てつつ、最初の1杯目に口をつける。まさかリサ姉とお酒を飲む日が来るなんてな。

 リサ姉とこれまで積み重ねた思い出が、色々と脳裏に浮かんで来る。

 父親が帰って来られないからと、リサ姉に泊めて貰った事が何度もある。

 杏奈ちゃんと2人で、リサ姉の作ったご飯を食べた事は数え切れない程あった。


「そう言えば、杏奈ちゃんは元気ですか?」


 思わず尋ねた質問は、どうやら余計な一言だったらしい。目に見えてリサ姉のテンションが下がった。


「…………ウチあんま頭良くないからな、裁判とか良く分からんかって。気ぃついたら親権が向こうになってたんや。ホンマ、情けないよなぁ……」


 弁護士の人は頑張ってくれはったんやけどなと、悲しそうな表情でリサ姉は明かす。

 特大の地雷を踏み抜いてしまった。どう言えば良いのか分からない。

 そもそも結婚した事がないから、離婚だとか裁判だとか全く分からない。励ます言葉が出て来ない。


「あっ、えっと、その! 杏奈ちゃん、良い子だからきっと大丈夫ですよ!」


 いまいちフォローになってねぇ! 当たり障りのない発言でしかなく、誰でも言えそうな言葉でしかない。

 何か無いのかよ? 俺だって杏奈ちゃんとは、結構長い付き合いがあるだろ!

 礼儀正しくて冷静だし、元気もあって活発だし、駄目だ……これでは慰めにはならない。


「エエねん、一輝かずき君が気にする事やないしな。ウチが未熟やったってだけやから。ほら、それよりも飲もう!」


 無理矢理笑顔を作ったリサ姉が、お酒を飲むペースを上げる。違う、未熟なのは俺の方だ。

 リサ姉が独りで来ていた時点で、気付くべきだった事だ。離婚したと聞いた時点で、察する事が出来た筈。

 ここでスマートな対応が出来ないから、きっと彩智も俺から離れて行ったのだろう。

 確かに言われた通り、つまらない男じゃないか。こんな時にまるで役に立たない。


「ウチの話はもうエエやん、大体分かったやろうし。一輝君はどうなん? そろそろ結婚とかすんの? あっ……ごめん、コレってセクハラになるんやっけ?」


 話題を変えようとリサ姉が頑張ってくれている。ただその話題は余計に悪いと言うか。


「…………その、さっき彼女にフラレたばかりでさ……」


 俺の話を聞いたリサ姉は、ポカンとした表情でこちらを見ていた。その表情も可愛いけれど、今じゃないタイミングで見たかったな。

 実に微妙な空気になった室内は、一時的な沈黙が訪れる。そして次の瞬間に、リサ姉は笑い出した。


「アハハハ! なんやそれ! ウチら2人揃って破局してもうたんか! ごめんな! 笑い事ちゃうのにな! こないな偶然あるんやな!」


 本来マイナス要素の筈が、まさかのタイミングで被ってしまい、リサ姉のツボにハマったらしい。

 正直もうこうして、笑いものにしてくれた方が幾らかマシだ。過ぎた事は変えられない。

 こうして酒の席で、ネタとして消化してしまう方が良い。


「つまらないって言われましたよ」


「つまらないはキツイなぁ〜! 関西人やったら切腹もんやで!」


 楽しそうに笑うリサ姉を見ていると、あんまり深く悩む事ではないと思えて来た。

 だって離婚して娘の親権まで取られた人が、こうして笑えているのだから。

 だから俺も、きっと笑える筈だ。独りだったら無理だったけど、今はリサ姉が居てくれている。

 もう全部ネタにしてしまって、ここで消化してしまおう。俺は2本目の缶ビールに手を出す。


「処女でセックスは怖いからって、俺ずっと我慢してたんですよ! お陰で彼女が居たのに22歳で童貞ですよ!」


「えぇ!? ほな、一輝君まだなん?」


 心底意外そうな表情で、リサ姉は俺の方を見ている。そうですよ、ガタイだけ立派な童貞ですよ。


「あの耐えた6年は何だったのかと」


 もうヤケになってネタにしたつもりだったのに、次に落とされたリサ姉の爆弾に意識を乱された。

 

「若い男の子やと辛いよなぁ。ウチで良かったら捨てとく?」


「…………え?」


 今リサ姉は何と言った? ウチで? 捨てとく? それってつまり――。


「なぁんて、一輝君も嫌やんなぁ! 三十路のおばさんが初めてなんて! 冗談や冗談!」


「あ、ああ……いや、おばさんなんて事は……」


 本当に冗談だよな? あまりにも普通のトーンで言われたから本気かと。

 正直な話をするなら、リサ姉が本当に相手をしてくれるのなら光栄でしかない。初恋のお姉さんとなら、何も嫌がる理由はない。

 こんな美人で可愛い女性とだぞ? 三十路とか関係ないし、何なら25歳ぐらいに見えている。

 まだまだ現役でやって行けるよリサ姉は。酔った俺はそんな事を思いながら、2人でお酒を飲み続けた。


 翌朝目を覚ましたら、リサ姉は既に居なかった。ローテーブルの周りは綺麗に片付いている。

 そして冷蔵庫を開けたら、リサ姉の作った朝食が入っていた。十分に冷えているが、今何時だ?

 あっぶねぇ、もう12時前じゃないか! 今日が土曜じゃなければ大遅刻だ。

 昨夜何を話したか、あんまり覚えていないぞ。リサ姉に変な事を言っていなければ良いけど……。

 朝食のお礼がてら、明日にでも食事に誘ってみようかな。失礼な事を言っていたら謝らないと。

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