第2話 フリーター、同居人ができる

 新見にいみ真白ましろ、二十三歳。都内の国公立大学に進学したものの、就職活動で惨敗ざんぱいし、あたしのスマホはお祈りメールで溢れかえっていた。

 卒業後は大学一年のころからアルバイトをしていた百円ショップ『百〇ひゃくまる』でそのまま働いている。いわゆる新卒フリーターというやつだ。


 百円ショップと言っている割に、今では三百円、五百円の商品もたくさん販売されている。百円ショップを名乗るな、と思う人も多いだろう。あたしもそう思う。

 しかもとうとう先月からは千円以上の商品も入荷し、驚いた。「なんで百円じゃないの?」と客に聞かれることもある。ほんとそれな、あたしも知りたい。


 百円ショップには毎日たくさんの老若男女が訪れる。平日はお年寄りが中心で、夕方からは学校帰りの学生が多い。土日祝日は家族連れや友達同士で来る人が大量にいて、開店直後だろうが正午だろうが時間関係なくめちゃくちゃお客さんが来る。レジのあの大行列具合はすごい。

 あたしは基本、朝の開店から午後六時まで働いている。パートさんは子持ちの主婦が多いため、土日出勤できる人がどうしても少ない。そのため人手不足の土日出勤は確実で、平日は他のスタッフとシフトを調整しながら二日間ほど勤務。一日実働八時間、週四日勤務。


 ◇


「ただいまーっと」

 トートバッグを片手にアパートの鍵を開け、部屋の中へと入る。一人暮らしだからもちろんあたしの声に応える者はいない。手洗いうがいを済ませ、お待ちかねの夕食タイムだ。


 冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを取り出す。キッチンには空き缶が積み上げられていた。あたしん家の冷蔵庫には、朝ご飯のヨーグルトと、夕食時に飲む缶ビール、ペットボトルの水しか入っていない。

「よっこらせ」

 床にあぐらをかき、早速缶ビールを開ける。ぷしゅっと音が鳴った。一気にあおり、ぷはーっとド定番の声を発した。


 ローテーブルにスマホたてを設置し、動画配信サイトでバラエティ番組を垂れ流す。いただきます、と手を合わせ、大きな口でうな丼を口に運んだ。

 うっまー。最高に美味いぞ、このうなぎ。身もふっくらしてるし、タレが染み込んだ白米も期待通りの美味しさ。


 バラエティ番組のMCの的確なツッコミに時おり笑いながら、一人の夕食を終える。


 トイレに立つと、ふと変な悪寒おかんを感じた。生理でもきたんだろうか。そう思ってスマホのカレンダーで確認してみるが、周期的にはまだ早かった。なんだったんだろうと思いながらトイレの扉を開ける。


 あたしが暮らすアパートはトイレとお風呂が一緒だから、トイレのすぐ横にはお風呂が備わっている。

 一人暮らしをしている友達たちはみんなバス・トイレ別が良いと言っていたが、あたしはその辺のこだわりは一切ない。バス・トイレ別の方が家賃が高いらしいので、安いここを選んだ。


 用を足していると、お風呂場のある一点から妙な白い光が出ているのに気づく。まぶたを擦ってみるが、光は消えないどころかどんどんその範囲が広がっていった。

「え、なに」

 思わず立ち上がると、光はまぶしさを増し、お風呂場一体を包み込んだ。そのあまりのまぶしさにあたしは反射的に目をつぶった。


 ――目を開けると、目の前には赤いマントを羽織り、長剣を構えた男がいた。

「は?」

 口が半開きになっているのが自分でもよくわかる。


 いやいやまてまて、誰だよこいつ。ストーカー、にしてはこの変な格好が不可解か。それに扉を開けたときには誰もいなかったはずだし、隠れているのも無理があるだろう。


 お風呂場で未だ長剣を構える男を上から下まで眺める。まるでアニメに登場する勇者や剣士みたいな服装。サラサラの金髪に青い瞳。顔はまあまあイケメン。

 イケメンだからって不法侵入は許されないだろう。


「よし、とりあえず警察だ」

 その間三秒。あたしは下がっていたズボンを上げ、手を洗う。急いでトイレから出ると、スマホで110番を押した。

「もしもし、あのー、今ですね。アパートに……」

「ケイサツ……ケイサツだとっ!? それはダメだ!」

 あたしが電話をしていると、トイレのドアがバンッと開き、先ほどの男がスマホを取り上げようと接近してきた。


「ちょっ、なにすんの! 返して!」

 あたしは慌てて応戦する。くっそ、さすがに男には勝てないか。力は割と強い方だと自負しているが、さすがに同年代であろう男には叶わず、あっけなくスマホを取られてしまった。

「む、どうすればいいんだ……?」

 スマホを確保した男は、あたしの攻撃を軽くかわしながらそんなことを呟く。スマホを色々な角度から眺めた男は、「まあいっか」と片手で――スマホを折った。


 もう一度言う、折ったのだ、スマホを。パキンと。


 男は安心したようにふぅと息を吐き出す。

 スマホが壊されたことに怒りと驚きがき上がってきたものの、男の気が緩んだその一瞬のすきを狙ってあたしは彼の急所に蹴りを入れようと試みた。けれども男はいとも簡単にそれをける。


「ま、まてまて、オレは怪しいものじゃない! 話を聞いてくれ!」

「は? 怪しいやつはみんなそう言うでしょ!」

「それもたしかにそうか! じゃあなんて説明すればいいんだ?」

「そんなのあたしが知るわけねぇだろ」


 どんどん自分の口が悪くなっていく。大声で暴れていたからか、隣からドンドンッと壁を叩かれた。さすがにこの音量で喋るのはご近所迷惑になりかねない。万が一にも大家さんに話が伝わり、ここを追い出されたらさすがにまずい。このアパートはバイト先にも近いし、家賃も広さも気に入っているから引っ越しなんて嫌だ。


 あたしは一度大きく深呼吸をしてから床にあぐらをかくと、男を見上げ、人差し指で床を指さす。

「わかった。話くらいは聞く」

 そう言ったあたしに対し、男はキラキラした目で「それは助かる!」と興奮しながら腰をおろした。

「だから声がでけぇ!」

「君の声もだいぶ大きいと思うが?」

 のんきにマジレスしてくる男をあたしは思いっきり睨むと、彼は「ま、まあまあ、話をしよう、話を」とテンパりながらあたしから距離をとった。

 嫌な予感しかない。あたしは腕を組んで天井を見上げた。


「オレはユリウス。友人からはユーリと呼ばれている。見ての通り勇者だ」

 お風呂場に突如現れた男は両手を広げ、そう名乗った。見ての通り勇者、というのはまあまあ納得してしまうが、アニメやゲームじゃあるまいし、日本に勇者はいない。


「なんで風呂場にいた?」

「それなんだが……おそらくオレは間違って転移魔法をかけられたのだと思う」

 転移魔法? おいおい、今流行りの異世界転移みたいなこと?

「……じゃあなに、あんたは違う世界から来たって言いたいわけ?」

「そういうことだ。オレの暮らしていた国はシグリルアと言って、冒険者の多い国なんだ。もともとこの世界のことはじいちゃんから聞いていたが、まさか本当に来られるとは思わなかったな」

 ちょっと嬉しそうに話すユーリは、正座の状態でそわそわしている。


「転移する人がそんなにいるってこと?」

「転移魔法を使える者はそんなにいないのだがな。異世界研究という分野がオレの国にはあって、その一環で、この世界に転移する研究者たちがいるんだ」

 なんともファンタジーすぎる。突拍子もない話に内心あきれながらも、頭の中で情報を整理していく。


 そのいち、ユーリは異世界からやって来た。


「あんたが元の世界に帰る方法はわかってるの?」

 端的にそうたずねると、ユーリは「あ、」と間抜けな顔で口をぽかんと開けた。彼の視線はあちこちにせわしなく動く。

「え、えっとだな、転移魔法をかけてもらう……のだと思う」

 汗をかき始めた彼は不安そうな表情であたしを見つめる。


「でもあんたさっき、転移魔法を使える者はそういないって言ってなかった?」

「言ったな……」

「じゃあどうやって元の世界に帰るつもり?」

「転移魔法を使える者を探して……」

「探すあてはあんの?」

「ないな……」

 ユーリはそう言って体をちぢこまらせた。


 まだ転移して間もないから考える時間はなかっただろうが、こいつは今後日本でどう過ごすつもりなのだろうか。あたしのことを頼りにされても困る。

 あたしはあぐらをかいた右膝の上にひじを置き、頬杖をついた。


「あたしの部屋には泊めないから。身元も証明できないやつと暮らしてるなんてバレたら困る」

 あたしはあごをくいっとあげて、縮こまるユーリを見下ろす。

「そ、そこをなんとか……! ここで会ったのもなにかの縁だし! 頼む!」

 懇願するようにあたしの近くへはいはいしながらにじり寄るユーリを、クッションで阻止した。


「無理なものは無理」

「面倒なことには巻き込まないからどうか!」

「もうすでに巻き込まれてんだよ!」

 あたしはユーリの顔にクッションを押し付けるが、彼はそれをものともせずに突き進んでくる。そのまま壁まであたしが押しやられた。

「頼む! えっと……あ、そういえば君の名前を聞いてなかったな。なんというんだ?」

「あんたに教える名前はない」

 我ながら異世界っぽいセリフを吐いてしまった。


 またもあーだこーだ言い合っていると、壁をドンドンッと叩かれた。さっきよりも叩く回数が増えている。壁時計を確認すると、時刻はもう二十二時。今日は我慢するしかないようだ。

 あたしは立ち上がって冷蔵庫に向かう。缶ビールを取り出し、立ちながら腰に手を当て、一気飲みした。缶ビールは一日一本と決めているが、今日は酒を飲まないとやっていられない。


 ユーリもその間に立ち上がり、あろうことかあたしのバイト用リュックを漁り始めた。

「おお! ニイミマシロというのだな! この世界では後ろが名だと聞いたからマシロか!」

「なに勝手に見てんの!」

 ユーリが持った名札を取り返そうと手を伸ばすがあっけなくかわされる。こいつ地味に日本語も読めるのかよ。

「くそがっ」

 あたしは悪態をついたあと、抵抗しても叶わないことを悟り、ベランダに出る。ああ、むしゃくしゃする。バカでかい声で叫びたいくらいだ。


 ユーリもベランダに出てくると、「外は心地良いな」と微笑んだ。まあまあイケメンな顔で笑っているのを見ると、また無性に腹が立ち、あたしはユーリの足を踏んだ。それはかわされず、ユーリはやたら真面目な表情であたしに向き直る。

「迷惑をかけていることは承知だ。マシロが望むことはなんでも言ってくれ。できる限りする。だから少しの間ここに泊めて欲しい」

 綺麗な青い瞳がまっすぐにあたしを見つめる。


 ぼさぼさな茶髪を一つにくくり、眉毛だけをかいた特徴のない顔。半袖Tシャツに短パンというラフな格好。勇者の瞳にやさぐれたフリーターの姿が映し出される。

 はぁっと大きな息を吐き、腰に両手を当て、あたしはバイト先で見せる営業スマイルを作った。

「早く出てけ」

「今のは了承してくれる流れでは!?」

 まあまあイケメンな顔が困惑の色に染まる。


 ――フリーターのあたしに、同居人ができた。

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