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 天気がいいから買い物に行きたいという発想がなかったので、秋人はげんなりした。日光にはなるべく毎日当たりましょうという医者のアドバイスも思い出してさらにげんなりする。そんなことは重々承知だが、日光はおそらく俺が嫌いだ、だから俺も嫌いだ。


 一日に用事は一つでも済ませれば、その日は他に何もやりたくない。一日に二つも三つもやることが詰まっていると、考えるだけで家から出たくなくなる。


「結婚するにしても指輪なんて要らないだろ」

「一度買ってみたかったんです。秋人さん、どうしても嫌ですか?」


 意外と熱意のある懇願に負けて、秋人は渋々承諾した。鬱病患者はとにかく疲れやすいのだと懇切丁寧に説明するのはまた今度にしようと思った。もう命を説得したり説明したりする気力はなかった。


 都心のデパートに連れて行かれた。予想通り休日のデパートは人が多かった。

 前髪で顔を隠してださいグラスをかけていても人目が集まるのもあり、その場にいるだけで疲れる人ごみは嫌いだった。


 命はショーケースに並んだ指輪を一通り見たあと、ほとんど悩まず指輪を決めた。装飾品全般に興味がない秋人からすれば、目が飛び出るような値段の指輪だった。


「もう決めたのか?」

「ええ。一通り見ましたし、これが秋人さんに一番似合いますよ」

「そうじゃねえよ。憧れはどうした。あんた、こんなものまですぐ決められんのかよ」

「はい。即断即決できるのが僕の長所です」


 命は照れ臭そうに微笑んだ。俺は少しも褒めていない。


 結婚指輪は既製品で刻印もしなかったので、一時間ほど待って受け取ることができた。


「秋人さん、今夜はお祝いのディナーにしたいと思うんですが、レストランと家だったらどっちがいいですか?」

「家がいい」


 外で食べるのは気が引けた。人目があるところにはなるべくいたくなかった。食事をするときに他人がいると落ち着かず、味が余計にわからなくなるのだ。


「わかりました。せっかくですし、地下で美味しそうなものでも買って帰りましょう」


 百貨店の地下でワインと総菜を買って家に帰り、二人でささやかなお祝いをした。


 酒を飲む人の数はめっきり減っており、秋人も酒を飲んだことがなかった。興味はあったのでワインの匂いだけ嗅がせてもらったが、とても飲める気がしなかった。

 しかし、命は水のようにワインを飲んでいて、急性アルコール中毒というものになるのではとひやひやさせられた。


 酔った命が恋愛映画よろしく跪いて、左手の薬指に指輪を嵌めてくれた。


「健やかなるときも、病めるときも……」

「俺もう病んでる」

「そうでしたね。まあいつどんなときでも……あれ、なんだっけ。忘れちゃいました」


 命は笑い声をあげて、ワイングラスを手に取りながらソファーに倒れ込んだ。恐ろしいバランス感で、手に持ったグラスの中のワインは一滴も零れなかった。


「適当過ぎるだろ」

「いいじゃないですか。結婚なんて大げさに言われていますが、実際には紙に書いて出せば終わりですよ。そうでなくても僕は秋人さんのこと大事にしますよ」

「そりゃそうだろうよ」


 命はグラスに残っていたワインを呷る。


「それに、僕はあんまり言葉を信じていないんです。言葉は儚くて、綺麗にすぎて、人をあっさり騙せてしまえるものです」


 命は掲げた空のグラス越しに秋人を見つめた。命は時折りこちらをぞっとさせる空虚を覗かせるが、今もまたそれが見えた。何でもかんでも信じて、何でもかんでも他人に信じさせそうな男は、その実何も信じてはいない。どんな言葉も軽々並べられるのは、言葉に大した価値がないと思っているからだ。


「だったら何を信じてるんだ?」

「永遠」


 そんなものは存在しない、と言いかけて、秋人は言葉を飲み込んだ。命は目を瞑って寝息を立てていた。


 秋人は命の手からワイングラスを取って脇に置くと、その左手の薬指に指輪を嵌めてやった。流れるような線を描く銀色のリングに埋め込まれたダイヤモンドがちらちらと光る。


 流れに沿ってあしわられた控えめな大きさのダイヤモンドたちは、覗き込めば星が見えるようカットされていて、ひと粒ひと粒が洗練された輝きを宿していた。


 もっとよく見ようと命の手を引いた。命の手のひらの皮膚は硬かった。仕事をしている人間の手だった。

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