【魔界の給食改革】転生したら魔王軍の調理係(オーク)でした。特養勤務20年の「管理栄養士スキル」で厨房をホワイト化したら、魔物たちが健康になりすぎて人間界がピンチな件

雨光

第1話 魔王軍の厨房は、深夜のワンオペよりタチが悪い

目が覚めた。

 

知らない天井だった。  


(まあ、それはいい。異世界転生ものの定番だ。)  


問題は、臭い。  

とにかく臭い。  


例えるなら、真夏のゴミ集積所と、一週間洗っていない柔道着をミキサーにかけたような匂い。


「おい、新入り」  

頭蓋骨に青い火を灯した骸骨(スケルトン)が、顔を覗き込んできた。


「いつまで寝てやがる。ランチの仕込み、終わんねえぞ」


「ランチ?」

 

私は身を起こした。

 

体中が痛い。  

緑色の太い腕。節くれだった指。  

鏡はないが、どうやら私はオークか何かに生まれ変わったらしい。


「ここ、どこですか」


「魔王軍、第七師団の調理場だ」

 

骸骨は包丁を放り投げてよこした。  


赤錆が浮いている。


「メニューは?」


「人肉スープと、泥団子」


「……栄養バランスは?」


「あ?」  


骸骨が顎を外して笑った(ように見えた)


「腹が膨れりゃいいんだよ。文句言ってねえで手を動かせ。勇者が攻めてくんだぞ」


私はため息をついた。  


前世は、特別養護老人ホームの管理栄養士。

勤続20年。  


それがどうだ。  


転生先は、衛生管理(HACCP)概念ゼロのブラック職場。

 

しかも、同僚は骨。


「……まず」

 

私は立ち上がり、錆びた包丁を床に突き刺した。


「手洗い場はどこだ」


「はあ?」


「アルコール消毒はあるか。次亜塩素酸ナトリウムは。なければ熱湯でもいい」


「何言ってんだお前」


「食中毒を出す気かと言っているんだ!」


私の怒声が、薄暗い厨房に響き渡った。  


鍋をかき混ぜていたゴブリンたちが、ビクッと手を止める。  


やれやれ。  


どうやら、ここでの私の仕事は「調理」以前の、「教育」から始めなきゃいけないらしい。


厨房の隅を見る。  


萎びた芋のような根菜。  


そして、靴底のように硬化した干し肉。


「これを使えと?」


「ああ。文句あるか?」

 

骸骨が顎を鳴らす。  


私は腕まくりをした。  


管理栄養士をナメるなよ。


まずは干し肉だ。  


このまま煮てもゴムを噛むようなもの。  


私は研ぎ直した包丁を構えた。  


繊維に対して直角に刃を入れる。  


厚さは2ミリ以下。  


断面積を広げ、短時間での加水分解を促すと同時に、出汁(だし)の抽出効率を最大化する。


鍋に、正体不明の動物性油脂を敷く。  


強火。  


煙が立つ寸前、180度まで加熱。  


そこへ肉を投下。


ジュウウウウッ!


爆ぜる音。


立ち上る白煙。  


メイラード反応だ。  


アミノ酸と糖が熱によって結合し、褐色の香気成分を生み出す。  


ただの「焦げ」ではない。  


これは旨味の凝縮であり、食欲を中枢神経に直接叩き込むための化学的な「麻薬」だ。


オークたちが鼻をヒクつかせた。  

本能が反応している。


そこへ水を張り、根菜を放り込む。  

沸騰したら弱火へ。  


ここからは徹底的なアク取り作業(オペレーション)。  


雑味となるタンパク質の変性カスは許さない。  


透き通ったスープだけが、疲弊した細胞膜に染み渡るのだ。  


仕上げに岩塩をひとつまみ。  


完成だ。


「おい、骸骨。味見しろ」


「あ? 俺は骨だぞ。味なんて……」  


骸骨がお玉からスープをすする。  

カチ、と顎が鳴った。


その瞬間、厨房に雷が落ちた(ような気がした)


「――――ッ!?」


 骸骨がガタガタと震え出した。  


カカカカカッ! 


と骨が打ち鳴らされる。


「な、なんだこれはぁぁぁ!」  


眼窩の青い炎が、カッと見開かれ、天井まで火柱となって噴き上がった。


「深い! 深いぞ! 干し肉の獣臭さが消え、凝縮された旨味だけが奔流となって押し寄せてくる! 根菜の甘みが優しくそれを包み込み……こ、これはまるで、母なる大地の抱擁(マザー・アース・ハグ)だ!」


「ただのスープだ」


「いや違う! 俺の枯れ果てた骨の髄まで、栄養が染み渡っていくのが分かる! 見えるぞ、300年前に死んだ母ちゃんの顔が! 菜の花畑が! 俺は今、生を感じているぞおおお!」


骸骨が膝から崩れ落ちた。  


拝んでいる。  


大袈裟なやつだ。  


だが、周りのゴブリンたちも、半開きの口からダラダラと涎(よだれ)を垂らして見ている。


私はお玉を持ち上げ、鍋の縁を叩いた。  


カンッ。


「並べ。ただし」  


私は入り口の水桶を指差した。


「手を洗った奴だけだ」    


その日、魔王軍の厨房に、創設以来初めての行列ができた。


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