第18話 赤い女の正体
「朝顔……どうして」
「この世で最も愚問な『どうして』ね。あなたが無理をしないと言って、無茶をしなかった試しがないじゃない」
「ははっ、面目ない」
「安心なさい。そこのストーカー女は私にも牙を剥いた。刃物を片手に睨んできたからにはそれ相応の
隣に並んだ朝顔を横目に、僕はぽりぽりと頬をかく。
おまえは僕の尻を追いかけすぎてやしないか、とか。烏野さんが僕と目を合わさないようにしている、とか。そんな些細なことは、一旦棚に上げておくことにした。
「今日はまた一段と着物が似合ってるな。やりすぎるなよ」
「私情は一度だけよ。私だって許可なくあなたをつけていたのだから。これが……同族嫌悪という感情なのかもしれないわね」
「そんな顔をするな。お前は僕を甘やかしてくれる、それでいいじゃないか」
「……そう。あなたがそう言うなら、そうなのでしょうね」
幼なじみの愛が一方的に重い。
それって、実に都合のいい関係のようにも思える……。
僕だってたまにはキリストよりも愛がこもった言葉を返してみたいけれど、聖書の主役でもない脇役には、ちょっと荷が重い。考えてもみてほしい。高校に進学してから、僕が何かひとつでも自分の力だけで解決できた
まねきねこ公園では、ヨアちゃまのよく通る声が野良猫の霊を導いた。
ドッペルゲンガーの帰る場所を示したのは、ウィジャ盤に降りてきた守護霊で。
あのツチノコじみた面妖な蛇を、愛のパワーでなんとか抑えつけたのは師匠で。
壊れたノートパソコンを一時的に起動させたのは、安東先生に懐いた付喪神だ。
猫に小判。馬の耳に念仏。モブに霊感。脇役にきざな台詞。価値もわからず、意味もない言葉を夜風に吐き捨て、僕は駆けた。
「愛してる、朝顔」
「役所は閉まってるわよ」
ずっこけ。
僕もおまえもまだ十五歳だろ!
然るに、国宝級に実のない冗談を理解できてしまうは、やはり幼なじみの愛が深すぎるからなのだろう。果たして僕が、婚姻届けを誰かと出しに行く日は来るのか。神のみぞ知ると締め括れば、神さまなんていないと宣言しているようなものなので、愛のみぞ知ると締め括ることにした。
諧謔、諧謔。とは、いかない。
この噺は、まだ終わってもなければ「振り出し」に戻っただけなのだから。
歩行田となりはまだ『服役中』で、いるはずのない『赤い女』が他にいる。
今頃、師匠は、タバコ片手にギプス生活を送っているのだろうか。あの人が何をしているかなんてミジンコほどの興味もないけれど、先日の、ありがたいお言葉だけは拝借させていただく。
そういうことにしておいたほうがいいことも、世の中には相応にしてある、と。
そもそもの『元凶』を絶つ。
断って、未来に繋げる。
井龍の為にも、ヨアちゃまの為にも。
人生初のナンパだった。目白台の周辺をうろつく赤いドレスを纏ったべっぴんさんに、僕はにこやかな笑顔で声をかけた。
「こんばんは。香川桂華さん。素敵なドレスですね」
効果は覿面。香川さんはあからさまに顔を引き攣らせている。
「先ほどはどうも」
「あっ……あなた、翔馬の家にいた」
「一年二組の木天寥小金です。以後お見知りおきを」
ボウ・アンド・スクレープ。
右足を引き、右手は胴に、左手は水平に横へ。ドレスをまとった淑女が相手なのだ。ならばここは貴族然とした挨拶がふさわしい。さて、自分に酔うのはこのへんにして。
「ところで、香川さんは東雲高で囁かれている『赤い女』の噂を知っていますか? なんでも井龍のことをつけ回してるヤバい女がいるらしくて、学校中その話で盛り上がってるんですよ。誰なんですかね。もしかして、身近にいたりして。……そう言えば、香川さんも」
「す、ストップストップ」
「はい?」
「その話、誰かが言いふらしてるってこと? もしかして、よあきちゃん?」
カチンときた。
なんだ、その言い草は、と。
「とぼけるなよ。香川桂華。『赤い女』の正体は――おまえだろ」
「………………⁉」
そりゃ、面食らうよな。
沈黙もする。
沈黙は金で、雄弁は銀。されど、能弁はプラチナ。師匠の教えだ。
「この先には井龍の家がある。そんな恰好でいったい何をしようとしてたんだ?」
「……なにを言い出すかと思えば。私と翔馬はご近所さんよ。ピアノを習ってるの、私。その帰り。だから、服装にも気をつかってるの。ていうかあなた、いきなりなに? ちょっと失礼じゃない?」
師匠ならこんな時、なんて言い返すだろう。
香川桂華は、どんなことを言われたら
黙秘という名の「金メッキ」を剥がして、心の声を引きずり出してやる。
「いや、これは普遍的な『真実』だよ」
「意味が分からないし、話にならない」
「やれやれ……。キミが『赤色』の意味を知ったのはその意味を知ろうとした時だよ、香川さん。知りもしないで、知ろうともせずに、知ってることだけを頭に並べて、脳死で受け答えするなよ。僕はおまえが赤い女だってことを知ってるんだぜ」
「……エビデンスでもあるの?」
「利口ぶるなよ、お利口さんが」
ニヒルに笑うと、香川は顔を強張らせた。
「まあ、僕も『それ』を見るまでは、半信半疑だったんだ。それとも言えるし、あれとも言えるし、これとも言える。エビデンス、エビデンス。《証拠を出して》《データを見せて》と言えば一度で理解できることを、わざわざワンクッション置いて知識人ぶる、浅いワードだったよな、確か」
「………………っ」
「意味は、根拠、証拠、裏付け、だっけか。ならまずは根拠から話そう」
と嘯くや否や、香川さんは逃げも隠れもせず僕を
何を見られたのか。僕が何を知っているのか。それが
いや、
(こいつの気持ちなんて理解したくもない)
「場所を変えようか、キミも嫌だろ? 井龍にこんな現場を見られるのは。いや、違うか、おまえは《見せたがり》だったっけか」
「なんの事かさっぱり。てか、ついて行くわけないでしょ。……よく知りも知らない人に」
「なら僕は井龍の家に行く。あいつの心の傷はな。いや、いい。おまえは勝手にしろ」
無言で横を通り過ぎると、後ろからガッと肩を掴まれた。
「……ちょっと待ちなさいってば」
「なんだよ」
「翔馬に、あることないこと言う気でしょ……」
「その内容を先に教えてやるって言ってるんだ。まさかとは思うけど……香川おまえ、この程度の話についてこれないバカじゃないよな?」
そんな恰好で外を出歩いている時点で、バカ決定なのだが。
「三度は言わない。場所を変えよう」
演じるのも、もう疲れた。
しばらく歩くと、ヨアちゃまと初めて顔合わせた場所に到着した。人気のない「まねきねこ公園」のすべり台脇で僕は、巡り合った人たちの意識を集合させるように、答えを紡いでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます