第12話 禅系Vtuber空の物語

「もう来んなよ、空気なんだから」


ガタン。机が倒れ、教科書が散らばった。誰も何も言わない。笑い声だけが教室に響く。私は、いないものとして扱われている。


帰り道、夕焼け空がやけに遠く感じた。怒りも悲しみも、どこかに置いてきた。ただ今日も、私はマイクの前に座る。


私は禅系Vtuber『くう』。現役中学生。

顔も名前も偽っている。でも、それがいい。本当の私は、きっと届かないから。


「……こんばんは。今日の禅語は“幻化空身(げんかくうしん)”」


声が、少しかすれる。


「この身は幻。だからこそ自由になれる――その言葉に救われて、Vtuberを始めました。幻だから誰かの心に触れられるって……でも、今日はダメみたい」


マイクを握る手が震えた。


「また机を倒されて、教科書を踏まれた。“空気以下”“いらないもの”って」


その瞬間、コメント欄が動いた。


くうちゃん、生きててくれてありがとう」

「幻の言葉に救われてる」

「幻だからこそ、優しさが届く」


涙が、キーボードに落ちた。


私は幻かもしれない。でも、幻のまま終わらない。


「今日の禅語、もうひとつ。“本来無一物(ほんらいむいちもつ)”。人はもともと何も持っていない。だからこそ、自由に何者にでもなれる。――私は“くう”になって、生き直してるんです」


声に、ほんの少しだけ力が戻った。


「今日もありがとう。幻の中で、本物の想いを届けたいです」


その数ヶ月後、私のチャンネル登録者は10万人を超えていた。


ある日、教室で先生が言った。


くうってVtuber、人気あるらしいな」


「あのV、禅語語ってるやつだろ?」


クラスメイトの視線が私に集まる。


「……お前、そらって名前だったよな?」

「まさか、あのV……お前?」


私は顔を上げて言った。


そらだけど、“空気”じゃないよ」


「“空気なんだから来んな”って言ってくれてありがとう。あれがなかったら、“くう”にはなれなかった」


彼は黙っていた。


「ざまあみろ。私は“いらないもの”なんかじゃなかったよ」


その夜の配信タイトルは――


「幻のままじゃ終われない。空は、空気じゃない」


コメント欄は、光であふれていた。

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