第45話 決定的な証拠と、聖女の鉄槌(物理)

「返してもらおうか、ドブネズミ」


 地獄の底から響くような声と共に、グレイブス教諭が杖を突きつけた。

 杖の先端には、ドス黒い紫色の魔力がバチバチと不穏な火花を散らしている。


 その背後には、破壊されたゴーレムの残骸と、感動に打ち震えるギデオン様。そして、私とぷるんちゃんによって、もぬけの殻にされた工房(元・宝の山)が広がっていた。


「それは私の命よりも大事な『研究成果』だ。……生きてここから出られると思うなよ?」


 彼の血走った目が、私が手に持っている『裏帳簿』と『生徒カルテ』に釘付けになっている。

 なるほど。機材を盗まれたことよりも、この「証拠」を見られたことの方が焦っているわけね。


 私は手元のファイルをパラパラとめくった。


『実験体No.104:魔力暴走により廃棄』

『闇オークション取引履歴:ドラッグ原液、金貨500枚で納品済み』


「うわぁ……」


 私は露骨に顔をしかめた。

 ドン引きだ。清掃員として色々なゴミを見てきたけれど、ここまで腐敗臭のする汚物は初めてかもしれない。


「先生、これ流石に『燃えるゴミ』じゃ済みませんよ? 分別区分で言えば『特級有害産業廃棄物』……いいえ、社会的に『埋め立て処分』が必要なレベルですぅ」


「黙れェェェッ!!」


 グレイブスが絶叫した。

 理性のタガが外れたその顔は、もはや教育者ではない。ただの悪党だ。


「貴様のような下賤な掃除婦に、私の崇高な研究が理解できるものか! 死ね! 塵となって消え失せろ!!」


 ドォォォォン!!


 彼の杖から、赤黒い炎の渦が放たれた。

 『腐食炎(アシッド・フレア)』。

 触れたものを溶かし尽くす、極めて悪質な攻撃魔法だ。


 しかも、こんな閉鎖空間でぶっ放すなんて、換気のこととか考えてないわけ!?


「アリアさん、危ないッ!!」


 ギデオン様が悲鳴を上げる。彼が助けに入ろうとするが、距離が遠すぎる。


 でも、私は動じない。

 むしろ、呆れていた。


「はぁ……。だから言ってるじゃないですかぁ」


 私は背負っていた赤いタンクを、流れるような動作で構えた。

 そして、ピンを抜く。


「廊下や室内での花火は、校則で『禁止』ですぅ!!」


 プシューーーーーーーーーーッ!!!


 私の手元から、凄まじい勢いで真っ白な泡が噴出した。


 それはただの消火剤ではない。錬金術科の廃棄薬剤を独自配合して作った、対魔力中和剤入り『業務用ハイパー消火フォーム』だ!


 ジュワワワワッ!!


「な、なにィッ!?」


 迫りくる腐食炎が、泡に触れた瞬間に中和され、シュワシュワと情けない音を立てて消滅していく。

 炎を構成する魔力配列そのものを、泡が物理的に分解・洗浄してしまったのだ。


「私の炎が……消えた……だと!?」


「火の用心は基本ですぅ! ついでにその汚れたお口も洗浄しておきますねッ!」


 私は噴射ノズルをそのままグレイブスの顔面に向けた。


 ブシャァァァァァッ!!


「ぐあぁぁぁッ!? め、目がぁぁぁッ!! なんだこの泡は! ネバネバして取れんッ!!」


 顔面を真っ白な泡まみりにされたグレイブスが、杖を取り落としてのたうち回る。


 この泡、一度付着すると乾燥して固まる『即効性コーティング剤』も混ぜてあるのよね。洗顔には向かないけど、暴れる対象を黙らせるには最適だわ。


「おのれェェッ! 殺す! 絶対に殺してやるぞドブネズミィィッ!!」


 泡だらけになりながらも、彼は懐から予備の短剣を取り出し、滅茶苦茶に振り回し始めた。

 往生際が悪い。


「……まったく。散らかすことしかできないんですか」


 私はため息をつき、愛用のモップを構えた。

 毎日三時間磨き上げた、私の魂のパートナーだ。


「アリアさん! 僕が加勢する!」


 ギデオン様が駆け寄ろうとするが、私は片手でそれを制した。


「いえ、結構ですぅ。これは『お掃除』の一環ですので」


 私はスタスタと、暴れるグレイブスに歩み寄った。


 ブンッ!

 短剣が私の鼻先を掠める。素人丸出しの動きだ。


「足元、お留守ですよ」


 私は冷静に、モップの柄を下段へ滑らせた。


 カァンッ!


 柄の先端が、グレイブスの向こう脛(すね)を的確に強打する。


「ぎゃっ!?」


 体勢を崩した彼が、前のめりに倒れ込んでくる。

 私はそこへ、カウンター気味にモップのヘッド(布部分)を顔面に押し当てた。


「はい、ステイ!」


 ドサッ!!


 グレイブスは顔面から床に激突し、その上から私のモップで押さえつけられた。

 床のワックスがけをするように、ぐりぐりと顔を押し付けてあげる。


「ぐぐぐ……! は、離せ! 私は教師だぞ! 貴様のような下民に……!」


「あら、奇遇ですね。私は清掃員です。ゴミがあれば、まとめて縛るのが仕事なんですよ」


 私は腰のポーチから、古新聞をまとめるための『超強力ビニール紐』を取り出した。


「ぷるんちゃん! アシスト!」


「きゅッ!(グルグルー!)」


 ぷるんちゃんが触手を伸ばし、グレイブスの手足を器用に持ち上げる。

 私はプロの手つきで、彼の手首、足首、そして胴体を流れるように縛り上げていった。


 キュッ、キュッ、ギューッ!


「痛ッ! きつッ! おい、血が止まる!」


「大丈夫ですぅ、リネン回収の時はもっとキツく縛ってますからぁ!」


 数秒後。


 そこには、ミノムシのように手足を拘束され、口にモップの布を詰め込まれた、哀れな元・教師の姿があった。


「んーッ! んぐぐぐーッ!!」


「はい、粗大ゴミ一丁あがり!」


 私はパンパンと手を払った。完璧だ。これなら収集車に放り込んでも荷崩れしない。


「……あ、アリアさん」


 背後で見ていたギデオン様が、膝から崩れ落ちていた。

 眼鏡がズレているのも気にせず、彼は両手を組み、涙を流して私を拝んでいる。


「なんという……なんという慈悲深さだ……!」


 えっ?


「罪人の命を奪わず、刃も向けず。ただ『布』と『紐』だけで、その暴虐を優しく包み込み、封印してしまうとは……!」


 いや、これ梱包ですけど。


「これぞ『慈愛の拘束術(ホーリー・バインド)』! 傷つけることなく罪を償わせようとする、君の聖女としての高潔な魂を見たよ……!」


 ギデオン様が感極まって合掌している。

 うん、まあ、殺すと死体処理が面倒だしね。生きていた方が、慰謝料(カネ)を搾り取れるし。


「んーッ! んーッ!!(訳:ふざけるな! 解け!)」


 足元の粗大ゴミが芋虫のように跳ねているので、私は軽くつま先で小突いて大人しくさせた。


「さて……」


 私は、散乱した証拠書類を丁寧に拾い集めた。

 これをどう使うか。

 もちろん、正義のため? 生徒のため?


 いいえ。


 一番『高く売れる』方法で使うに決まっている。


「ギデオン様。お手数ですが、この『ゴミ』の運搬を手伝っていただけますかぁ? 明日の朝、一番目立つ集積所に出したいので」


「ああ、もちろんだとも! この『大罪人』を、光の下へ引きずり出し、君の『断罪』を完成させる手伝いができるなんて光栄だ!」


 ギデオン様は喜々として、縛られたグレイブスを米俵のように担ぎ上げた。


 よし。

 機材(お宝)は回収した。

 証拠(切り札)も手に入れた。

犯人(ゴミ)も梱包した。


 これにて、私の『大掃除(クリアリング・ミッション)』は完了だ。


 あとは仕上げ。

 明日の全校集会で、このゴミを盛大に『不法投棄』して、ついでに慰謝料を請求するだけね。


 私は防毒マスクを外し、地下の澱んだ空気の中で、清々しく微笑んだ。


「さあ、帰りましょうぷるんちゃん。……明日は忙しくなるわよ」


「きゅイッ!(ボーナス!)」


 こうして、学園の地下深くに潜んでいた闇は、一人の清掃員と一匹のスライムによって、根こそぎ『洗浄』されたのだった。


 だが、私はまだ知らなかった。

 このゴミ(グレイブス)の処理が、さらなる巨大な『汚れ(闇の組織)』を呼び寄せるトリガーになることを。


 私の清掃員としての勘が、背筋でチリチリと警報を鳴らしていた。

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