第20話 深夜の緊急オペ(武器メンテ)
深夜の王都駐屯地。
昼間の熱狂と屈辱が嘘のように静まり返った石造りの廊下を、私は音もなく進んでいた。
私の前を歩くのは、黒いローブを目深に被った長身の人物――近衛騎士団長ベアトリクス様だ。
そして背後には、見張りを兼ねて同行しているマーサ先生。
まるで秘密結社の儀式に向かうような重苦しい空気だが、私の格好はいつもの掃除婦スタイル(給食エプロン+三角巾)であり、手には医療キットならぬ、掃除用具入れ(バケツとモップ)が握られている。
「……ここだ」
ベアトリクス様が立ち止まった。
目の前には、厳重な魔法錠が幾重にもかけられた重厚な鉄扉。『最重要保管庫(レベル5)』のプレートが鈍く光っている。
「通常なら、入室には国王陛下の許可が必要だ。だが今夜だけは、警備システムを『メンテナンスモード』にしてある」
彼女が手袋を外し、扉の魔法陣に手をかざすと、ゴゴゴゴ……と地響きのような音を立てて扉が開いた。
中に入ると、そこは冷気に満ちた石室だった。
部屋の中央、ベルベットのクッションが敷かれた台座の上に、一本の剣が安置されている。
国宝・聖剣『ドラゴン・スレイヤー』。
かつて邪竜の首を落としたとされる、この国の武力の象徴。
(……うわぁ)
私は部屋に入った瞬間、鼻をつまみたくなった。
臭う。カビ臭い地下室のような匂いと、金属が腐ったような酸っぱい刺激臭。
一般人には「厳かな古美術品の匂い」に感じるかもしれないが、私の鼻は誤魔化せない。
「アリア、頼む」
ベアトリクス様が、祈るような目で私を見た。
「……拝見します」
私は台座に歩み寄り、白手袋(ゴム製)をパチンと装着した。
そして、『精密洗浄眼(クリーナーズ・アイ)』を発動。
ピピピッ。
視界が青白く反転し、剣の内部構造が透けて見える。
「……っ」
予想はしていたけれど、これは酷い。
外装(エナメル質)にあたる聖銀のコーティングは、辛うじて形を保っている。
だが、その内側――本来なら強靭な魔力伝導体であるはずの芯材(象牙質)が、黒くドロドロに溶けて空洞化していた。
「騎士団長様。……はっきり言いますね」
私は顔を上げ、深刻な表情を作った(内心では「うひょー! 超特大の虫歯発見!」と興奮しているが)。
「これは『魔力虫歯(マジック・カリエス)』の末期症状ですぅ。神経(魔力回路)まで腐敗菌が達していて、あと一回でも強い衝撃を与えたら、パキッといきますよ。……根元から」
「なんと……やはり、そうか」
ベアトリクス様が崩れ落ちそうになるのを、マーサ先生が支えた。
「で、治せるの? アリア」
先生の問いかけはシンプルかつ強圧的だ。
「普通の鍛冶師なら『溶かして作り直すしかない』と言うでしょうね。熱を加えた瞬間に崩壊しますから」
私はニヤリと笑い、バケツの中から黄金色に輝く小瓶を取り出した。
「でも、私なら『抜かずに治せます』。……少し、荒療治になりますけど」
「やってくれ。もはや手段は選ばん」
「了解ですぅ。では、緊急オペを開始します! ……助手(ぷるん)、メス(捕食)!」
私が小瓶の蓋を開けると、中からニュルリと黄金色の流体が這い出した。
昼間、大量の赤錆を食べて進化した『ゴールデン・研磨・スライム』だ。
「キュイッ!(任せろ!)」
スライムは私の指図を待たずに、聖剣へと飛びついた。
「なっ……何をする気だ!?」
ベアトリクス様が悲鳴を上げる。
無理もない。国宝の剣に、スライムがへばりついて、ジュルジュルと音を立て始めたのだから。
「落ち着いてください。今、患部(腐った部分)だけを選択的に食べてるんですぅ」
チュイイイイイイ……!!
スライムが微細な振動を起こし、ドリルのような音を立てる。
スライムは自身の体をナノサイズの触手に変え、剣の目に見えないヒビ割れから内部へ侵入。健康な金属は一切傷つけず、魔力で壊死したドロドロの「スラグ」だけを綺麗に啜り取っていく。
「うぅ……私の愛剣が……あんな粘液まみれに……」
ベアトリクス様が直視できずに顔を覆っている。まるで娘の手術を見守る母親だ。
「はい、洗浄完了! 中はスッカラカンになりましたよ!」
数分後、スライムが黒い汚汁を吐き出しながら戻ってきた。
今の『ドラゴン・スレイヤー』は、外側の殻だけが残った、中身空っぽのウエハース状態だ。
指で突けば粉々になるだろう。
「こ、これで終わりか? これでは余計に脆く……!」
「ここからが本番ですぅ! ――充填(フィリング)!」
私はスライムに合図を送った。
「ギンッ!!」
スライムが再び剣に絡みつく。今度は、食べるのではない。
自身の体内に蓄積した「超硬化粘液(メタル・レジン)」を、空洞になった剣の内部へと高圧力で注入していくのだ。
この粘液は、昼間に食べた「歴戦の武器の錆」から抽出した金属成分と、スライム特有の衝撃吸収ジェルが融合した、アリア特製の最強補修材だ。
ミシミシ……パキッ……。
剣が小さく鳴く。
内部の隅々まで粘液が行き渡り、空洞を埋め尽くしていく。
「接着、硬化、そしてコーティング。……すべて同時に行います!」
カッ!!
スライムが激しい黄金の光を放った。急速硬化。
本来なら数日かかる焼き入れの工程を、スライムの化学反応熱で一瞬にして完了させる。
そして、光が収まった時。
そこには、以前とは全く別物の剣が横たわっていた。
「……これが、私の剣か?」
ベアトリクス様が、震える声で尋ねた。
派手な装飾や、以前のような神々しい白い光沢はない。その刀身は、わずかに透き通るような飴色を帯びた、鈍い銀色(プラチナ・ブロンド)に変化していた。
表面には、血管のように微細な金色のラインが走っている。スライムの粘液が神経として定着した証だ。
「見た目は少し地味になりましたけど、中身は別物ですぅ」
私は汗を拭いながら(演技)、自信満々に説明した。
「腐った芯材の代わりに、スライム由来の『生体金属(バイオ・メタル)』を詰めました。鉄よりも硬く、ゴムのように衝撃を吸収し、そして何より――」
私は剣を指差した。
「魔力の通り(伝導率)が、段違いです」
ベアトリクス様が、恐る恐る剣の柄を握った。
ドクン。
剣が脈打ったような音がした。
次の瞬間、ベアトリクス様の全身から溢れ出る覇気が、抵抗なく剣へと吸い込まれていく。
「……軽い」
彼女が呟いた。
「重さは変わっていないはずなのに、羽のように軽い。……まるで、剣が私の手の延長になったようだ」
彼女が一振り、軽く素振りをする。
ヒュンッ!
風切り音すら置き去りにするような鋭さ。空気が切断された衝撃波で、部屋の隅の蝋燭の火が消えた。
「素晴らしい……! 生まれ変わったぞ、我が友よ!」
ベアトリクス様が、子供のように目を輝かせて剣を抱きしめた。
「ふふ、気に入っていただけて何よりですぅ。……あ、お代(裏金)の方は、マーサ先生にお願いしてありますのでぇ」
「ああ、いくらでも払おう! これは金で買えるような代物ではない!」
マーサ先生が、満足げに頷いて私にウインクを送った。
よし、ミッションコンプリート。
これで明日の演習、ベアトリクス様が剣を折って赤っ恥をかく未来は回避された。ついでに私の懐も温まり、騎士団長への恩も売れた。完璧だ。
「では、私はこれで! 長居すると警備に見つかっちゃいますから!」
私はそそくさと道具を片付け、逃げるように部屋を出た。
廊下に出ると、ひんやりとした夜風が頬を撫でる。
はぁ、疲れた。でも、いい仕事した後の疲労感は悪くないわね。
(さて、帰ってぷるんちゃん(本体)に報告しなきゃ。あの子、またお腹空かせてるだろうし)
私は鼻歌交じりに、裏口へと続く暗い回廊を歩き出した。
――しかし。
私は気づいていなかった。
私の背後、石柱の陰から、じっとこちらを見つめる視線があることに。
暗闇の中で、眼鏡のレンズだけが冷たく光っている。
「……やはり、そうか」
学級委員長、ギデオン・アイアンサイド。
彼は震える手でメモ帳を握りしめ、私の背中を睨みつけていた。
「腐食した聖剣を、謎の黄金物質で修復……いや、『置換』した。魔法陣も使わず、炉も使わず、ただのスライムごときを使って……」
彼が目撃したのは、アリアが扉を閉める直前の、一瞬の隙間から漏れた黄金の光だけではない。
彼独自の調査網と、異常なまでの執着心で、彼女の入室から退室までの時間を計測し、そのあまりの短さに戦慄していたのだ。
「あれは鍛冶ではない。錬金術でもない。……あれは『医療』だ」
ギデオンは、理解の範疇を超えた現象に、恐怖と興奮で呼吸を荒らげた。
「アリア・ミレット。君は武器を直したのではない。……武器を『治療』して、新たな生命を吹き込んだのか?」
彼の目には、もう私は「掃除好きな落ちこぼれ」には映っていない。
理解不能な超技術を持つ、危険で、そして魅力的な「研究対象」として映っていた。
「……逃がさないぞ。その技術、必ず僕が解明してみせる」
深夜の武器庫に、若き秀才の歪んだ決意が木霊する。
私の知らないところで、新たな「監視の目」が、より深く、より粘着質に光り始めていた。
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