第5話 鑑定結果は「国宝級美容液」
地下室の冷たい石床の上に、私はへたり込んでいた。
目の前には、進化した私の相棒、桜色のスライム「ぷるん」と、その横に転がる謎のプルプル物体。
「……いや、待って。状況を整理させて」
私は震える声で独り言を漏らした。心臓のドラムロールが鳴り止まない。
まず、ぷるんが死にかけた。
特級有害廃棄物『ヴォイド・ブラック・スラグ』とかいう、名前だけで人が死にそうな劇物を丸呑みしたからだ。
でも、死ななかった。
それどころか、体内で超高速遠心分離機みたいな音を立てて毒素を分解し、なんか神々しい桜色(ロイヤル・ピンク)に変色して生還した。
そして、お土産として吐き出したのが、これだ。
***
拳大の、透き通るような桜色のゼリー状の塊。
内側からぼんやりと発光していて、まるで最高級の宝石、ピンクダイヤモンドを液状化して固めたみたいに美しい。
しかも、部屋中に漂うこの香り。高級ブランドの香水売り場を百倍濃縮して、さらに極上のフルーツタルトの香りを足したような、脳みそがとろけそうな芳香。
「キュウッ!(訳:あげる!)」
ぷるんが誇らしげに体を揺らし、その物体を私の方へ押し付けてくる。
「あ、ありがとう……。でもこれ、本当に触っていいやつ?」
私は生唾を飲み込んだ。
さっき、ほんの一瞬指先が触れたとき、静電気みたいな衝撃じゃなくて、なんかこう……「気持ちいいナニカ」が駆け抜けた気がしたのだ。
***
私は恐る恐る、防護手袋を外した左手をかざした。
毎日のスラグ処理と強力な洗剤の使用で、私の手はボロボロだ。あかぎれだらけで、皮膚は乾燥して象の肌みたいに硬くなっている。二十歳前の乙女の手とは到底思えない、労働者の勲章。
「……よし、いくわよ」
意を決して、私はそのゼリーに、人差し指を沈めた。
ぴちゃ。
冷たくて、でも人肌のような温かさもある、不思議な感触。
その瞬間。
ドクンッ。
指先から、温かい光の奔流が腕を伝って全身に駆け巡った。
「ふぁっ……!?」
変な声が出た。
何これ、すごい気持ちいい。
まるで一週間の疲れが一瞬で蒸発したような、温泉に浸かった瞬間のような極上の脱力感。
***
そして、私は見た。
ゼリーに触れている人差し指を中心に、私の皮膚が淡く発光し始めたのを。
ガサガサだった皮膚が、脱皮するようにポロポロと剥がれ落ち――いや、光の粒子になって消えていく。
その下から現れたのは。
「……は?」
白。
透き通るような、真珠のような白さ。
キメの一つ一つが整列し、潤いを湛えて輝く、生まれたての赤ちゃんの肌。
***
私は慌ててゼリーから手を引き抜き、自分の左手をまじまじと見つめた。
親指の付け根にあった、洗剤負けの赤い湿疹が消えている。
中指のペンだこが消えている。
手の甲に浮き出ていた血管や、乾燥による小じわも、完全にリセットされている。
右手と見比べてみる。
右手は、いつもの汚物係の手。茶色くくすみ、荒れてゴツゴツしている。
左手は、深窓の令嬢も裸足で逃げ出すレベルの、白魚のような手。
「……うそでしょ」
私は自分の左頬を、その綺麗な左手でつねってみた。
痛い。夢じゃない。
つねった感触すら、モチモチとして気持ちいい。
***
「これ……ただの保湿クリームとか、そういう次元じゃない……」
私はスラグ処理のプロだ。物質の成分や毒性には人一倍詳しい。
だからこそ分かる。
これは「表面をコーティングして誤魔化す」化粧品とはわけが違う。
細胞そのものを活性化させ、時間を巻き戻すかのように再構築(リビルド)しているのだ。
(解析……しなきゃ)
職業病がうずいた。
私は震える手で、腰のポーチから成分分析用の魔道具(安物)を取り出そうとしたが、やめた。
そんなオモチャじゃ測定できない。
私の目――スラグの微細な汚れを見分けるために鍛え上げた、この『精密洗浄眼(クリーナーズ・アイ)』で直接見るしかない。
***
「――『精密洗浄』、解析モード起動。対象:ピンク色のプルプル」
ブォン……。
私の視界に、青白い魔力のグリッドが展開される。
普段なら「泥:30%」「油:20%」とか表示されるだけの視界が、今はとんでもない情報の羅列で埋め尽くされた。
【解析結果】
名称:ロイヤル・ゼリー・スライムコア(変異種生成物)
属性:生命(ライフ)、浄化(ピュア)、美(ビューティ)
原料:特級有害廃棄物(ヴォイド・ブラック・スラグ) ※毒性完全除去済み
純度:測定不能(EXランク)
【主要効能】
1.超高速細胞修復:
損傷した細胞をナノレベルで修復・再生。傷跡、火傷、肌荒れを「なかったこと」にする。
2.魔力回路クレンジング:
体内に蓄積した魔力毒素(澱み)を吸着し、体外へ排出する。魔力中毒の完全治療が可能。
3.アンチエイジング・オーバードライブ:
細胞年齢を最適化(若返り)。シミ、シワ、たるみの完全除去。
【副作用】
なし。ただし、使用者はあまりの快感に依存する可能性あり。
【推定市場価値】
測定不能(※国家予算規模、または城一つ分に相当)
***
「…………」
私は静かに解析モードを切った。
そして、大きく息を吐いた。
「ふぅーーーーーーーーーーっ」
天井を見上げる。
コンクリートの天井の染みが、何かの啓示に見えてくる。
「やっべぇもん出来ちゃった」
城一つ分。
国家予算規模。
この手のひらサイズのゼリー一つで?
私が一生かけて、地面を這いつくばってスラグを集めても稼げない金額が、ここに転がっている?
「あはは……あはははは!」
乾いた笑いが漏れた。
笑うしかないでしょう、こんなの。
だって、原料は「ゴミ」よ?
あの高慢ちきなエルザ様や、偉そうな貴族たちが、「汚らわしい」「臭い」って言って私に押し付けた、産業廃棄物。
それが、うちの可愛いぷるんちゃんのお腹を通ったら、国宝になっちゃったんだから!
「皮肉にも程があるわよ……!」
***
私はゼリーを両手で包み込むように持ち上げた(右手も一瞬でツルツルになった)。
地上の貴族たちは、美しくなるために必死だ。
高価な化粧品を買い漁り、怪しげな美容魔法にお金を注ぎ込み、それでも魔力中毒による肌荒れに悩み、厚化粧で隠している。
そのストレスでまた魔法を乱発し、毒素(スラグ)を生み出す。
彼女たちが捨てた毒素を、私が拾う。
そして、それが彼女たちが喉から手が出るほど欲しがる「真の美」の結晶に変わる。
「これぞ究極のリサイクル! 錬金術師も裸足で逃げ出すSDGs(スライム・ドリーム・ジェネレーション・システム)!」
私は地下室の中心で叫んだ。
「キュウッ!」
ぷるんも同意するように弾んだ。
***
私の脳内で、邪な計算機が高速回転を始める。
これを売れば?
いや、売るなんて危険すぎる。こんなの市場に出したら、「どこで手に入れた」「誰が作った」って追求されて、最悪の場合、ぷるんが実験動物として解剖されちゃうかもしれない。
それだけは絶対にダメだ。
じゃあ、私が使う?
私がこれを使って超絶美少女になったら……。
(想像図:肌ピカピカのアリアが廊下を歩く。すれ違う男子生徒たちが振り返る。「おい見ろよ、あの子輝いてね?」「汚物係にしておくには惜しい美貌だ……!」)
……いや、それもリスクが高い。
汚物係がいきなり綺麗になったら、「何か盗んだんじゃないか」とか「禁忌魔法を使ったんじゃないか」って疑われるのがオチだ。この学園の生徒たちの性格の悪さは、私が一番よく知っている。
「くっ……! 宝の持ち腐れとはこのことか……!」
私はゼリーを抱きしめて身悶えした。
最高の復讐の道具を手に入れたのに、使い所が難しい。
でも。
一つだけ確かなことがある。
私はもう、ただの「惨めな汚物係」じゃない。
この地下帝国に、地上の誰よりも価値のある宝物を持っている「隠れ富豪」なのだ。
(ふふふ……見下せばいいわ、エルザ様。貴女が数万ゴールドのクリームを塗りたくって肌荒れと戦っている間、私はこのタダで手に入れた国宝級美容液で、全身エステ三昧させていただきますから!)
優越感。
今まで味わったことのない、背筋がゾクゾクするような快感が湧き上がってくる。
これは秘密だ。
私と、ぷるんたちだけの秘密。
あいつらには一滴だって分けてやらない。一生ファンデーションの地割れに悩んでればいいんだ。
***
「……よし」
私は立ち上がった。
まずは、このゼリーを安全に保管しなきゃ。
それから、この効果が本当に「鑑定通り」なのか、客観的なデータも欲しい。自分の体感だけじゃ、まだ信じきれない部分もあるし。
誰か、信頼できる専門家はいないかな。
口が堅くて、魔法薬や生体反応に詳しい人。
「……あ、医務室の先生」
思いついたのは、学園の医務室に常駐している校医だった。
いつも眠そうな顔をしているおじいちゃん先生だが、腕は確かだと聞く。彼なら、これが「何であるか」を正確に分析してくれるかもしれない。
もちろん、「拾いました」って言って出処は誤魔化す必要があるけど。
「いけるかも。もし先生が『これはすごい薬だ!』って太鼓判を押してくれたら、こっそり換金するルートも紹介してもらえるかもしれないし」
甘い期待が胸に広がる。
私は手近にあった空のガラス瓶(元は洗剤が入っていたやつをピカピカに洗ったもの)に、ゼリーを慎重に移し替えた。
瓶に入れただけでも、その輝きは隠せない。思わず布でぐるぐる巻きにしてポーチに隠す。
「待っててね、ぷるんちゃん。君が生み出したこの『奇跡』がどれだけの価値があるか、ちょっと確かめてくるから」
「キュウ~(訳:いってらっしゃい、お土産は高級スラグで)」
私は意気揚々と地下室の扉を開けた。
***
足取りは軽い。
昨日までの重苦しい「出勤」とは大違いだ。
今の私のポーチには、希望が詰まっている。
だが。
私はまだ知らなかった。
この学園において、「汚物係」というレッテルがどれほど強力な呪いであるかを。
そして、どれほど素晴らしい宝を持っていても、それを持つ手が「汚れている」と見なされれば、中身すら見てもらえないという現実を。
地上への階段を駆け上がる私の耳に、遠くから誰かの足音が近づいてくる気配がした気がしたが、高揚した私はそれを気のせいだと無視してしまった。
それが、私の運命を大きく変える「拒絶」への序章だとも知らずに。
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