第4話「4月:ツバメちゃんと挑戦」
プロローグ
4月1日。
新学期の朝。
教室の窓を開けると、窓辺に、それはいた。
鮮やかな青いツバメのぬいぐるみ。
黄色いくちばし。小さな翼が広がっている。首には、小さな鈴。
バッグチャームとしても使えそうな、小さめのサイズ。
「また...」
私は、もう驚かなかった。
恐る恐る手に取ると、案の定、声が聞こえた。
「新しいこと、始める?」
元気な声。
でも、次の言葉は、挑発的だった。
「でも...失敗したら?」
私は、息を呑んだ。
「あなたは...」
「私はツバメちゃん。4月のぬい」
ツバメちゃんは、私を見上げた。
「春は、新しい始まりの季節。でもね、始めることは怖いこと」
「...うん」
「失敗するかもしれない。恥をかくかもしれない。それでも、やる?」
私は、窓の外を見た。
桜はもう散って、新緑の季節が始まっている。
新学期。
新しいクラス。
そして、新しい挑戦。
「...やる」
私は、小さく答えた。
「本当に?」
「うん」
ツバメちゃんは、少し驚いたような声を出した。
「へえ。じゃあ、見せてもらおうかな。あなたの覚悟」
私は、ツバメちゃんをバッグに入れた。
そして、教室へ向かった。
1
新学期、高校3年生。
クラス替えで、私と美月は同じクラスになった。
「ひまり、一緒でよかったね!」
「うん!」
私たちは、笑顔でハイタッチをした。
でも、私の心の中には、不安があった。
楓先輩が卒業して、軽音部の部長がいなくなった。
新しい部長は、2年生の先輩。
そして、今年から、軽音部は正式な部活として認められ、部員を増やすことになった。
そのために、オーディションが行われる。
私は、楓先輩の推薦で「仮部員」として活動していたが、正式部員になるには、このオーディションに合格しなければならない。
「ひまり、オーディション、いつ?」
美月が尋ねた。
「来週。4月7日」
「緊張する?」
「...うん」
私は、正直に答えた。
「すごく」
2
放課後、軽音部の部室。
新部長の藤井先輩が、説明をしていた。
「今年から、軽音部は正式な部活になります。そのため、部員を増やすことになりました」
部室には、仮部員だった私を含めて、5人の生徒がいた。
「オーディションは、4月7日。課題曲を演奏してもらいます。合格者は、正式部員として活動できます」
藤井先輩は、私たちを見渡した。
「不合格の場合は...残念ですが、退部してもらいます」
私の心臓が、バクバクと鳴った。
退部。
つまり、軽音部にいられなくなる。
「質問はありますか?」
誰も手を挙げなかった。
「では、頑張ってください」
藤井先輩は、そう言って部室を出た。
私は、ギターを抱えて、ため息をついた。
「大丈夫かな...」
3
その日の夜、部屋で、私はツバメちゃんに話しかけていた。
「オーディション、怖いよ」
「そうね」
ツバメちゃんは、あっさりと答えた。
「失敗するかもしれないもんね」
「やめてよ...」
「でもね、失敗を避けたいなら、やめればいいじゃない」
ツバメちゃんは、冷たく言った。
「え...?」
「オーディション、受けなければいい。そうすれば、失敗しないわ」
「でも、それじゃあ...」
「軽音部にいられなくなる? それは、もう決まってることよ」
ツバメちゃんは、容赦なく言った。
「オーディションを受けて落ちるのも、受けずに辞めるのも、結果は同じ」
「...」
「あなたは、どうしたいの?」
私は、言葉に詰まった。
「私は...」
「挑戦したいの? それとも、逃げたいの?」
ツバメちゃんの声は、挑発的だった。
私は、ギターを見た。
楓先輩がくれた、このギター。
先輩の夢を、私が引き継ぐって決めたのに。
「...挑戦したい」
私は、小さく答えた。
「本当に?」
「うん」
「じゃあ、覚悟しなさい。失敗するかもしれない。恥をかくかもしれない」
ツバメちゃんは、私を見上げた。
「それでも、やるの?」
「...やる」
私は、強く答えた。
「そう。じゃあ、私はあなたに『始まりの力』を与えるわ」
「始まりの力?」
「そう。失敗を恐れなくなる力」
ツバメちゃんは、微笑んだ。
「でもね、失敗しないわけじゃない。失敗しても、続けられる力よ」
4
翌日、私は美月に相談していた。
「オーディション、怖いんだ」
「そっか」
美月は、真剣な顔で聞いていた。
「でも、ひまりなら大丈夫だよ」
「どうして?」
「だって、ひまりはギターが好きだもん」
美月は笑顔で言った。
「好きなことをやるのに、失敗なんてないよ」
「でも...」
「やらない後悔より、やって後悔する方がマシだよ」
美月は、私の手を握った。
「ひまり、私、応援してるから」
私は、涙が出そうになった。
「...ありがとう」
5
4月7日。オーディション当日。
私は、音楽室の前で待っていた。
手が、震えている。
心臓が、バクバクと鳴っている。
ツバメちゃんの声が聞こえた。
「緊張してる?」
「...うん」
「大丈夫。失敗してもいいのよ」
「え?」
「失敗しても、あなたの価値は変わらない。ただ、今回はダメだったってだけ」
ツバメちゃんは、優しく言った。
「だから、楽しんできなさい」
「...うん」
私は、深呼吸をした。
そして、音楽室のドアを開けた。
6
音楽室には、藤井先輩と、副部長の先輩が座っていた。
「桜井ひまりさん、どうぞ」
藤井先輩が、私を促した。
私は、ギターを持って、椅子に座った。
「課題曲は、『桜の季節』ですね。準備ができたら、どうぞ」
「...はい」
私は、ギターを構えた。
手が、震えている。
でも、弾かなきゃ。
私は、最初の音を奏でた。
楓先輩が教えてくれた曲。
先輩の思い出が、蘇ってくる。
私は、目を閉じて、演奏に集中した。
途中、何度か音を外した。
でも、止まらなかった。
最後まで、弾ききった。
演奏が終わると、静寂が訪れた。
藤井先輩が、メモを取っていた。
「ありがとうございました。結果は、後日連絡します」
「...はい」
私は、音楽室を出た。
廊下で、膝から力が抜けた。
「終わった...」
7
3日後。
結果が、掲示板に貼り出された。
私は、美月と一緒に見に行った。
「ひまり、見て!」
美月が、掲示板を指差した。
そこには、合格者の名前が並んでいた。
私の名前は...ない。
「え...」
私の心臓が、止まりそうになった。
でも、その下に、別の欄があった。
「補欠合格者」
そこに、私の名前があった。
「補欠...?」
「ひまり、補欠合格だって!」
美月が、私の肩を叩いた。
「すごいじゃん!」
「でも、正式部員じゃない...」
私は、複雑な気持ちだった。
合格したわけじゃない。
でも、落ちたわけでもない。
補欠。
その日の放課後、藤井先輩が私を呼び出した。
「桜井、補欠合格おめでとう」
「...ありがとうございます」
「補欠っていうのはね、正式部員ではないけど、練習には参加できる。そして、次のオーディションで合格すれば、正式部員になれるってことだよ」
「次のオーディション...?」
「そう。半年後、10月にもう一度オーディションがある」
藤井先輩は、私を見た。
「桜井、演奏は正直、まだまだだった。でも、最後まで弾ききった。その姿勢は、評価したい」
「...」
「だから、練習を続けて、10月のオーディションで正式部員になれるよう、頑張って」
「はい!」
私は、頭を下げた。
8
その夜、部屋で、私はツバメちゃんに話しかけていた。
「補欠合格だった」
「そうね」
ツバメちゃんは、あっさりと答えた。
「悔しい?」
「...うん」
私は、正直に答えた。
「正式部員になりたかった」
「でも、落ちたわけじゃないわよ」
「うん...」
「完璧じゃなくていいの」
ツバメちゃんは、優しく言った。
「続けることが、挑戦なのよ」
「続ける...」
「そう。あなたは、最初の一歩を踏み出した。それだけで、十分よ」
ツバメちゃんは、微笑んだ。
「次は、続けること。10月のオーディションまで、練習を続けなさい」
「...うん」
私は、補欠のバッジを見た。
正式部員のバッジとは違う、小さなバッジ。
でも、これは、私が挑戦した証。
「ありがとう、ツバメちゃん」
「どういたしまして」
ツバメちゃんは、優しく答えた。
「次は5月1日。ミドリカエルが待ってるわ」
「ミドリカエル?」
「そう。でもね」
ツバメちゃんの声が、少し弱くなった。
「焦らないでね。ゆっくりでいいから」
「...うん」
9
翌日、軽音部の練習。
私は、補欠部員として、初めて正式な練習に参加した。
正式部員の先輩たちは、とても上手だった。
私は、ついていくのに必死だった。
でも、楽しかった。
練習が終わると、藤井先輩が声をかけてきた。
「桜井、どうだった?」
「すごく...楽しかったです」
「そっか。じゃあ、これから頑張ってね」
「はい!」
私は、笑顔で答えた。
帰り道、美月が待っていてくれた。
「ひまり、どうだった?」
「楽しかった!」
私は、笑顔で答えた。
「補欠だけど、練習には参加できるし、10月にまたチャンスがある」
「よかったね」
美月は、私の肩を叩いた。
「ひまり、頑張ってるね」
「うん」
私は、空を見上げた。
青空に、ツバメが飛んでいた。
新しい季節。
新しい挑戦。
私は、まだ始まったばかり。
でも、続けていけば、きっと。
正式部員になれる。
そう信じて、私は歩き出した。
エピローグ
4月30日。
ゴールデンウィーク前の最後の練習。
私は、ギターの練習に励んでいた。
補欠部員として、毎日練習に参加している。
まだ、正式部員にはなれていない。
でも、少しずつ、上達している。
藤井先輩が、私に声をかけた。
「桜井、上手くなってきたね」
「本当ですか?」
「うん。このまま続ければ、10月のオーディションは大丈夫だと思うよ」
「ありがとうございます!」
私は、嬉しくて涙が出そうになった。
帰り道、私はツバメちゃんをバッグから取り出した。
「ツバメちゃん、ありがとう」
でも、ツバメちゃんは、もう答えなかった。
ただ、優しく微笑んでいるように見えた。
私は、ツバメちゃんをバッグに戻した。
そして、空を見上げた。
ツバメが、青空を飛んでいた。
新しい季節が、始まった。
そして、私の挑戦も、始まったばかり。
補欠のバッジを握りしめて、私は歩き出した。
次は、5月。
どんな出会いが待っているんだろう。
私は、楽しみだった。
第4話 了
次回:第5話「5月:ミドリカエルと気づき」
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