ぬいと私の12ヶ月 〜月のぬいが教えてくれた、本当の自分〜

ソコニ

第1話「1月:ユキウサと後悔」


プロローグ

 雪が、静かに降っていた。

 元旦の神社は、初詣客で賑わっているはずなのに、私の周りだけが妙に静かだった。まるで、私だけが時間から切り離されているような錯覚。

 息を吐くと、白い煙が消えていく。去年の自分も、こうやって消えてしまえばいいのに。

「桜井さん、今年もよろしくね」

「ひまりちゃん、一緒に写真撮ろう!」

 友達の声が聞こえる。私は笑顔で応える。でも、心の中は空っぽだった。

 美月がいない。

 去年までは、いつも隣にいたのに。元旦の初詣も、一緒に来ていたのに。

 私のせいで。

 私が、美月の秘密を他の友達に喋ってしまったから。

 ほんの軽い気持ちだった。「ちょっと面白い話があるんだけど」って。でも、それが美月を深く傷つけた。

 美月は、もう私とは話してくれない。

 後悔。

 この言葉しか、もう思い浮かばない。


1

 友達と別れた後、私は一人で境内を歩いていた。

 雪は相変わらず降り続けている。足元が冷たい。でも、心の方がもっと冷たかった。

 本殿の裏手、人気のない場所に、小さな祠があった。

 そこに、それはいた。

 白いウサギのぬいぐるみ。

 真っ白な毛並み。青い宝石のような目。体には、雪の結晶模様が散りばめられている。水色のマフラー。小さな雪だるまのチャーム。

 手のひらサイズの、可愛らしいぬいぐるみ。

「誰かが落としたのかな...」

 私は拾い上げた。その瞬間。

「…後悔、してる?」

 震える声が、聞こえた。

 私は思わず手を離しそうになったが、ぬいぐるみはバッグに吸い込まれるようにすっぽりと収まった。

 周りを見渡す。誰もいない。

「今の、声...?」

 もう一度、声が聞こえた。今度ははっきりと。

「後悔、してるんでしょ?」

 声は、バッグの中から聞こえていた。

 私は恐る恐るバッグを開ける。白いウサギのぬいぐるみが、こちらを見上げていた。

「私はユキウサ。1月のぬい」

 ぬいぐるみが、喋った。

 私は声も出なかった。

「怖がらないで。私はあなたを助けに来たの」

「た、助ける...?」

「そう。あなた、後悔してるでしょ? やり直したいって思ってる」

 私は息を呑んだ。

「どうして...」

「私にはわかるの。後悔している人の心が」ユキウサは優しく言った。「桜井ひまり。あなたは、美月さんとの関係をやり直したい」

 その名前を聞いた瞬間、涙が溢れそうになった。

「美月...」

「私はあなたに『やり直しの力』を与えられる。過去の1つの選択を、やり直せる」

「本当に...?」

「でもね」ユキウサの声が、冷たくなった。「条件がある」

「条件...?」

「本当に後悔しているなら、同じ痛みを感じて」


2

 私は、美月との思い出を思い返していた。

 出会いは中学1年生。クラスが一緒になった美月は、最初はとても静かな子だった。

 でも、私が話しかけたことで、少しずつ心を開いてくれた。

 美月は優しくて、面白くて、私の一番の親友になった。

 高校に入っても、ずっと一緒だった。

 でも、去年の冬。

 私は、美月の秘密を他の友達に喋ってしまった。

 美月が、ある男子のことが好きだということ。

 本当に軽い気持ちだった。「美月ってさ、実は○○くんのこと好きらしいよ」って。

 でも、それが広まってしまった。

 美月は、クラス中の笑いものになった。

 そして、私を許してくれなかった。

「ひまり。もう、話さないで」

 美月の冷たい声が、今でも耳に残っている。


3

「本当に、やり直せるの?」

 私はユキウサに尋ねた。

「やり直せるわ。でもね、ただ過去に戻るだけじゃない」

「どういうこと?」

「あなたは、美月さんの痛みを知らない。だから、まずは同じ痛みを感じてもらう」

「同じ痛み...?」

「そう。あなたが美月さんにしたこと、今度はあなたがされる側になるの」

 私は息を呑んだ。

「私が...される側に?」

「本当に後悔しているなら、できるはずよ」

 ユキウサの青い目が、私を見つめていた。

 私は、震える手でユキウサを握りしめた。

「わかった。やる」

「後悔しても知らないわよ」

「もう、後悔しかしてない」

 ユキウサは、小さく笑った。

「じゃあ、行きましょう」

 その瞬間、世界が真っ白になった。


4

 目を開けると、私は教室にいた。

 見覚えのある風景。去年の冬、高校2年生の教室。

 窓の外は雪が降っている。

「ここは...」

「去年の12月よ。あなたが美月さんの秘密を喋った、その日の前日」

 ユキウサの声が頭の中に響いた。

 私は周りを見渡した。クラスメイトたちが、いつも通り笑っている。

 そして、美月が、隣の席で本を読んでいた。

「美月...」

 私は思わず声をかけそうになったが、ユキウサが止めた。

「まだよ。これから、あなたは『される側』になるの」

「どういうこと?」

「見ていればわかるわ」

 その時、クラスメイトの一人、沙織が私に近づいてきた。

「ねえねえ、ひまり。ちょっといい?」

「沙織...?」

 沙織は、いつも通りの笑顔だった。でも、その目が、何か企んでいるような気がした。

「実はさ、ひまりって、○○くんのこと好きなんだって?」

 その瞬間、私の心臓が止まった。

「え...?」

「私、知ってるよ。ひまりが○○くんのこと好きだって」

「ちょ、ちょっと待って、私は...」

「もう、みんなに言っちゃった」

 沙織は、悪びれもせずに笑った。

 その瞬間、周りのクラスメイトたちが、一斉に私を見た。

「えー、ひまりって○○くんが好きなの?」

「マジで? 意外ー」

「でも、○○くんって、もう彼女いるよね」

 笑い声が、教室中に響いた。

 私は、何も言えなかった。

 これが、美月が感じた痛みなのか。


5

 その日、私は学校から逃げ出した。

 誰とも話したくなかった。

 家に帰ると、部屋に閉じこもった。

 涙が止まらなかった。

「これが...美月の気持ち...」

 恥ずかしい。悲しい。悔しい。

 信じていた友達に裏切られる、この痛み。

「わかった?」

 ユキウサの声が聞こえた。

「これが、美月さんが感じた痛みよ」

「わかった...わかったよ...」

 私は泣きながら言った。

「私、ひどいことをした...」

「そう。あなたは、美月さんにこの痛みを与えたのよ」

「ごめんなさい...ごめんなさい...」

「謝るのは、私じゃないわ」

 ユキウサは、優しく言った。

「さあ、現在に戻りましょう。そして、本当の謝罪をしなさい」

 また、世界が真っ白になった。


6

 気がつくと、私は元旦の神社に戻っていた。

 手には、ユキウサのぬいぐるみ。

 涙が、まだ頬を伝っていた。

「今のは...夢?」

「夢じゃないわ。あなたは、本当に美月さんの痛みを感じたの」

 私は、胸を押さえた。

 まだ、あの痛みが残っている。

「私、美月に謝らなきゃ...」

「そうね。でも、ただ謝るだけじゃダメよ」

「どうすれば...」

「あなたの痛みを、美月さんに伝えなさい。そうすれば、きっと伝わる」

 私は、スマホを取り出した。

 美月の連絡先。去年から、ずっとメッセージを送れずにいた。

 でも、今なら。

 私は、震える指で文字を打った。

『美月。話したいことがある。明日、あの公園で会ってくれないかな』

 送信。

 返事は、すぐには来なかった。

 でも、10分後。

『...わかった』

 美月からの返事。

 私は、涙が溢れた。


7

 翌日、1月2日。

 雪は止んでいたが、空はまだ灰色だった。

 私は、約束の公園に向かった。

 ユキウサは、バッグの中に入っていた。

「頑張りなさい」

 ユキウサの声が、背中を押してくれた。

 公園に着くと、美月がベンチに座っていた。

 去年と同じ、赤いコート。

 私は、ゆっくりと近づいた。

「美月...」

 美月は、私を見ずに言った。

「何の話?」

「ごめん。私、本当にごめん」

 美月は、ため息をついた。

「もう、何回も謝ったじゃん。今さら何?」

「私ね...昨日、わかったんだ」

 美月が、初めて私を見た。

「何が?」

「美月の痛み」

 私は、涙を堪えながら続けた。

「私、美月にひどいことをした。美月の秘密を喋って、美月を傷つけた。でも、私、本当の意味でわかってなかった」

「...」

「昨日、私も同じ目にあったの。秘密を暴露されて、笑われて、恥ずかしくて、悔しくて...」

 涙が溢れた。

「美月、本当にごめん。私、あなたにこんな痛みを与えたんだね」

 美月は、何も言わなかった。

 ただ、涙が頬を伝っていた。

「ひまり...」

「私、もう二度と、誰の秘密も喋らない。誰も傷つけたくない。だから、お願い...」

 私は、美月の手を握った。

「もう一度だけ、友達になってくれないかな」

 美月は、泣きながら笑った。

「バカ...もう一度だけって、何よ」

「美月...?」

「ずっとだよ。ずっと友達だよ」

 美月は、私を抱きしめた。

 私も、美月を抱きしめ返した。

 二人で、泣いた。


エピローグ

 公園を出た後、私はユキウサを見た。

「ありがとう、ユキウサ」

「どういたしまして。でもね、これは始まりよ」

「始まり?」

「そう。あなたの12ヶ月の旅の、始まり」

 ユキウサは、私のバッグに揺れながら言った。

「次は2月1日。チョコベアが待ってるわ」

「チョコベア?」

「そう。でもね」ユキウサの声が、冷たくなった。「覚悟はある? これから、もっと辛いこともあるわよ」

 私の手は、震えていた。

 でも、私は答えた。

「大丈夫。私、変わりたいから」

「そう。じゃあ、また会いましょう」

 ユキウサは、静かに眠るように動かなくなった。

 私は、バッグにユキウサを入れた。

 空を見上げる。雪は止んでいたが、まだ冷たい風が吹いている。

 でも、私の心は、少し温かくなっていた。

 美月との約束。もう二度と、誰も傷つけない。

 そして、自分自身と向き合う、12ヶ月の旅。

 私は、歩き出した。

 新しい年。新しい私。

 きっと、変われる。


第1話 了

次回:第2話「2月:チョコベアと告白」


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