第53話 三宅という男

 走るっ!

 アスファルトから立ち昇る熱気が、呼吸をするたびに喉を焼く。

 視界が白くチカチカする。

 これが熱中症の前兆なのか、それとも恐怖のせいなのか、もう分からなかった。


 私はスマホを握りしめ、ひたすら探偵さんの背中を追っていた。

 画面にはまだ、あの三文字が表示されたままだ。


【たすけて】


 すぐに返信したけれど、既読はつかなかった。

 通話もかけたけれど、無機質な呼び出し音が鳴るだけ。


 頭の中で、自分への言い訳を必死に組み立てる。


 大丈夫。きっと大丈夫。

 『助けて』なんて、女子高生なら一日に三回は言う言葉だ。

 タピオカを服にこぼしたとか。

 しつこいナンパに絡まれてるとか。

 バイトのシフト代わってくれとか。


 きっと、そういう「日常のトラブル」に違いない。

 だって、サヤカは運がいい子だもん。


 ――お願い。

 そうであって。

 お願いだから、ただの笑い話であってよ……!


「……はぁ、はぁっ、ちょっと、タンマ……!」


 私はたまらず、路地裏の自販機の横に手をついた。

 足がもつれて、これ以上走れない。

 見ると、探偵さんもガードレールに背中を預け、苦しげに胸元を押さえていた。


「はぁ……はぁ……お、同じくっ! このコートで全力疾走とか厳しすぎるっ!」


 顔色が、紙のように白い。

 額に浮かぶ汗の量が尋常じゃない。

 どうしたんだろう。

 前はあんなに超人的な動きが出来る人だったのに。

 学校の時に無理して、まだ本調子じゃないのかな。


「大丈夫かい、二人とも」


 久我先輩が、自販機で冷たいスポーツドリンクを買って渡してくれた。

 冷えたボトルの感触が、手のひらに痛いほど染みる。

 先輩も汗だくだけれど、まだ動けるようだ。さすがは大人、基礎体力が違う。


「……少し休んでいる間に、犯人の三宅優という男について話しておこうか」


 先輩は、ぬるくなった自分のペットボトルの水を一口飲んで、語り始めた。


「彼はね、フリーランスのエンジニアだったんだ。……いや、自称『クリエイター』かな」


 先輩の声は、乱れた呼吸の中で淡々と響いた。


「音声配信、動画投稿、SNS。ありとあらゆる手を使って自分を売り込もうとしていた。でも、反応はいつも今ひとつ。……よくある話さ。『何者かになりたい』という渇望と、現実の才能が釣り合っていない」


 何者かになりたい。

 その言葉は、私の胸にも少しだけ刺さった。

 三宅という犯人は、どこか遠い世界の怪物じゃなくて、私たちの延長線上にいるのかもしれない。

 誰かに認められたくて、もがいているだけの人間。


「ある時、僕のSNSに彼が接触してきたんだ。僕が趣味で上げていた創作怪談を見て、『これをアプリにしませんか』ってね」


「それが……『にくゑ』ですか?」


「そう。当時はまだ、ただの怪談投稿アプリの企画だった。僕も面白がって、色々と知恵を貸したんだよ。収益化の仕組みや、ユーザーを怖がらせる演出について」


 久我先輩は、悔しそうに唇を噛んだ。


「あの時の彼は、純粋だった。ただ『認められたい』『バズりたい』……それだけだったはずなんだ」


「そこを、何者かにつけ込まれたんだろうね」


 探偵さんが、ドリンクを流し込みながら言った。


「承認欲求は誰にでもある。だが、それが肥大化しすぎると、心の隙間になる。……そこへ『本物の怪異』を注ぎ込まれた」


 少し呼吸が落ち着いてきた。

 私はスマホの画面を確認する。

 【たすけて】の文字は、まだそこにある。


 よかった。消えてない。

 まだ、日常の範疇だ。


 そう自分に言い聞かせて、ふと路地の外――大通りへ目を向けた時だった。


「……あ」


 思考が停止した。

 

 信号待ちをしていた、私のバイト先の母親くらいの女性。

 彼女の足が、ズブズブとアスファルトに沈んでいくのが見えたからだ。


 悲鳴もない。

 水たまりに落ちるみたいに、音もなく。

 看板の文字がぐにゃりと溶け、女性の腰までが地面に「誤変換」されていく。


「お母さん……!」


 私は反射的に駆け出そうとした。

 私の家は、ここから少し離れているけれど――。


「あの辺りはまだ大丈夫よ」


 梓さんが、私の肩を掴んで止めた。


「穢れの濃度が違う。今、危険なのはこのエリア……池袋の北側だけ」


「そ、そうですか……よかった……」


 ホッと息を吐く。

 でも、心臓のバクバクは止まらない。

 あそこまで侵食が進んでいるなんて。


「……地面のネットワークは、一度は潰したはずなのにな」


 探偵さんが、地面を睨みつけて忌々しそうに呟く。


「さすがは神様と言うべきか。あの程度だと、バックアップから復元してしまうのか」


「急ぎましょう」


 梓さんが言った。


「あと少しよ。……匂いが、強くなってきた」


 私たちは頷き、再び走り出そうとした。

 その時だった。


 ピロロン、と。

 私の手の中で、スマホが勝手に鳴り出した。

 通知じゃない。

 アプリが、勝手に起動した音だ。


「えっ、なに……!?」


 LINEの画面が、強制的に切り替わる。

 私の「日常であってほしい」という願いをあざ笑うように、画面が明るくなる。

 

 動画アプリだ。

 そこに映し出されたのは、見覚えのある制服。

 そして、恐怖に引きつった友人の顔。


『――やだ、こないで……!』


 サヤカだ。

 動画配信が、始まっている。


『誰か……誰か見てるの!? 助けてよぉ……!』


 サヤカは、どこかの部屋の隅に座り込んでいた。

 カメラの手ブレが酷い。

 彼女の視線の先――画面の端から、赤黒い「影」たちがゆっくりと進んでくるのが見える。


 影たちは、人間じゃない。

 肉塊のような、不定形の泥。

 それが、サヤカを肉で出来た壁へと押しやっていく。


 画面の左上で、数字が跳ね上がっていく。

 同時接続数。

 100、500、1000、5000……。


 コメント欄が、滝のように流れる。


『なにこれ演出?』

『すげーリアル』

『もっと近くで映せ』

『グロ注意www』


「ふざけんな……!」


 私は叫んだ。

 今、サヤカが死にそうなのに。

 みんな、これをエンタメだと思って見てるの?


「これが、奴の目的か……!」


 久我先輩が画面を覗き込み、呻くように言った。

 探偵さんが、走り出す。


「まだ間に合う! 配信が続いているということは、まだ『完全な同化』はしていない!」


 疲れなんて吹き飛んだ。

 私たちは、腐臭の漂う路地裏を全力で駆けた。


 ◇


 目の前に、そのアパートはあった。

 『コーポ・ミヤビ』


 一見すると、ただの古びたアパートだ。

 けれど、近づいた瞬間に分かった。


「うっ……」


 梓さんが、口元を押さえて膝をつきそうになる。

 私も、思わず鼻をつまんだ。


 臭い。

 生ゴミと、下水と、獣の脂を煮詰めたような、強烈な腐敗臭。

 物理的な臭いというより、脳に直接こびりつくような不快感だ。


「臭う……」


 梓さんが、涙目でアパートを睨みつける。


「このアパートは……ただの入り口よ。池袋の地下全体が、巨大な胃袋みたいになってる」


 アパートの窓ガラスは全て割れ、そこから赤黒い血管のような蔦が這い出していた。

 まるで、建物自体が生きているみたいに、ドクン、ドクンと脈打っている。


「確か部屋番号は102だった筈だ」


 久我先輩が、スマホのメモを握りしめ、青ざめた顔で呟く。

 一階の奥。

 その扉の隙間から、ドス黒い空気が漏れ出しているのが見えた。


「行こうか」


 探偵さんが、ふところからパッキーの小箱を取り出す。

 カシャ、と箱を振る乾いた音が、やけに大きく響いた。

 それが、私たちにとっての開戦の合図だった。


 探偵さんが、ゆっくりとドアノブに手をかける。

 鉄の冷たさなんてない。

 遠目にも、そのノブが脂で濡れているのが分かった。


 ――ガチャリ。


 鍵は開いている。

 私は息を止めて、その「口」が開くのを凝視した。



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