第28話 浸食2
昼休み。
私は、すぐに久我さんに電話をかけた。
探偵さんは忙しい。
梓さんは連絡が取れない。
でも、久我さんなら――。
久我さんは、柳田先生の恋人だ。
知ってるはず。
コール音が鳴る。
二回、三回。
「もしもし、真弓ちゃん? どうしたの?」
久我さんの声。
いつも通りの、優しい声。
「久我さん! 柳田先生が……」
私は、今朝見たことを話した。
青白い顔。
虚ろな目。
頬の大きな絆創膏と、手の包帯。
そして、白いスニーカー。
「……そうか」
久我さんの声が、沈んだ。
「やっぱり、そこまで進んでるんだ」
「久我さん、知ってたんですか?」
「……昨日、会おうとしたんだ」
久我さんが、小さく息を吐く。
「でも、はるかさん、僕を避けた」
「まるで、見られたくないって顔で」
「……」
「多分、絆創膏の下に何かあるんだと思う」
久我さんの声が、震えてる。
「真弓ちゃん、お願いがある」
「はい」
「はるかさんを、見守ってくれないか?」
「僕が近づくと逃げるから……君なら、そばにいられるかもしれない」
「……分かりました」
「ありがとう。何かあったら、すぐ連絡して」
電話を切った。
久我さんも、苦しんでる。
先生を助けたいのに、近づけない。
私が、見守らなきゃ。
私は、柳田先生を探して校内を歩き回った。
職員室にも、保健室にも、いない。
図書室も、体育館も、いない。
どこに行ったの?
心臓が、ドキドキしてる。
探偵さんに言われた。
先生から目を離すなって。
でも、もう見失ったよ!!
廊下を曲がった時、トイレから人が出てくるのが見えた。
やった!
柳田先生だ。
「先生!」
私は、駆け寄ろうとした。
でも――。
先生が、こっちを見た。
その瞬間、先生の表情が変わった。
怯えたような。
拒絶するような。
まるで、化け物を見たみたいな顔。
「……来ないで……来てはダメ……」
小さな声。
震えてる。
「先生……」
「……近寄らないで」
先生が、後ずさる。
壁に背中をつけて、私から離れようとしている。
包帯を巻いた左手を、ぎゅっと右手で隠す。
まるで、見られちゃいけないものを隠すみたいに。
「虚木さん……あなたは、来ちゃダメ」
「え……」
どうして?
私、何かしたの?
「あなたは……ダメなの」
先生の目が、また虚ろになる。
頬の絆創膏の下が、ぴくりと動いた気がした。
「……言ってるの」
誰が?
「あなたは……だって……」
先生の声が、途切れる。
ぞくり、と背筋が冷たくなった。
私はダメって……一体どういう?
誰が、言ってるの?
「先生、それって……」
「……ごめんなさい」
先生が、走り出した。
廊下を、よろよろと走っていく。
白いスニーカーが、パタパタと音を立てる。
「先生!」
追いかけようとした。
でも、先生は階段を下りていった。
私も急いで階段を下りる。
え?
一体どこに行ったの?
一階の廊下を見渡す。
誰もいない。
消えた。
どこに……?
茫然と私は、その場に立ち尽くした。
手が、震えている。
先生、もう――。
もう、先生じゃないのかもしれない。
誰かに、何かに、
乗っ取られてるのかもしれない。
◇
放課後。
私は、もう一度柳田先生を探した。
でも、どこにもいない。
職員室で他の先生に聞いても、「早退した」と言われるだけ。
早退……?
どこに行ったの?
家?
それとも――。
校舎を出て、帰ろうとした時。
校舎の裏側から、声が聞こえた。
女性の、泣き声。
え……?
こっそり近づいて、覗く。
柳田先生が、一人で立っていた。
鏡――手鏡を持って、自分の顔を見ている。
何してるの?
「……いや」
先生の声が、震えている。
「……いや、いや……」
何を見てるの?
私は、もう少し近づいた。
息を殺して。
バレないように。
そして――。
見えた。
柳田先生が、頬の絆創膏を、そっと剥がす。
その下に――。
小さな、目があった。
え……?
頬に、縦に開いた、小さな目。
まぶたがあって、まつげがあって。
それが、ぎょろぎょろと動いている。
上を見たり、下を見たり。
左右に動いたり。
まるで、生きてるみたいに。
気持ち悪い。
すごく、気持ち悪い。
「……いや」
先生の声が、震えている。
次に、手の包帯を、ほどく。
震える指で、ゆっくりと。
手の甲に――口があった。
小さな、でも確かに口の形をした亀裂。
唇があって、歯が見える。
それが、ぱくぱくと開閉している。
何か、喋ってる。
聞こえない。
でも、口の動きで分かる。
『来て』
『来て』
『来て』
何度も、何度も。
「……いや、いや……」
先生が、泣き出した。
涙が、ぽろぽろとこぼれる。
頬の小さな目も、涙を流している。
気持ち悪い。
でも、先生が可哀想で。
胸が、痛い。
「……私……何……?」
先生が、震える声で呟く。
「……私、どうなっちゃうの……?」
手鏡を見つめる先生の顔が、歪んでいる。
泣いている。
でも――。
鏡に映った先生の顔は、笑っていた。
いや、笑わされている。
頬の小さな目が、にやりと細められている。
手の甲の小さな口が、にたにたと笑っている。
先生本人は泣いてるのに。
気持ち悪い。
怖い。
こんなの、おかしい。
「……やだ……やだ……」
先生が、手鏡を落とした。
ガシャン、と割れる音。
破片が、地面に散らばる。
「樹さん……」
先生が、名前を呼んだ。
久我さんの、名前。
「樹さん……助けて……」
「助けて……」
その声が、だんだん小さくなっていく。
私は、声をかけられなかった。
何も、できなかった。
ただ、見ているだけだった。
柳田先生が、変わっていくのを。
先生の白いスニーカーが、地面を踏みしめる。
でも、その足は、もう先生のものじゃない気がした。
先生じゃない、何かが。
先生の身体を、乗っ取ってる。
私は、そっとその場を離れた。
見ちゃいけないものを、見た気がした。
◇
家に帰る途中、私はもう一度久我さんに電話をかけた。
コール音が鳴る。
二回、三回。
「もしもし、真弓ちゃん? どうしたの?」
久我さんの声。
いつも通りの、優しい声。
でも、なんだか疲れてる気がした。
「久我さん! 柳田先生が……」
私は、今日見たことを話した。
虚ろな目。
頬の絆創膏と、手の包帯。
そして――校舎裏で見た、あれ。
頬の、小さな目。
手の甲の、小さな口。
「……頬に、目が?」
久我さんの声が、震えた。
「手に、口が……?」
「はい……」
私も、声が震えてる。
思い出すだけで、気持ち悪い。
「……そんな」
久我さんの声が、苦しそうだ。
息を呑む音が聞こえた。
「久我さん、どうすればっ!?」
お願い。
久我さんなら、何かできるはず。
だってオカルトのライターで、
不思議な事件も一杯取材してるんだもんね。
「……昔調べた文献にそんなケースが載っていた
まさかとは思ってたんだけど……」
「先生は……先生はどうなっちゃうんですか!!」
久我さんが、小さく息を吐く。
疲れた、悲しい息。
「わからない……会ってみないと。
でも、はるかさん、僕を避けるんだよ」
「え……」
「昨日も会おうとしたんだけど、逃げられた」
久我さんの声が、辛そうだ。
痛々しい。
「まるで、僕を見ちゃいけないみたいに」
「……」
「多分……僕に、見られたくないんだと思う」
「あの姿を」
そっか。
先生、久我さんに見られたくないんだ。
頬の目も、手の口も。
大好きな人に、あんな姿見られたくないよね。
「学校でも、噂になってるんじゃないか?」
久我さんが、静かに聞く。
「DV、とか」
「……はい」
私は、正直に答えた。
実際、クラスメイトの何人かがひそひそ話してた。
「柳田先生、絆創膏してたよね」
「手にも包帯……怪我したのかな」
「もしかして、彼氏に……?」
「え、まさか……」
「でも、DVって隠すじゃん、普通」
そんな声を、聞いた。
「……そうか」
久我さんの声が、沈む。
重い。
「はるかさん、それも辛いだろうな」
「僕のせいだって、思われてるのかもしれない」
「久我さん……」
久我さん、何も悪くないのに。
なのに、こんな風に疑われて。
辛いよね。
「真弓ちゃん、お願いがある」
「はい」
「明日、はるかさんを見かけたら、教えてくれる?」
「家にも行ってみたんだけど、今、どこにいるのか分からなくて」
久我さんの声が、必死だ。
先生を、助けたいんだ。
「……分かりました」
「ありがとう。本当に、ありがとう」
電話を切った。
胸が、重い。
先生は、変わっていってる。
久我さんは、苦しんでる。
私は――。
何もできない。
◇
家に帰っても、何も手につかなかった。
ご飯を食べても、味がしない。
お母さんの作った肉じゃが、いつもなら大好きなのに。
口に入れても、砂を噛んでるみたいだった。
母が心配そうに声をかけてくれた。
「真弓、大丈夫? 顔色悪いわよ」
「大丈夫……ちょっと疲れただけ」
嘘。
全然、大丈夫じゃない。
でも、心配かけたくない。
部屋に戻って、ベッドに倒れ込む。
天井を、ぼんやりと見つめる。
スマホを見る。
梓さんから、連絡はない。
探偵さんからも、ない。
私、一人ぼっちだ。
柳田先生は、どんどん変わっていく。
誰も、助けられない。
私も、何もできない。
目を閉じると、先生の顔が浮かぶ。
虚ろな目。
頬の、小さな目。
手の甲の、小さな口。
笑わされている顔。
そして――。
白いスニーカー。
あの時、池袋の森で見た。
影を操っていた人が履いていた、白いスニーカー。
清音さんが、あそこにいたのかと思っていた。
でも、もしかして――。
あそこにいたのは――。
あの時、あの場所にいたのは清音さんじゃなかったかも!?
柳田先生が――。
いや。
考えたくない。
でも、考えちゃう。
どうすればいいの?
私は目をつぶって布団に頭を突っ込む。
もう――。
限界だ。
誰か――。
誰か、助けて。
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