Chapter 3 Contract 契約
第10話 三日目の朝
目覚ましが鳴る。
重い瞼を開けると、天井が見えた。
(……あの人……)
胸が、どくん、と跳ねる。
探偵さんの腕の感触。
お姫様抱っこされたときの体温。
常軌を逸した身体能力――
(……って、私、何考えてるの……!)
顔が熱くなる。
慌てて体を起こすと、後頭部がずきんと痛む。
腕には、かすり傷。
パジャマの裾が破れてる。
(……そうだ……千晶ちゃん……)
胸のドキドキが、一気に冷える。
昨夜のことが、フラッシュバックする。
黒い影。
探偵さん。
そして――
(……千晶ちゃん……)
胸が、ぎゅっと痛む。
時計を見る。
いつもより30分遅い。
「やば……遅刻する……!」
慌てて着替えて、家を飛び出した。
◇
駅前で、サヤカと合流した。
「おはよー、真弓」
「おはよ……」
サヤカが、私の顔をじっと見た。
「……真弓、顔色悪いよ?」
「え、そう?」
「うん。目の下にクマあるし……寝不足?」
「ちょっと……夢見ちゃって……」
「また悪夢? 最近多いよね」
サヤカが心配そうに眉を寄せる。
「大丈夫? 保健室行く?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから」
本当のことは、言えない。
夢のこと。
真夜中に一人で出歩いたこと。
黒い影に襲われたこと。
探偵さんに助けられたこと。
――全部、言えない。
「……真弓?」
「ん?」
「ほんとに大丈夫? なんか……元気ないよ?」
サヤカの声が、優しい。
「……うん。大丈夫」
私は無理やり笑顔を作った。
「ちょっと疲れてるだけ。大丈夫だから」
「……そう。無理しないでね」
サヤカは、それ以上追及しなかった。
そういうところが、サヤカの優しさだ。
◇
学校に着くと、いつもと違う空気を感じた。
教室の前で、生徒たちがひそひそ話している。
「聞いた?」
「まじで?」
「やばくない?」
(……何……?)
胸騒ぎがする。
嫌な予感。
私とサヤカは、顔を見合わせた。
「……何かあったのかな……」
「……分かんない……」
教室の扉を開ける。
そしてその日も一見すると、普段と変わらないような一日がはじまった。いえはじまって?
しかし、そんな思いは、すぐに粉砕されることになるのだけれど。
――休み時間。
私は、意を決して梓さんの席に向かった。
(聞かなきゃ……夢のこと……)
心臓がバクバク鳴る。
でも、知りたい。
「あ、あの……梓さん」
「……虚木真弓さん」
梓さんが、静かにこちらを見た。
「昨日の夜……夢、見たんです」
「夢?」
「その……変な夢で……梓さんが、弓を持ってて……」
梓さんの目が、一瞬だけ細められた。
「……そう」
「あの……それって……」
「気をつけて、虚木真弓さん」
「え……?」
「あなたは、見えてしまうのね。
それは、とても危ないことだから」
梓さんはそれだけ言うと、また本を開いた。
(……見えてしまう……?)
どういうこと?
夢じゃなかったってこと?
混乱したまま、席に戻る。
そして――
その日の午後から、梓さんへのいじめが始まった。
そのきっかけは何だったんだろう。
ほんとに、大したことじゃなかった気がする。
だって梓さん、別に何かしたわけじゃないし。
いきなりクラスの空気を悪くするような失言もしてないし。
授業中に先生へ噛みついたとかでもないし。
むしろ、あの人、ずっと静かで、
誰かとぶつかる隙すらなかったんだよ。
なのに――午後にはもう、なんかあの子ムカつくよね、みたいな空気になっていた。
原因は多分……いや、ほんと多分なんだけど、今朝のホームルームで起きた、たった一つのそれだけのこと。
先生がプリントを配って、美咲さんがそれを床に落として、拾おうともしなくて、でも梓さんがすっと拾って渡した時。
あの時の美咲さんの顔。
あれだと思う。
たぶん、あの一瞬だった。
(あー……やばいやつだこれ……)
私の中の危険センサーが、パチンってスイッチ入れたみたいに鳴った。
でもその瞬間には、まだ誰も何も言わなかったし、まして私に何かできるわけでもなかった。
ただ――あれが始まりだったんだ。
今なら、分かる。
今日の教室は、午後から変な温度だった。
クーラーは効いてるのに、空気はぬるい。
人の視線って温度あるんだなって、あの時初めて思った。
「ねえ見た? さっきのあれ」
「やばくない?」
クラスの女子カースト上位3人組。
相沢ミサと、その取り巻き二名。
ミサは背が高くて、スタイルもいい。
セミロングの髪はサラサラで、メイクも上手い。
多分、親の金で買ったブランドもののヘアピンが、
わざとらしくキラキラしてる。
取り巻きの2人は、
ミサのコピーみたいに髪型も仕草も真似してる。
なんかもう、声にトゲが刺さってるんですよ。
私はプリントを出しながら聞こえないふりをしたけど、
耳は勝手に拾っちゃう。そういう仕様なんです、私。
「ていうかさ、なんか気取ってない?」
「わかる。あれ絶対ウチらのことバカにしてるよね」
(いやいやいや、何もしてないじゃん……。昨日プリント拾ってくれただけじゃん……ていうか拾えよ……)
心の中で全力ツッコミするけど、もちろん言えません。
だって私、勇気とか戦闘力とかそういうステータス全部初期値ですし。
そして――
標的にされてる本人、梓さんはというと。
席に座って、真っ直ぐ黒板を見てる。
表情ゼロ。
眉ひとつ動かない。
なんなら呼吸してるのかも怪しいくらい静か。
まるで何かを待っているような、そんな目をしていた。
いじめられても動じない――というより、
最初から覚悟していたような静けさ。
それが逆に、クラスメイトを苛立たせているように見えた。
(わ、わ……これ、もっと悪くなる……)
思った通りに、女子たちが梓さんの前で口を開き始める。
「田舎帰れよって感じなんだけどー」
「昨日の挨拶のやつもさ、なんか嘘っぽくなかった?」
(いや、めっちゃ丁寧だったよ……?
むしろあなたたちより礼儀正しかったよ……?)
そういうのも全部言えずに、私はただプリントの角をいじる。
――その時。
「ちょっと静かにしよ?」
柳田先生が入ってきた。
声は優しいけど、瞳の奥にちゃんと怒ってるのが分かるやつ。
「今朝のこと、私は見てたからね。人に拾わせるのはよくないよ?」
「……はーい……」
「……すみませーん……」
完全にやる気ゼロの謝罪。
はい、これは絶対に反省してないやつです。
秒で分かる。
梓さんはというと、やっぱり無反応。
ほんとに「気にしてない」って感じだった。
(それがまた……火に油ってやつだよね……)
私の胸に、いやーな予感が広がる。
これ絶対終わらない。むしろこれから始まるタイプのやつだ。
案の定、休み時間になった瞬間。
「ねえ矢野さんってさあ」
「昨日のニュースのあれ、知ってる?」
「うちらの駅の近くで失踪あったじゃん。関係あったりして」
「ちょっと、それどういう……」と止めたいけど、声が出ない。
喉がぎゅっと縮まる。心臓だけがバンバンうるさい。
梓さんは……
本当に何も言わない。
ただ黒板を見て、ペンを動かすでもなく、
呼吸の音すらしないみたいに静か。
(わ、わ……これ、もっと悪くなる……)
私は机の端を握りしめて、ただそれを見ていた。
止められない。止められない自分が一番嫌い。
そんな私を横目で見て、サヤカが小声で言う。
「真弓、顔色やばいよ……」
「……うん……分かってる……」
でも、どうにもならない。
そして放課後――
最悪は、本当にそこからだった。
翌日の教室は、妙にざわついていた。
夏の日差しがカーテンから差し込み、机の上を白く照らしているのに、空気だけが濁っているように感じた。
「ほんと態度悪い……」
「……ムカツク」
耳に入れたくない声が、背後から聞こえてくる。
(……梓さん……)
視線を向けると、教室の中央で梓さんを取り囲むように三人の女子が立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます