父の無理解や偏見こそが私の救いだった。

旭山植物園

食卓

夜7時12分。食卓には、安っぽいテレビのニュース番組が流す無機質な光と、父の咀嚼音だけがあった。私は、父の食べるスピードに合わせて皿の上の煮物を口に運ぶ。


父は、自分の中のものさしで測れないものを、ことごとく「醜悪しゅうあく」と断じる人間だ。


先日、テレビで若者の間で多様な性のあり方についての議論が特集された際、父は平気な顔で言った。


「男同士で付き合うなんて気持ち悪いな。あれを容認したら社会が乱れる」


その言葉を聞いた瞬間、私の胸にはひやりとした安堵が広がった。


まだ、バレていない。


私の心臓の真下に巣食う、あのドロドロとした、父が聞けば間違いなく顔を歪ませるであろう「醜悪」に、父のものさしはまだ届いていない。

父の偏狭で不愉快な発言は、私にとっての安息の証明だった。父が私を見抜いていない証拠。


だから、私は父の不愉快な言葉を待っている。あの言葉を聞く度に、私は自分の「まとも」という仮面が今日も完璧に機能したことを確認し、深く息を吐く。


「なんだ、お前、そんなに煮物が気に入ったか?」


父が笑う。無邪気な、何も見抜いていない笑みだ。


「ああ、美味しいよ」


私も笑う。父が望む、清廉で真っすぐな、何の影もない「まともな息子」の笑みだ。



この演技を終え、自室に戻ると、必ず自己嫌悪が襲ってくる。父の嫌悪感という名の暖炉の熱で、私の本質は凍りついている。私は汚い。なのに、その汚れた自分を守るために、私は父が最も嫌うであろう欺瞞ぎまんの上に胡坐あぐらをかいている。

私はどこか、父の怒りの鉄槌で、この偽りの安寧を破壊してほしいと願っていた。父の激昂こそが、私をこの嘘から解放してくれる唯一の道だと、心のどこかで信じていたのだ。





二週間後、その均衡が崩れた。

テレビで、フェミニズム活動に関するニュースが流れていた。私はいつものように、父の口から「馬鹿らしい」といった言葉が出るのを待った。あの、粘着質で聞き慣れた言葉。それが私の安心だ。

しかし、父は箸を置かなかった。黙って茶を啜り、視線をテレビに向けたまま、静かに言った。


「…まあ、そういう時代なんだろうな。昔とは違うからな」


心臓が、耳元で雷鳴のように鳴り響いた。

私は箸を取り落とす寸前だった。父の言葉には、以前のような強烈な嫌悪感がなかった。それは、無関心とも違う。どことなく、世間の流れを受け入れようとしているような、諦めにも似たトーンだった。


「と、父さん?」


声が上擦る。


「なんだ」


「…前は、ああいうの、意味がわからないって言ってたじゃないか」


父はちらりと私を見た。その目は、少しだけ疲れているように見えた。


「ああ、まあな。でもな、会社でもそういう話が最近出るようになってきて、あまり強く否定するのも、角が立つというか…」


父は言葉を選びながら、「…とにかく、俺は別に構わん。外で他人に迷惑かけなきゃな」と付け加えた。





その言葉は、私にとって絶望だった。


父の悪態は、私の醜悪な部分を否定することで、私と父の間にある絶対に越えられない壁を明確に示していた。

その壁の存在こそが、私の拠り所だった。父は私の偽りの姿に安寧を見出し、私は父の無知に安寧を見出していた。

だが、今、父はそのものさしを弛ませた。その行動の裏にある可能性が、私を恐怖させた。



可能性1: 父は本当に世間の流れを受け入れ始めた。私の「無知で無遠慮な父」という信頼が崩壊する。


可能性2: 父は私の「醜悪」に気づいた。しかし、私を傷つけないために、あえて優しさという名の見たくないものとして扱おうとしている。



もし後者だとしたら、それは私にとって最大の絶望だ。「ボロクソに言ってくれる」という信頼は、私を裁き、解放してくれる唯一の希望だった。

その希望が、父の「優しさ」によって、永久に保留されてしまう。父は私を見抜いた上で、私を破壊せず、この嘘まみれの人生を生きることを許容するだろう。

それは、私自身の「己を罰したい」という願望の否定だった。




その夜、自室の鏡の前に立ち、私は自分の顔を観察した。何の変哲もない、平凡な顔。父が愛し、信じている「まともな息子」の顔。

父は、本当に気づいているのだろうか?



翌日、私は父のものさしを試す、最後の賭けに出た。

食卓で、私は意図的に、大学にいる少し派手な女性との他愛ない話を持ち出した。楽しそうに、少し大げさに。父が喜びそうな、世間一般の恋愛観に沿った話を。


「あの子、結構グイグイ来るんだけどさ。俺はああいうのに弱いんだよな」


私は震える手を食卓の下で強く握った。



父は嬉しそうに笑った。


「そうか、そうか。良いじゃないか。男なら、多少派手なくらいの女の方が面白いぞ」


その笑みは、偽りがないように見えた。以前の、何の曇りもない父の笑みだった。父は、私の「まともな息子」としての振る舞いを、心から喜んでいる。

昨日の父の言葉のトーンの変化は、単に会社での人間関係を円滑にするための、世間体を繕う父の演技だったのだ。


私は、崩壊しそうになった仮面を、再び顔に強く押し戻した。


父は何も気づいていない。私の醜悪さは、まだこの仮面の下に隠れている。父の偏見という名の壁は健在だ。私は、父の無知によって、再び「安寧」の檻に閉じ込められた。


安堵が、全身を駆け巡った。そして、その安堵と同時に、底なしの自己嫌悪が襲いかかる。私はまた、父を欺き、自分の本質を隠すことに成功してしまった。

父の「気持ち悪い」という言葉が響かない限り、私の「醜悪さ」は永遠に罰せられず、この仮面を被り続けなければならない。


私は悟った。父の偏見が変わらない限り、私はこの偽りの人生から解放されることはない。父の不愉快な発言は、私にとっての安心であると同時に、永遠に続くこの地獄日常の契約書だった。





今日も食卓に座り、私は煮物を食べる。テレビで流れる何の変哲もないニュース。


「…まったく、最近の若いもんは根性がないな」


父が口を開く。いつもの、聞き慣れた、不愉快な言葉だ。

私はそれに心底安堵し、心の中で深く頭を垂れる。


(ああ、まだ、バレていない)


そして、この安心感こそが、自分自身を深く嫌悪する理由となることを知りながら、私は父の望む「まともな息子」として静かに笑った。



この日常地獄は、明日も続く。

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父の無理解や偏見こそが私の救いだった。 旭山植物園 @dobugawa

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