お母さん、人はどうして他人の恋人を奪うの?
イズラ
お母さん、人はどうして他人の恋人を奪うの?
素朴な疑問だった。
テレビでドラマを見て、思っただけのことだった。
日本の、ある町の、若い会社員カップル。とても幸せそうなカップルだった。結婚の約束もしていた二人だったのに、同僚の男の介入によって、あっけなく崩壊する──。小学五年生には、とても早過ぎる内容だった。
それでも、母は答えてくれた。
「好きになった人に、たまたま恋人がいただけ」。
*
「……それで、どうしたの?」
親友が、少し心配した顔で尋ねてきた。
私は暖かいココアを一口飲み、深い呼吸をした。親友が急かそうとすると、被せてまた深呼吸する。
「……それで?」
恐る恐る問いかける友人に、私はついに口を開いた。
「……かれしが、寝取られましたー!!」
手を大きく万歳しながら、とても大げさに叫んだ。
「……は……?」
親友はポカンとした顔で、万歳ポーズの私を黙って見つめるだけだった。
店内は、静まり返っていた。
「──まぁ、あんな風になる気持ちもわかるよ……?」
親友、トモカが諭すように言った。
「……でも、だからって、カフェの店内で叫ばれてもねぇ……!?」
一度立ち止まり、私に詰め寄るトモカ。恥ずかしがっている──というよりは、漠然とした”疑念”だった。
私は「……ごめん」と低い声で謝ると、一歩後ろに下がった。
「……道の真ん中で詰め寄るのも、どうかと思うけど……」
ボソッと言うと、トモカはまた一歩踏み込んできた。
「それと比べんな! 第一、”寝取られた”ってのは、あんま公共の場で言っていい言葉じゃないでしょ……!」
もっともな意見に、私はふんふんと大げさにうなづいた。
「あと、あんま無理すんな!? 精神状態ヤバいんなら、素直になりなさい!」
「わかった」
即答すると、トモカは何とも言えない表情になる。そして、言葉に詰まっていた。
私はまた一歩下がり、ガードレールに両手を置いた。
すると、トモカがようやく落ち着いた調子で口を開く。
「……とにかく、事情ちゃんと話しなよ……。どういう経緯で寝取られたの……?」
「……ぶっちゃけ、私そこまで気にしてないよ」
私がそう言った瞬間、親友は「はぁ!?」と叫ぶ。一瞬だけ、周囲の目が集まる声量だった。
「……確かに寝取られたけど、でも、別に普通のことなんじゃない? ”人を好きになる”って」
トモカはただ黙って、私の言い分を聞いていた。その目は鋭い。
「『好きになった人に、たまたま恋人がいただけ』。たったそれだけの話じゃん。それに、お互い”好き同士”な人と付き合う方が……」
そこまでで我慢できなくなったのか、トモカは「ちげーよ!」と被せる。
「……ぜんっぜん分かってない! なんでダメなのかすら分からないの!? ……お前、いろんな意味で見直したよ!──」
激しい感情が波立ち、私を飲み込む。トモカは人目も気にせず、延々と私に説教した。
私は終始、彼女の言葉に共感できなかった。
一通り話、息が途切れ、トモカは一歩後ずさる。そして、真剣な目で私を見つめた。
「……リコ、そのままじゃホントに、取り返しつかなくなるよ……?」
「…………そっか」
すぐ後ろを、車が走り抜けた。
*
「……付き合ってください!」
あれから一か月後、私は告白した。
相手はサッカー部の照橋。レギュラー入りしてるし、イケメンだし、何より優しい。
「……いいよ」
彼は、強くうなづいた。
内心興奮しながらも、おしとやかさは忘れない。そっと手を取り、優しく握る。
「……それじゃぁ、……よろしくね」
顔を上げた彼を、私は舐めるような目で見る。驚きと嬉しさとが混ざった顔が、少し可愛かった。
お互い、口角を上げた顔で見つめ合った。
さっそく次の日、友達に自慢した。
「──え? 三組の照橋? そいつ彼女いるでしょ?」
返ってきた言葉は衝撃的で、同時に非現実的に思えた。
「……え?」
「あーもう、見栄張らなくていいから! 照橋の彼女、あんたの隣でしょ!?」
さらに衝撃。
私は、はーと長く息を吐いて、言った。
「ごめんごめん、冗談だよー!」
「ごめんごめん、冗談だよ……」
それから三週間で、私は完全に照橋に飽きていた。男として、とっくに魅力を見い出せなくなっていたのだ。
むしろ、ちょっとしたやり取りで苛立つようになってきた。
それでも、彼は私のことが好きなようだ。
だから、まだ付き合ってる?
──いや、違う。理由はまだある。
「……ねぇ、ケイスケ」
「……ん?」
「……私とあの子、どっちが好き?」
荒い呼吸。舐めるような、甘えるような目線。
ケイスケは、一つしか選べなかった。
*
”悪いこと”だなんて、微塵も思ってなかった。
「人を好きになって何が悪い」。初めはそんな気持ちだった。だから、分かってても付き合っていた。
でも、今は違う。
「好きになった人に、たまたま恋人がいただけ」。──これを、明確に否定できる。
私がお母さんになったら、こう答える。
「他人の物だから、欲しいのよ」。
お母さん、人はどうして他人の恋人を奪うの? イズラ @izura
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