綺麗なもの

沖方

綺麗なもの

 それに巻き込まれたのは本当に偶然だった。


 その日、俺は母方の祖父母宅の家に訪れていた。そしたら、偶然、祖父母から某テレビ局に勤めている親戚に届け物があった。俺はその日、都合良く大学の授業が休みだった。


 だから、祖父母からその届け物を届けるように頼まれた。届け物は数週間前に行ったらしい旅行先のお土産のお菓子だった。


 だから、テレビ局に行った。


 すると、久々に対面で再会した、その親戚が某有名ニュース番組の収録を見せてくれると収録現場に連れて行ってくれた。その後、その親戚は電話が来たため、一旦席を外した。俺はその場に残った。親戚が戻ってくるのを待っていた。


 そして、ニュース番組の収録もそれなりに順調に進んだところで、事件は起きた。




「助けてって言っても、誰も助けてくれなかった」


「うん」


 俺は目の前にいる女の子の言葉に頷く。皆、彼女に怯えていた。けれど俺はそう、できなかった。いや、しなかった。彼女の手にはどこから入手したのか、拳銃が握られていた。明らかに危なかった。



 この状況の原因は遡ること約三ヶ月前。


 約三ヶ月前、爆破テロが日本で起こった。現場は人の多く集まる大きな公園。休日の昼近くのことだった。死者は幸か不幸か、子ども一人。負傷者は数えられないほど。世界的にも大々的に報道されるほどのテロだった。



「私一人ではどうしようもできなかった」


「うん」



 今、目の前にいる彼女はその事件に巻き込まれ、負傷した人の一人だった。左腕を骨折して、右眼も失明してしまったらしい。それでも、生きていた。生き残っていた。爆心地に近いところにいた人の一人だった。生きているのが奇跡だと言われるほど、近くにいたらしい。



 そして、そんな彼女が今、俺の目の前に立っている。俺はそんな彼女の目の前に立っている。


 どうして、彼女がこの収録現場にいたのか。何故、それを誰も分からなかったのか。そんなこと、今となっては誰も分からない。誰も気にしない。


 そして、俺がその彼女と一対一で対話している理由も俺と、収録現場に戻るに戻れないであろう親戚しか、分からないことだ。


「一人の子どもも助けられなかった私は、生きる価値なんてない」


「そっか」


 泣きそうな声で話す彼女。そんな彼女の言葉に俺はただ、頷いて。周囲の人はそんな彼女の言葉を怯えながら聞いて。



 テロ直前、彼女の近くには一人、少年がいた。彼女とは血の繋がりなんてない、赤の他人の小学生。彼は唯一、このテロで亡くなってしまった。彼が爆弾に気付かなければ、もっと死者はきっと多かっただろうと言われている。


 彼の声が死者を減らしたのだと。


 そう言われて、嬉しく思う人がいるのか?


 そうだと俺は思えない。だって、死んだ彼自身が死者を「一人」も出したくないと願う人間だったのだから。




『俺さ、医者になりたいんだ。医者になって皆を助けたいんだ』




「あの子の最期の顔が、今でも頭から離れないんだ」


「うん」


 目の前にいる彼女は少年の最期の時を唯一、見ていた人物だった。その死の瞬間を目の当たりにした。最後の言葉を、最後の目を、最期の瞬間を唯一、知っている人物だった。



 他の人間は対処しきれないほどの数いた負傷者の手当や搬送に手を取られていた。だから、少年の最期を誰も見ていなかった。彼女の助けを求める声は消された。まだ、息のあった少年の命を人々は見逃した。



「助けてって言ってきた。痛いよって言ってきた。でも、私は何もできなかった」


「そっか」



 勇敢だと、ヒーローだと、世間は少年の死を讃えた。彼がいたから、多くの人間は生きることができたのだと。


 その死に際を目にしなかった世間が彼の行為を褒め讃えた。彼の死が多くの人間を生かしたのだ、と言う人間まで出てくる始末だった。


 賛美・美化・称賛


 それは美しいことじゃない。それは他人の自己満足なだけ。そうやって、人を祭り上げる。そうやって、誰かを苦しめるんだ。そうやって、俺らを、彼女達を、苦しめた。



「彼を、助けられなかった」



 きっと、彼は笑みを浮かべて死んだ。彼はそういう人間だった。


 きっときっと、そうして死んでいったのだろうと分かった。



「私があの子と代われたらって。そうできたら、あの子は生きられたんだろうって」


「うん」


 でも、目の前にいる彼女は彼の死を、死の瞬間をその目で見ていた。だから彼が死に際に何を言ったのかを知っていた。


 少年は死にたくないと、助けてと、痛いと。


 そう、彼女に訴えた。


「そう、思ったのか」


 小さく呟く。


「だからっ」


「一つ良いかな」



 英雄だろうとなんだろうと、人なんだから最期の瞬間に生きたいと思うのは、助けてほしいと言ってしまうのは当然のことだ。



 彼女はそう、彼に訴えられたからここにいる。


 俺に銃口を向けて、そこにいる。


「・・・・・・え?」


 でも、それがすべてじゃない。言葉だけがすべてじゃない。


 それを俺は知っている。


 特に『』に関しては。


「君はあの子と代わっちゃいけない。あの子は君を恨んじゃいない。君があの子に代わるなんて考えないで」


「どうして、そんなこと、あなたが言えるの?」


 彼女は大層、驚いた顔をして俺に尋ねる。そりゃそうなるよなと思った。俺と彼の関係なんて俺と祖父母とテレビ局勤めの親戚と、あと数人だけしか知らない。それくらいに誰も知らない関係だった。


 でもだからこそ、分かるのだ。



 あの子は、レオンはきっと「ああ、綺麗な宝石だ」って思って死んだんだ。彼女が流した涙を。彼女の、その気持ちを。


 そして、俺がそう、言えるのは───




「だって、レオンは僕の弟なんだもん。お兄ちゃんが弟の考えること、分からないはずないでしょ?」




 それはともに生きてきたから分かること。


 それは自分だから分かること。


 それは、俺の弟だから言うこと。



「・・・・・・・・・・・・おとう、と」


「うん。それにさ、最後にレオンがなんて言ったか、君は覚えてるでしょ?」


 これが全国に流されるってなったら、ちょっと恥ずかしい言葉。でも、彼女がTVスタジオにいた時点で運命は決まっていた。覚悟はしていた。あの弟ならきっと、こう言っていたのだと。




「『ああ、なんて綺麗なんだ』」


 その死に際の一言を。




「きっと綺麗だったんだろうね、その涙が」


 俺は生憎、レオンとは違う。だから彼女の流す涙に価値を、美しさを感じられない。綺麗だとも思えない。


 でも彼女のと、綺麗だと思えた。一途で純粋で誰にも流されない強さが垣間見えて、綺麗だと思えた。


「俺はレオンとは違う。だから、レオンみたいに死に際にそんな言葉は言えない。きっと助けも、求められない」



 彼は強かった。正義感が強かった。元気が良くて、純粋で、素直な子だった。でも、我慢もして、泣きもしないで笑っていて。



「俺は弱虫だからさ。きっとレオンと同じことなんてできないよ」


「それは・・・・・・」


「でも、こんなことをする君のその思いが、その感情が美しいと、綺麗だと俺は思った」


 これだって言うのは恥ずかしい。でも、そう思ってしまったのだから仕方ない。言わなければ、どうなるか分からない。だったら、覚悟を決めて言ってしまった方がいい。言ったらどうなるか分からない。でも、言わないで後悔するよりは言って後悔する方が俺はいい。


 きっとレオンだって同じことを考えていたから、死に際に言ったんだ。


「だから、俺はここにいるんだと思うんだ」


 レオンだってそうした。


「君に生きろなんて、こんなことをするな、なんて俺は言わない。俺はレオンじゃないし、君でもない。テロに巻き込まれたわけでもない。俺には君を止める資格なんてない」


 なんで、彼女がここに来たのか。



 それはマスメディアがレオンのことを祭り上げたから。人の死を美化したから。そんな奴らに人の死を間近で見せたかったから。



 ・・・・・・俺だって恨みたい。恨みたかった。でも、それはお門違いで筋違い。俺はレオンの家族であって、彼の死を見た人物ではないから。


「でも、思ったことを言っちゃダメなんて誰も言ってないし、そんなこと、決められてなんてない。だから俺は言うんだ」


 俺は言う。俺は力に訴えない。レオンがそうのように。彼が言葉で人を助けたように。



「俺は君のその思いを、感情を大切にしてほしい」


「心の底からそう思っているよ」



 その思いが間違っていたとしても。その場に相応しくなかったとしても。


 俺はそう言うんだ。




たからくーん、一体全体、何があったのか、説明してくれるかな?」


「あー、弟の死を見届けてくれた人と話してました」


 結局、彼女は俺の言葉の後、銃を投げた。そして、投降した。


 警察は彼女を連れていって、その場にいた人のことを保護した。また、メディアは騒ぎ立てるんだろうなと分かった。


「・・・・・・そういうことか。あー、ごめん。何となくは分かった」


「ありがとう、しぃちゃん」


「しぃちゃん、言うな。ってか、そうか、レオン関係の子か」



 しぃちゃんは俺達兄弟の両親が事故で亡くなった後、俺が成人するまで面倒を見てくれていた。それ以降もよく、会って話したり、色々、お世話になっていた。


 勿論、レオンが死んだときも助けてくれた。目の前が真っ暗になっていた俺のことを支えてくれた。



「そう、あのテロの」


「・・・・・・今、思い出すだけでも胸糞悪い。犯人は自分勝手な理由で爆破テロ起こして、メディアは揃いも揃ってレオンのことを祭り上げて。正直、うちの社長を絞め殺したかった。ぶん殴りはしたけど」


「知らんうちに自分の勤めているテレビ局の社長殴らないでもらえます?」


 でも、彼はちょっと素行が悪い。いや、ちょっとですむか?


 多分、彼女よりは素行が悪い。表向きは良いが素は悪い。高校時代は番長をしていたとかの噂を聞いたことがある。が、真偽は不明だ。


「あー、ちょっといいかな?」


「「はい?」」


 後ろから声がかかった。撮影現場のテーブルに座りながら、しぃちゃんと話してたから邪魔だったかなと思い、振り返る。そこには四十代くらいのスーツ姿の人がいた。


 あ、多分、この人警察官だ。


 そう直感した。


「彼女を止めてくれたのは君で間違いない、よね?」


「あ、はい。俺です。好きで止めたわけじゃないし、お人好しで止めたわけでもないですけど。でも、俺達に関わることが原因だったので」


 俺がそう言うと、相手は苦虫を噛み潰したような顔になった。その顔ですぐに相手が俺の大体の素性を察したことも分かったし、俺が何を言いたいかも分かったらしい。


「君達兄弟には迷惑を掛けた。謝罪をしてもしきれない。彼ならず君までも」


「・・・・・・そういうことを言うのなら、言う暇があるのなら、彼女の罪の軽減のために動いてください。もしくはテロ被害者の支援をしてください」


「銃刀法違反に脅迫、不法侵入。テロ被害者の学生に背負わせるような罪じゃないもんな。まあ、償う必要はあるが、年齢的には罰されない。でも、元々の原因はテロとメディアだもんな」


「分かった。承知した。すまなかった。早急に上に掛け合おう」


 俺としぃちゃんの言葉に相手は即座に反応する。伝えたいことを全て察された。


 思っていた察し能力の高い警察官だな。そして、意外と上の立場の人だったりするのかな、この人。サラッと上に掛け合うとか言ったぞ、この人。


「・・・・・・それと、君の弟に伝えてほしい。『』と」


 頭の片隅でそんなことを考えていれば、相手は何かを思い出したかのようにそう言う。弟は、レオンは死んでいると分かって感謝を言おうとしていた。


「自分で言って伝えてくれませんか。場所は知っているでしょう?」


「俺に言う資格はない。だから、頼む」


「・・・・・・はいはい。分かりましたよ」



 その目を見て、嫌だとは言えなかった。酷く、後悔して、それでも前へと進むことを決めた人の目だった。



「ありがとう」


「ただし、俺が行くときには一緒に行ってくださいね。勿論、しぃちゃんも」


「・・・・・・承知した」


「うん、勿論だよ」


 俺の言葉に相手も、しぃちゃんも嫌がることはなく、優しく、静かに頷いた。




「ねぇ、しぃちゃん。俺がしたことは間違ってないよね」


 話していた警察官が姿を消した頃、さらにテレビ局が騒がしくなる。他の報道のメディア、刑事達、野次馬の一般人。人は永遠と増えていく。



 誰も、彼女のことを哀れまないし、レオンのことを賛美し続ける。


 そんな狂った世界。


 それが日常の世界。


 これが日常。



「間違ってない。お前もレオンも間違ったことをしてない。俺はそう思ってるよ」


「・・・・・・そっか」



 結局、世間なんてそんなもので人間はそんなもの。でも、俺はそんなことを認めたくない。せめて、俺だけでも、俺だけでも二人の思いを、事実を忘れたくない。


「綺麗なものを守るために自分が死ぬことを厭わない。正直、それが良いとは言わない。でも、お前らがそうすると決めたなら、俺は何も言わない」


「・・・・・・ありがとう」


 忘れないためにはどうするべきか。その答えは一つだけ。それはレオンとの約束でもあって。


「ってか、これからどうする? 聖くん、家帰れなくなっちゃったね。うち来る?」


「行く」



 ただ、ただ、前を向いて歩く。それが俺とレオンが約束したこと。




『綺麗なものを守るために俺/僕は前を向いてあるこう』




 それが俺とレオンの約束。

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