第10話 青の妖精、黒の悪魔と翔ける
夜の屋根の上は、思っていたよりずっと高くて、ずっと冷たかった。
でも──胸の奥は、それとは逆に熱くて仕方がなかった。
(……黒の悪魔さん……)
彼の黒いマントの後ろ姿が、夜風を切る。その背中を、わたしは必死に追いかけていた。
足が震える。でも、止まらない。
ガルドさんが隣でぼやく声が聞こえる。
「……おい、大丈夫か? 落ちるぞ?」
「……だいじょうぶ。落ちない。黒の悪魔さんの、後ろに……いるから」
「そうじゃなくてだなぁ!」
黒の悪魔さんはふわりと振り返った。
フードの奥で微笑んでいる。素敵。
「セリア〜♪ ほんとについてくるんだね〜?」
「……ついていく。どこまでも」
「どこまでもはダメだよ〜? 危ないとこもあるし〜」
「行く。危なくても、死んでも、行く」
「死んじゃダメだよ〜!?」
ガルドさんがなぜか怒っている?
「おい!! お前が一番しっかり言え!! “死んじゃダメ”って!!」
黒の悪魔さんは肩をすくめた。
「言ってるよ〜? でもこの子、聞く気ないんだもん〜♪」
(聞く気は……ない。だって……)
胸が高鳴り、じん、と熱くなる。
(だって、あの夜……決めたんだもん。
この人だって……
この人だけ見てていいって、わかっちゃった)
わたしは彼の背中を追いかけながら、満たされ続けているのを感じていた。
(ああ。彼の背中を見ていると、呼吸がしやすい。
生きている実感がある。
逆に──見失ったら、と考えるだけで息苦しい。)
「黒の悪魔さん……黒さま……」
「ん?黒さま?……俺のことね~♪なぁに〜?」
「……ずっと、隣にいさせて」
「またそれ〜? セリアは重いな〜♪」
「重くても……離れない。死ぬまで」
ガルドさんのがボソっと呟く。
「……黒。これほんとに連れてく気か?」
「ん〜……放っといたら死にそうだしね〜」
「本音がそれかよ!!」
わたしは二人の会話を気にしていない。黒さまの背中だけを見続ける。
◆
屋根の上を進むうち、彼が突然立ち止まった。
「あ、いたいた〜♪」
そこには──
二人組のコソ泥が夜道でコソコソと金袋を掲げていた。
「やったな! 今日の稼ぎは……」
「み~つけた〜♪」
「ひっ!?」
あっという間だった。彼は地面に降りるより早く、二人を逆さまに叩きつける。
そして縄を取り出し、慣れた手つきで巻き始める。
(……きれい……)
縄が、まるで芸術品を作る職人のように動く。犯人の身体は、くる、くる、くる、と美しく巻かれていく。
「黒の悪魔さま!!す、すみません!!!」
「ま、まいりましたぁ!!」
「ごめんね〜♪ 悪い人は〜……はい
くる、くる、くる。
わたしは無言で近づいていた。
黒さまがこちらを見てフードの奥で笑う。
「セリアもやってみる〜?」
息が止まった。
(やれる……? 黒さまの……“仕事”を……?)
手が震える。でも、胸の内から熱がこみ上げてくる。
「……やる……やらせて……」
「じゃあね〜? まずは“優しく”ね?」
黒さまは、わたしの手をそっと取って、縄の持ち方と、力加減を教えてくれる。
その指先が触れる。
(……あ……)
心臓が跳ねた。体温が一気に上がる。
触れられただけで、胸の中心が溶けるほど熱くて──
意識が飛びそうなほど幸せ。
黒さまの魔力に、自分の魔力が共鳴してる。はっきりと聞こえる。
それはきっと、わたしのすべてが満たされる音。
ガルドさんが叫んでる。
「おい黒!! 近すぎる!! この子、顔真っ赤だぞ!!」
「え〜? 教えてるだけだよ〜?」
「いや、危険だって! 色んな意味で!!」
わたしはそっと息を吐く。
(黒さまは……触れるだけで、わたしを満たしてくれる……
ああ、わたしの今までは彼に会うためのものだったんだ……)
黒さまの声が降りてくる。
「はいできた〜♪ 上手だよセリア〜」
犯人二人は、綺麗に巻かれて転がっていた。
わたしは胸が高鳴る。
(これ……黒さまと“同じ世界”にいる証……)
黒さまが手紙を書いてガルドさんに渡す。
「はい〜届けてきて〜♪」
「へいへい……お前らはここで待っとけよ」
ガルドさんが簀巻きを抱えて去る。すごい力持ち。
屋根の上には、黒さまとわたしだけが残る。
静寂。
黒さまが、こちらを振り返る。
「ねぇ、セリア〜?」
「……なに?」
「君、本当に俺から離れない気だよね〜?」
胸に手を当て、素直に言う。
「離れない。あなたが“いらない”と言っても、離れない」
黒さまは小さく笑った。
「これ……将来大変なことになるやつだよ〜?たぶん、俺が~……」
「……黒さまが大変なら、わたしも大変でいい……」
夜風が吹いた。黒いマントが揺れる。
そのとき、黒さまがぽつりと言った。
「……セリアは優しいね〜」
心臓が跳ねた。
(……褒めてくれた?……のかな?)
震えるほどの幸福が、胸を満たしていく。
わたしは小さく息を吸い、呟いた。
「……黒さま。
あなたに必要とされるなら……
わたし、なんでもする。
命でも、心でも……全部、あなたのためだけに」
黒の悪魔は、わざと軽く笑って言った。
「じゃあまずは〜……ロープの持ち運びからね〜♪」
「……はい。なんでも。全部」
(あなたのために生きる。
あなたが立っている世界だけを、わたしも歩く)
屋根の上で、わたしたちの影が重なる。
この夜──
セリアの世界は、完全に黒の悪魔へと傾いた。
そして二度と戻らなくなった。
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