第2話 いつも通りのはずだった
月冴ルリは、獣族である。
ひとくちに獣族といっても、その姿はさまざまだ。
大きく分ければ、三つの種類がある。
人型そのものが獣に近い者(獣人族)
身体の一部だけが獣の特徴を持つ者(亜獣人族)
そして、動物の姿へと変態する獣人(幻獣族)
月冴ルリ――ミミミリス・フェレスガットは、その中でも
「特定の部位が獣である獣人(亜獣人族)」だった。
生まれつき、耳が猫のようである。
そして、聴覚も運動能力も、人間よりわずかに優れている。
ただ、それだけのことだ。
だが、それだけの違いが、世界では“異物”になった。
彼女が通っていたのは、人間のほうが圧倒的に多い学校だった。
視線。ひそひそ声。からかい。無視。
それらは積み重なり、彼女の心を少しずつ削っていった。
――私は、普通になれないんだ。
そう思いはじめていたころ、彼女はひとりの配信者を知る。
同じように獣の特徴を持つ、ある獣人配信者。
その配信者は、隠さなかった。
むしろ、堂々と誇っていた。
「自分らしくあることが一番だよ」
画面の向こうでそう笑う姿に、ミミミリスは心を撃ち抜かれた。
私は、この人みたいになりたい。
私も、誰かの力になれたらいい。
そうして生まれたのが――
“月冴ルリ”というキャラクターだった。
獣人であることを誇り、希望を与える存在。
同じ境遇の誰かに、勇気を届ける存在。
……という、立派な「設定」。
だが、現実は少し違う。
本当の彼女が配信を始めた理由は、もっと単純で、ずっとくだらない。
――人気になりたかった。
――ちやほやされたかった。
――認められたかった。
学校を辞めたのも、いじめが原因ではない。
ただの留年。理由の大半は寝坊だったが、それでも、配信は続けていた。
フォロワーは210人(フォロー423人)
同時視聴者は、多くて四十人。
最初から最後まで見てくれるのは、十数人。
それなりに満足していたし、それなりに焦ってもいた。
そして、九月七日。
今日も彼女は、いつもどおり配信を始めた。
スイッチが入った瞬間、彼女は「月冴ルリ」になる。
今日も、彼女は配信を始める。
「こんばんにゃー。今日も、月冴ルリの配信はじめるにゃんっ!」
(こんばんにゃー♪)
(こんるり)
(待ってたよ)
(今日も猫)
(こんばんにゃー♪)
(通知きた!)
いつもの流れ。
いつもの、ぬるい安心感。
でも――
画面の片隅の数字が、明らかにおかしかった。
視聴者数:【64,231】
「……え?」
一瞬、思考が停止する。
「あっ。今日は……いつもより、人が多いかもにゃ~? 新規さんいらっしゃいにゃん。今日はね、街で摘んできた花を紹介しようと思ってるにゃ~」
何かのバグだと思って平常運転で配信を続けることにした。
(え、花?)
(今日は雑談回?)
(なんか思ってたんと違う)
(え、この人ほんとに月冴ルリ?)
(ダンジョンは?)
(早く話せよ)
(なんそれ)
(テンポ悪)
(俺らが見たいのはそこじゃねえ)
「じゃじゃーん。近所の人に貰った花瓶に、入れてみたんだにゃ~」
(え?なにこれ)
(は?)
(ダンジョン配信どこ)
(ふざけてる?)
(早くダンジョン行けよ)
(俺らが知りたいのは花じゃねえ)
(ガキかよ)
「……え?」
再び、数字とコメントを見る。
――視聴者数:【257,918】
そして、コメントもありえない速さで流れる。
心臓が跳ね上がった。
(え?おかしい。おかしいおかしいおかしい……)
(なんでこんなにいるの?
ていうか、ダンジョンって何?
誰かと間違えてるんじゃ……?)
「えっと……ダンジョンって、何?」
(は?)
(白々しい)
(ダンジョン配信!ダンジョン配信!)
(それはないわ)
(しらばっくれか?)
(ダンジョン配信しろよ)
「あっ……ダンジョン配信、してほしいのかにゃ?」
(おおおおおおおおおおおおおお)
(キター!!)
(英雄降臨!!!)
(ついにきたか)
(本物だ…)
(生配信で見られるとかやばすぎ)
一言。それだけで、コメントが爆発した。
流れが追えないほどに、文字が滝のように流れていく。
視聴者数はさらに跳ね上がる。
――【423,517】
(わ、わわわ……なにこれ……)
「だ、ダンジョン配信ね~。ちょっと準備とかもあるから、今日は無理かもにゃん……」
(は?)
(ふざけんな)
(冷めた)
(まぁでも…メンタルケアは大事だよな)
(無茶言うなよ)
(また今度でもいいよ)
(ゆっくりでいいにゃ)
「……おっ!スパチャだにゃ!『地下洞窟栽培』さん、ありがとにゃん!」
彼女はその長文のスパチャの文章を恐る恐る読み上げた。
「えっと……人間の魔力の完全回復には約一日…。獣人はそれ以上の時間を要する…。仮にダンジョンで魔法を使っていなくとも、相当消耗しているはず…。それでも彼女に戦えと言うのか……だそうです。……にゃん」
(それもそうか)
(たしかに)
(まあ無理はよくない)
(ソースは?)
(今日は休んどけ)
「じゃあ、ダンジョン配信はまた今度にするにゃん!今日は花の紹介続けるにゃ~」
その瞬間。
【423,517】→【29,340】→【3,842】→【2,001】
まるで、潮が引くように消えていった。
(誰もダンジョンしないお前に興味ねえよ)
(おもんな)
(時間返せ)
(まだやるの?)
(この配信、何が面白いん)
「……」
“おもんな”
その一言が、胸の奥に突き刺さる。
(私、毎日ちゃんと考えてるのに……
研究して、工夫して、やってるのに……)
「……ごめんなさい。もう、今日は終わります」
(え?)
(うそだろ)
(逃げんなよ)
(ダンジョン行けっ!)
(泣いてる?)
彼女は配信を終了した。
部屋に、静寂が落ちる。
「……あ、どうしよう……やめちゃった……」
震える指で、《アルス・カトラ》を開く。
アルス・カトラ(通称アルカト)はSNSだ。
全世界で19億人が利用している。
そして、目に飛び込んできたのは――
「九月六日、世界ダンジョン組合は、S級ダンジョン“フィストミヌカ古代王国迷宮”が
『月冴ルリ連盟』というパーティによって完全攻略されたと発表しました』
「同ダンジョンは未踏破とされており、歴史的快挙です」
「現在、ダンジョンは一部閉鎖されています」
「……え?」
血の気が引いた。
(誰かが、私の名前を勝手に使った……?)
DMの通知が一つ。
相互フォロー中の古参の一人からだった。
彼女は、震える指で開く。
(俺たちが、ルリにゃん名義で攻略したにゃん♪)
――その瞬間。
静かだった世界が、音を立てて、歪みはじめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます