【第3節】『局長の命』

魔法管理局長の執務室は、四階の最奥さいおくにある。

廊下ろうかの突き当たり、他の扉よりも一回り大きなかしの両開き扉。

その重厚じゅうこうな造りは、この部屋のあるじ威厳いげんを無言で示していた。

ユーリアは扉の前で足を止め、深く息を吸った。

制服に乱れがないか、最後にもう一度確認する。

襟元えりもと、ボタン、袖口そでぐち魔法杖まほうじょうの位置。全て問題ない。

——大丈夫。自分は何も間違っていない。

そう言い聞かせて、扉をたたいた。


「失礼いたします」

「入りなさい」


すずやかな声が返ってきた。

扉を開けると、広い室内に調度品ちょうどひん整然せいぜんと並んでいた。壁一面の書架しょかには革装かわそうの書物が隙間すきまなく詰まり、反対側の壁には王国各地の地図が掛けられている。床には深い緋色ひいろ絨毯じゅうたんが敷かれ、足音を吸い込んだ。

窓際には大きなガラス窓があり、王都の街並みを一望できる。

その窓を背にして、一人の女性が立っていた。

あでやかな赤紫の長髪が、朝日を受けてあやしく輝く。振り返った顔には、金色がかった琥珀色こはくいろの瞳。三十五歳という年齢を感じさせない若々しさと、それでいて年相応としそうおうの——いや、それ以上の貫禄かんろくおおせ持つ美貌びぼう


グレイス・ノワール。

魔法管理局長まほうかんりきょくちょうにして、王立中央評議会准議員。

ユーリアが入省した時から、この人はすでに局長だった。若くして局長の座に就いた才媛さいえん。政治的な手腕しゅわんにも長け、評議会でも発言力を持つ実力者。

そして——どこか得体の知れない、計算高い空気をまとう女性。


「ユーリア・ヴァイオレット三級さんきゅう監察官かんさつかん、参りました」


ユーリアは姿勢を正し、敬礼した。


かたいわね、相変あいかわらず」


グレイスは薄く微笑ほほえんだ。その笑みは優美だったが、目の奥までは笑っていないように見えた。


「座って頂戴ちょうだい。立ち話をするつもりはないの」

「はい」


うながされるまま、執務机の前に置かれた椅子に腰を下ろす。背筋は伸ばしたまま、ひざの上で手を組んだ。

グレイスは窓辺まどべを離れ、執務机しつむつくえの向こう側——局長の椅子に腰を下ろした。革張かわばりの椅子いすが、かすかにきしむ。


「緊張しなくていいわ。叱責しっせきするために呼んだわけではないから」

「……はい」

「今日あなたを呼んだのは、任務を伝えるため」


――〝任務〟。

その言葉に、ユーリアの背筋せすじがさらに伸びた。


三級さんきゅう監察官かんさつかんに、局長直々じきじきの任務とは……」

「ええ、異例ね。でも、あなたでなければならない理由があるの」


グレイスは机の上に置かれた書類を一枚、ユーリアの方へ滑らせた。


「一級アストレア『ロナンの涙』。聞いたことはある?」


ユーリアは書類を手に取った。

『ロナンの涙』——その名は、魔法管理局まほうかんりきょくの資料で目にしたことがあった。


「一級アストレア。確か、〝装着者に動物や植物との意思疎通能力を与える〟魔法道具まほうどうぐ、と記憶しています」

「正解。よく勉強しているわね」


グレイスは満足げにうなずいた。


「『ロナンの涙』は、【星詠ほしよみの始祖しそ】アステリウスがのこした魔法道具の一つ。緑色の宝石が施されたネックレスで、人間以外の生物と心を通わせる力を持つ。名前の由来は、動物と心通わす逸話いつわを持つフィオナ騎士団のキール・マック・ロナンから」

「危険度は……」

「道具そのものの危険度は低い。直接的な殺傷能力はないから。けれど問題は、その能力の悪用よ」


グレイスの琥珀色こはくいろの瞳が、鋭く光った。


「動物を意のままに操り、軍事利用する。あるいは、希少な動植物を密猟みつりょうするために使う。過去にも何度か、そうした事件が起きているわ。だからこそ一級指定。本来なら魔法省の封印庫ふういんこで厳重に管理されるべき代物しろものよ」

「それが、今どこに?」

「王都から東へ馬で五日ほどの森林地帯。辺境へんきょうの森に、その存在が確認されたの」


グレイスは地図を広げた。王都アルカディアから東へ伸びる街道、その先に広がる広大な緑の領域を指し示す。


「この森には、かつて獣人族じゅうじんぞくの集落があった。五年前に壊滅かいめつしたと報告されているけれど、生き残りがいるらしいの。その生き残りが『ロナンの涙』を所持している可能性が高い」

獣人族じゅうじんぞく……」

「ええ。彼らは人間に迫害はくがいされてきた歴史があるわ。警戒心が強く、容易よういには近づけない。下手に接触せっしょくすれば、逃げられるか、最悪の場合は戦闘になる」


ユーリアはまゆをひそめた。

アストレアの回収任務。それ自体は監察官かんさつかん職務しょくむとして珍しくない。けれど、なぜ三級さんきゅうの自分が局長直々じきじきに任命されるのか。

その疑問に答えるように、グレイスは続けた。


「この任務には、既に先行者せんこうしゃがいるの」

先行者せんこうしゃ?」

「ええ。フリーランスの魔法道具師が、独自に『ロナンの涙』の情報を掴んで動いている。魔法省としては、彼女に任せきりにするわけにはいかない。かといって、妨害ぼうがいするのも得策とくさくではない」


彼女。嫌な予感がした。


「そこであなたには、その人物に同行してもらいたいの。協力と……監視をねて」

「……その人物というのは」

「リーゼロッテ・アステリア」


やはり、その名前だった。ユーリアの表情が、わずかに強張った。


「……元特級とっきゅう監察官かんさつかんの」

「ええ。あなたもうわさは聞いているでしょう?」


グレイスは椅子の背にもたれ、ユーリアの反応を観察するような目で見つめてきた。


「彼女は天才よ。魔法の才能、判断力、実行力——どれをとっても規格外だった。私も同僚どうりょうとして、何度も助けられたわ。彼女がいなければ解決できなかった事件は、一つや二つではない」

「では、なぜ……」

「なぜ辞めたのか?」


グレイスは窓の外に視線を向けた。その横顔に、一瞬だけ複雑な感情が過ぎったように見えた。なつかしさか、苛立いらだちか、あるいは——もっと別の何かか。


「組織が合わなかったのよ、彼女には。規則だの手続きだの報告書だのが、どうしても耐えられなかったみたい。上司への口答えは日常茶飯事にちじょうさはんじ、命令無視も数え切れない、報告書なんてまともに提出したことがない。それでも実力だけは本物だったから、誰も強く言えなかった」

「……それは」

「問題だと思う?」


グレイスの問いかけに、ユーリアは即答した。


「当然です。規則を守れない人間は、どれだけ優秀でも組織にはいられません。結果が全てではない。過程も、規律も、同じくらい重要なはずです」

「そうね。私もそう思うわ」


グレイスは微笑んだ。けれど、その笑みには同意以上の何かが含まれているように感じられた。


「二年前、彼女は辞表をたたきつけて出ていった。理由は誰にも告げずに。今はフリーランスの魔法道具師として、勝手にアストレアの回収を行っている」

「それは違法ではないのですか」

「グレーゾーンね。彼女が回収したアストレアは、最終的には魔法省に届けられている。方法は型破かたやぶりでも、結果は出している。だから黙認されているの」


ユーリアはくちびるを引き結んだ。

結果を出せば、規則を破っても許される。

そんな道理が、どうしても受け入れられなかった。


「なぜ、私なのですか」


 気がつけば、声に出していた。


「なぜ私が、あのような……規則破りの監視を命じられるのですか」


言葉には、隠しきれない反発がにじんでいた。

グレイスは少しも動じなかった。

むしろ、その反応を予期していたかのように、静かに微笑んだ。


「だからこそ、あなたなの。ユーリア・ヴァイオレット」

「……どういう意味ですか」

「あなたは規則を守る。誰が相手でも、何があっても。それは美徳よ。この組織に必要な資質だわ」


グレイスは立ち上がり、窓辺へと歩いた。逆光の中で、その姿が影絵かげえのように浮かび上がる。


「リーゼロッテは自由すぎる。放っておけば何をするかわからない。けれど彼女の実力は本物だし、今回の任務には彼女の協力が不可欠。だから——あなたに手綱たづなにぎってほしいの」

手綱たづな……」

「彼女を監視し、暴走を防ぎ、任務を確実に遂行すいこうさせる。それがあなたの役目よ」


ユーリアは黙って考えた。

正直に言えば、気が進まない。規則を軽視する人間と行動を共にするなど、考えただけで胃が重くなる。

けれど——これは局長直々じきじきの命令だ。断る選択肢など、最初からない。


「……了解いたしました」

「よかった」


グレイスが振り返った。琥珀色こはくいろの瞳が、真っ直ぐにユーリアを捉える。


「出発は明後日の朝。詳細な資料は後で届けさせるわ。リーゼロッテとの合流地点は、王都東門を出て街道沿かいどうぞいに半日ほど行った宿場町しゅくばまち。彼女には既に連絡を入れてある」

「……彼女は、私の同行を承諾しょうだくしたのですか?」

「さあ、どうかしら」


グレイスは曖昧あいまい微笑ほほえんだ。


「彼女のことだから、きっと文句もんくは言うでしょうね。でも、最終的には受け入れるはずよ。彼女も馬鹿ではないから」


その言葉の裏に何があるのか、ユーリアには読み取れなかった。


「最後に一つ、忠告ちゅうこくしておくわ」


グレイスが言った。


「リーゼロッテは、見かけによらず面倒見がいいところがあるの。皮肉屋で、口が悪くて、自由奔放じゆうほんぽうで——でも、根は悪い人間じゃない。少なくとも、私はそう思っている」

「……はい」

「だから、最初から敵だと決めつけないで。彼女を見て、彼女と話して、それから判断しなさい。それが、あなたのためにもなるはずよ」


意味深な言葉だった。

けれど、その真意しんいを問い返す前に、グレイスは話を切り上げた。


「以上よ。質問がなければ、下がっていいわ」

「……はい。任務、確かに拝命はいめいいたしました」


ユーリアは立ち上がり、敬礼した。

扉に手をかけたところで、背後からグレイスの声が追いかけてきた。


「ユーリア」

「はい」

「あなたなら、彼女を理解できるかもしれない」


振り返ると、グレイスは窓の外を見つめていた。

その横顔には、先程とは違う——どこか寂しげな表情が浮かんでいた。


「……どういう意味ですか」

「行けばわかるわ」


それ以上の説明はなかった。

ユーリアは一礼して、局長室を後にした。

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