【第3節】『局長の命』
魔法管理局長の執務室は、四階の
その
ユーリアは扉の前で足を止め、深く息を吸った。
制服に乱れがないか、最後にもう一度確認する。
——大丈夫。自分は何も間違っていない。
そう言い聞かせて、扉を
「失礼いたします」
「入りなさい」
扉を開けると、広い室内に
窓際には大きなガラス窓があり、王都の街並みを一望できる。
その窓を背にして、一人の女性が立っていた。
グレイス・ノワール。
ユーリアが入省した時から、この人は
そして——どこか得体の知れない、計算高い空気を
「ユーリア・ヴァイオレット
ユーリアは姿勢を正し、敬礼した。
「
グレイスは薄く
「座って
「はい」
グレイスは
「緊張しなくていいわ。
「……はい」
「今日あなたを呼んだのは、任務を伝えるため」
――〝任務〟。
その言葉に、ユーリアの
「
「ええ、異例ね。でも、あなたでなければならない理由があるの」
グレイスは机の上に置かれた書類を一枚、ユーリアの方へ滑らせた。
「一級アストレア『ロナンの涙』。聞いたことはある?」
ユーリアは書類を手に取った。
『ロナンの涙』——その名は、
「一級アストレア。確か、〝装着者に動物や植物との意思疎通能力を与える〟
「正解。よく勉強しているわね」
グレイスは満足げに
「『ロナンの涙』は、【
「危険度は……」
「道具そのものの危険度は低い。直接的な殺傷能力はないから。けれど問題は、その能力の悪用よ」
グレイスの
「動物を意のままに操り、軍事利用する。あるいは、希少な動植物を
「それが、今どこに?」
「王都から東へ馬で五日ほどの森林地帯。
グレイスは地図を広げた。王都アルカディアから東へ伸びる街道、その先に広がる広大な緑の領域を指し示す。
「この森には、かつて
「
「ええ。彼らは人間に
ユーリアは
アストレアの回収任務。それ自体は
その疑問に答えるように、グレイスは続けた。
「この任務には、既に
「
「ええ。フリーランスの魔法道具師が、独自に『ロナンの涙』の情報を掴んで動いている。魔法省としては、彼女に任せきりにするわけにはいかない。かといって、
彼女。嫌な予感がした。
「そこであなたには、その人物に同行してもらいたいの。協力と……監視を
「……その人物というのは」
「リーゼロッテ・アステリア」
やはり、その名前だった。ユーリアの表情が、わずかに強張った。
「……元
「ええ。あなたも
グレイスは椅子の背にもたれ、ユーリアの反応を観察するような目で見つめてきた。
「彼女は天才よ。魔法の才能、判断力、実行力——どれをとっても規格外だった。私も
「では、なぜ……」
「なぜ辞めたのか?」
グレイスは窓の外に視線を向けた。その横顔に、一瞬だけ複雑な感情が過ぎったように見えた。
「組織が合わなかったのよ、彼女には。規則だの手続きだの報告書だのが、どうしても耐えられなかったみたい。上司への口答えは
「……それは」
「問題だと思う?」
グレイスの問いかけに、ユーリアは即答した。
「当然です。規則を守れない人間は、どれだけ優秀でも組織にはいられません。結果が全てではない。過程も、規律も、同じくらい重要なはずです」
「そうね。私もそう思うわ」
グレイスは微笑んだ。けれど、その笑みには同意以上の何かが含まれているように感じられた。
「二年前、彼女は辞表を
「それは違法ではないのですか」
「グレーゾーンね。彼女が回収したアストレアは、最終的には魔法省に届けられている。方法は
ユーリアは
結果を出せば、規則を破っても許される。
そんな道理が、どうしても受け入れられなかった。
「なぜ、私なのですか」
気がつけば、声に出していた。
「なぜ私が、あのような……規則破りの監視を命じられるのですか」
言葉には、隠しきれない反発が
グレイスは少しも動じなかった。
むしろ、その反応を予期していたかのように、静かに微笑んだ。
「だからこそ、あなたなの。ユーリア・ヴァイオレット」
「……どういう意味ですか」
「あなたは規則を守る。誰が相手でも、何があっても。それは美徳よ。この組織に必要な資質だわ」
グレイスは立ち上がり、窓辺へと歩いた。逆光の中で、その姿が
「リーゼロッテは自由すぎる。放っておけば何をするかわからない。けれど彼女の実力は本物だし、今回の任務には彼女の協力が不可欠。だから——あなたに
「
「彼女を監視し、暴走を防ぎ、任務を確実に
ユーリアは黙って考えた。
正直に言えば、気が進まない。規則を軽視する人間と行動を共にするなど、考えただけで胃が重くなる。
けれど——これは局長
「……了解いたしました」
「よかった」
グレイスが振り返った。
「出発は明後日の朝。詳細な資料は後で届けさせるわ。リーゼロッテとの合流地点は、王都東門を出て
「……彼女は、私の同行を
「さあ、どうかしら」
グレイスは
「彼女のことだから、きっと
その言葉の裏に何があるのか、ユーリアには読み取れなかった。
「最後に一つ、
グレイスが言った。
「リーゼロッテは、見かけによらず面倒見がいいところがあるの。皮肉屋で、口が悪くて、
「……はい」
「だから、最初から敵だと決めつけないで。彼女を見て、彼女と話して、それから判断しなさい。それが、あなたのためにもなるはずよ」
意味深な言葉だった。
けれど、その
「以上よ。質問がなければ、下がっていいわ」
「……はい。任務、確かに
ユーリアは立ち上がり、敬礼した。
扉に手をかけたところで、背後からグレイスの声が追いかけてきた。
「ユーリア」
「はい」
「あなたなら、彼女を理解できるかもしれない」
振り返ると、グレイスは窓の外を見つめていた。
その横顔には、先程とは違う——どこか寂しげな表情が浮かんでいた。
「……どういう意味ですか」
「行けばわかるわ」
それ以上の説明はなかった。
ユーリアは一礼して、局長室を後にした。
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