Cafe&BAR Vanitas

佳芳 春花

第1話 Cafe&BAR Vanitas

 それは路地裏にある黒縁にガラス扉の店。まるで人を拒絶するかのように、看板も、のぼりも、のれんもなく、ただ一つ店だと主張するのは、扉に書かれたCafe&BAR Vanitas(カフェ アンド バー ヴァニタス)の白い文字だけである。

 内側にかかっているシンプルなOPEN&CLOSEDプレートだけが、ガラス扉から見えるものの、不思議なことに、ガラス扉であるにも関わらず店に入るまで中の様子が一切わからない。なにより不可解なのは、夜であっても明かりがついているかさえ外側からではわからないという点だ。

 ここれだけでも人を店内に入れる気がないのがわかるだろう。

 殆どの人々ーー周辺に住む人間を含めてーーは、そこに店があることすら知り得ないだろう。常連客でさえ、店主兼オーナーであるノワールが店に人を呼ぶ気が全くないのだと口を揃えて本人に愚痴るほどに。しかし、当のノワールはというと「常連客の癖によくもまあそんなことが言えるねえ。」と呆れ気味に反論するに留めている。その時の常連客が返す言葉は「新規の客についてだよ。」と半ば投げやりとも言える定型句を返すのが決まり文句となっていた。

 内装はカウンター席が一番多いもののテーブル席もいくつか用意されており、テーブル席側は一面が窓になっている。窓から見える景色は、時計と同じ時刻に倣ってはいるが、扉から入ってきた景色と窓に映る外の風景とは一致していない。ノワールによると「窓の奥にネットワークと連動した時間帯の映像を映している。」そうだが、映像は常に同じ風景であり、昨今の映像技術のせいか酷く精巧でとても偽物には見えない。

 まるで地球によく似た別世界が窓の外に広がっているように感じられる。

 それをノワールに指摘すると曖昧にはぐらかされてしまうのため、常連客の中では、言葉にはしないがノワールを筆頭に、ヴァニタスにやってくる客の中には「人ならざらる者」が紛れ込んでいると言うのが通説になっている。

 人間とは異なるルールや世界で生きている存在は、昔から伝えられてきたが、近年になって「人ならざる者」は存在することが判明し、公共団体に新たな部署が設けられ、民間からも調査員や祓い屋などがこぞって起業するようになった。その内に「人ならざる者」を怪異者とよぶようになり、それらの出没する条件や日時、危険度を調査し人の手に負えるモノか否かを判別し、処理できるものであれば狩猟や捕獲などを行い、それらの研究を行う施設も建てられ始めた。

 そういったモノが浸透する中、前々から怪異者との交流やひいては怪異者なのではと言われているノワールは、しかし殆どの人々が辿り着かない店ヴァニタスの特徴と、それぞれの都合からか常連客が店について秘匿しているために、現在も静かに営業している。


****


 11月11日。その日は珍しく、常連客の花村 桜(はなむら さくら)が自身が立ち上げた怪異専門の雑誌を刊行する編集部に、新しく怪異者の調査員兼記者となった林田 コウ(はやしだ こう)を連れてヴァニタスの扉を開いた。

 ほんの少しの甘い香りが室内の空気と共に開いた扉の隙間から外へ流れ出る。軽いベルの揺れる音が二度なった。ベルの音が気にならなくなった頃に、ゆったりとした心地の良い音楽が大きくも小さくもない音量で流れているのに気づく。

「いらっしゃい。」

 密やかで落ち着いた声音でノワールが入ってきた二人に声をかけた。彼はカウンターの奥に佇んでグラスを拭いているだけだったが、所作や雰囲気を差し引いても酷くーー美しかった。それは人間離れした美しさで、外見からは年齢が20歳以上であること以外は年齢不詳であり、灰色のシャツに黒のベストと黒のパンツだろう服装がカウンター越しに見えるシンプルな姿に映える眉目秀麗と容姿端麗が混ざり合って出来上がった端正な顔立ちは、怪異者が魅力的な人間に化けているように見えて一層恐ろしい。

 光の角度なのかノワールの金色に光る瞳と目が合った瞬間。初対面の林田は魅入るというよりも恐怖心で身動きが取れなくなった。ノワールが林田から視線が逸れた後も、林田は動かない体のまま、ただじっとノワールを凝視していた。

 花村は固まった林田を気にかけることもなく、軽く手を上げ歩きながら「今日は新顔を連れてきたよー。」と当たり前のようにカウンター席に座る。

 花村の声で林田はようやく自身が呼吸を止めていたことに気がついた。ゆっくりと息を吐きようやくノワールから視線を外す。連れてこられた店を恐る恐る見渡すと、店内にはノワールと花村の他に、従業員と思われる男性が奥の方で掃除道具をしまっており、カウンター席の奥に鎮座する男性がペットボトルの天然水を飲んでいた。

 従業員の男性は店内にいるにも関わらず中折れ帽を被り、目元が見えないものの鼻筋は通っており、唇は薄く、下顎にのみ無精髭を生やしたシャープな顎がよく見える。服装は濃い生地のシャツに黒のベスト、黒いパンツにソムリエエプロンを履いていた。この店の制服が黒のベストとパンツ、ソムリエエプロンなのだろうと林田は推測する。

 その従業員に花村が「早瀬さん。珍しいですね。」と声をかけた。

「そうっすねー。まあ、暫くは店に出る予定なんで、また顔を合わせるかもっすね。」

「あれ? そしたらアレクセイ君は店に来なくなるんですかね?」

「息子は本業の方が忙しくなるみたいで。」とノワールが口を挟む。

「前から気になってはいたんだけど、早瀬さん以外のアルバイト、雇わないの?」

「そうですね。今の所、考え中です。」

 ノワールは穏やかに花村に返す。早瀬と呼ばれた男性は帽子の頭を押さえながらカウンターへと入っていった。

「それで。」とノワールが言葉を切り林田に目をやる。

 再び金色の目とかち合い、林田のノミの心臓が跳ねる。

「座らないんですか?」

「林田ぁ。まだそんなとこに立ってんの? 他に人が入ってくるかもしれんからこっち座って。」

 花村が右隣の椅子を叩きながら林田に呼びかける。林田は緊張しながら花村に促されるままに椅子に座った。すると直ぐにノワールからメニュー表を差し出された。

「初めての来店とのことなので。」

「あ。どうも。」

 メニュー表を開くとアルコールの他、ノンアルコールやソフトドリンクも取り揃えていたが、ペットボトルはメニュー表には無いようだ。カフェでもあることからか、ドリンク類の他につまみやデザートなどもメニューに載っている。

 メニュー表を見ながらも、林田はチラリとカウンター奥の男性を見遣る。不機嫌そうな顔つきで一言も話さないその人は、ノワールほどではないが顔の整った男性で、店内にいる人物の中では若い方だろうと林田は推測する。服装もラフなVネックの長袖に暗めのパンツとスニーカーを履いている。どう見ても従業員ではない。今までの一連の中で視線を感じてはいたが、男性が特に見ているのはノワールのようだった。メニュー表のことを考えると、その男性は注文をしていないが、出禁にもされずに店の中に居座っているということになる。

「花村さん。この店ってペットボトルとか持ち込んで良いんですか?」

 林田はメニュー表で顔ごと隠しながら、隣に座る花村に問いかける。花村は「いや。だめだよ。」と小さく答える。

「でも、あの人。」

「ああ。テオドールさん。あの人は客じゃ無いから。」

 林田の視線の先にいる男性を見て花村がしれっと答える。

「従業員でも無いですよね?」

 小さな声で追求するように林田が花見に尋ねる。

「ノワさん、えーっとノワールさん……ここのマスターのことだけど、彼の古い知り合いらしいよ? 優秀な調査員だって早瀬さんが言ってたっけ。住んでんのかなってくらい、私が来る時はいつもいる。」

「あんまり仲良くは見えないんですけど。」

「んーまあ、私もあの二人がどんな関係なのかは知らないんだけど。ずっと入り浸っているみたいだし、そんなに悪い関係じゃないんじゃない?」

「ここ来る前に、店のマスターが怪異者かもって言ってたじゃ無いですか? 公的機関の覆面の監視役、とか?」

「あー多分それはない。」

「なんで断言できるんですか!?」

「一番は、公的機関に所属してる人もこの店に来るってとこかな。」

「……………………………………えっ? 既に来てるんですか?」

「ここの常連の町村さんが特異官(とくいかん)だったんだけど、マスターに怪異について相談して事件が収束したらしくって、それ以降外部相談員になっているんだって。」

「特異官って、特殊怪異捜査官のことですか?」

「そうそう。最近、町村(まちむら)さん以外にも播磨(はりま)さんだったかな? 常連客増えたんですよね? マスター。」

 花村が不意にノワールに言葉をかける。ノワールは眉尻を下げながら「いない人の話はできませんが、花村さんが新しいお客さんを連れてきてくれましたからね。」と微笑んだ。林田は居心地が悪そうに乾いた声で笑う。

「人のことこそこそ言われてるのもいい加減腹経つんだけど?」

 ずっと黙っていたテオドールが不機嫌さを隠しもせずに林田を睨みながら尋ねた。

「ああ、ごめんなさい。こっちは、新しく私の部下になった林田君。林田君、左から紹介するとテオドールさん、早瀬さん、ノワさん。」

「僕はあだ名で紹介なんですね。」

 花村が慌ててノワールの名前を口にする。

「さっき説明してたの聞こえてただろ。」とテオドールがそっぽを向きながら呟いた。

「なんのことだか。」

 すっとぼけた返答をするノワールにテオドールが何か反論しようとするのを遮って、早瀬が「そんなことより、みなさん注文はまだっすか?」と平坦な声音で問いかけた。

「私はモスコミュールで。」

「じゃあ、僕はホットココアでも頼もうかな。」

「珍しいっすね。テオが注文するなんて。」

 早瀬は特に何もせずにのんびりとした口調で二人に話しかける中、花村の発言の直ぐ後からノワールはカクテルを作り始めていた。

「えっと、林田さんは何にしますー?」

 早瀬が尋ねると林田は慌ててメニュー表へと視線を落とした。

「か、カシスオレンジ。」

 瞬間的に目に入った文字をそのまま林田は読み上げた。

「案外可愛らしいもの頼むんすね。」

 早瀬が「へー。」と謎の声を上げる中、花村が「あーわかる。」と何に納得したのかわからないままで勝手に頷いている。

 柔らかな声と共に花村の前にモスコミュールが置かれる。砕かれた透明な氷の上にミントとライムが乗っており、薄いオレンジ気味の透明な液体がグラスに注がれていた。

「テオ、先にカシスオレンジを作ってもいいかい?」

「別にいいよ。」

 互いに視線を合わせることなく、ノワールとテオドールは短く言葉を交わす。ノワールは手際良くカシスオレンジを作り上げ、林田の前に「どうぞ。」と置かれた。花村が林田にグラスを掲げると林田もカシスオレンジを混ぜ合わせてから、それに倣ってグラスを持ち上げ小さく乾杯をする。それぞれが飲み物を一口含み、口内にじんわりを味が広がるのを感じながら、唸るように味を噛み締める一連の姿を早瀬は苦笑しながら見ていた。

 ノワールはというと、早々に小さめの片手鍋にココアと砂糖、少量の牛乳が入り火にかけながらヘラのようなものでかき混ぜていく。ペイスト状になってから、残りの牛乳を注いでゆっくりと温める。甘い香りが鍋を中心に広がっていく。その間に冷蔵庫から作り置きしていたのだろうホイップクリームのボウルを取り出し、再び手早く混ぜ合わせ絞り袋に入れていった。絞り袋が出来上がるぐらいで、ココアが沸騰直前になり火を止めて、耐熱ガラスのコップに移し、ホイップクリームをのせさらにココアパウダーをふりかけテオドールの目の前に置く。無表情だったテオドールの瞳孔が開き、口元が緩むのを見逃さなかった早瀬は、タバコを口に咥える動作で笑いを抑えた。

「早瀬。」とノワールが隣で笑いを堪えている男性を諌める。

 早瀬はタバコを咥えながらも手を外してノワールへと視線を向ける。しっかりと目が合った早瀬は、瞬間的にノワールがテオドールの様子に気がついているのを知り「すいません。」とだけ一言溢した。

 軽快で乾いたベルの音が店内に響くと、扉の奥から寄れた背広の白髪が混じった癖っ毛の男性が「聞いてよ。ノワール。」と少し間延びした口調で話しかける。

「いらっしゃい。鳶(とび)さん。」

 ノワールに話しかけられながら、鳶は扉から近い席に着席した。

「お酒はぁいつものジン・リッキーね。」

「はいはい。」

 ノワールは鳶に対して気安く返事を返す。ノワールが注文の品を作り始め「それで、鳶さん。何があったんです?」と花村が鳶に尋ねる。

「花ちゃん居たんだー。」

「居ましたよー。」

「隣の人は?」

「うちの編集部に転属になった林田君です。」

「そう。俺は鳶。またここに来ることあったらよろしくねー。」

「あ、はい。よろしく、お願いします。」

 林田は困惑しながらも既に酔っているのかヘラヘラとした態度の鳶に返事をする。

「で? 鳶さん、何があったんです?」

「花村さん。なんでそんなにグイグイ聞きにいくんですか?」

「鳶さんは怪異者に遭遇しやすい人で、生きているネタの宝庫みたいな人なんだよ。」

「怪異者に遭遇しやすいって、それ不幸体質なんじゃ……。」

 林田はなんとも言えない顔で花村を見た。

「はい。ジン・リッキーです。」

「ありがとー。」と鳶がノワールからグラスを受け取ると、一口。ジン・リッキーを喉に流し込んだ。

「それで、聞いてほしいことって?」

「ああ。人身事故。かな。」

 鳶は軽い口調で短く返す。

 その返答に花村はきょとんとした顔で数回瞬きをした。


 鳶はグラスを揺らしながら静かに語り始めた。

「本当は、今日はここに来る予定じゃなくってさ。明日休みだし? ここのカフェが12時からだっけ? そこで何か食べたいなーって。だから、今日は家に帰って早めに寝ようと思って。でも途中までここに足が向いててさ。でも帰らなきゃって、近くのJR線のホームに向かったの。それなりに人も多くって、あーこれ電車の中も混むんだろーなーって。改札通ってホームに向かう階段で、めっちゃ急いで階段を駆け降りた人がいてさ。その人を追うように階段を駆け降りる人もいだんたけど、めっちゃ急いでた人がそのまま、なんだっけ? あの改札の前にある扉みたいな? あの前で叫んだと思ったら、そのまま乗り越えて落ちたのよ。線路の方に。電車がホームに向かってくる途中でさ。俺は、あって思ってたんだけど、落ちた人を追ってった人の中で、電車の緊急停止ボタンを押した人がいて間に合ったんだけど。その後、落ちた人を引き上げるとかで、駅員さんが線路に入ったら、その人既に気絶してて、警察と救急車呼ぶって。で、結局遅延するってなって。帰れないじゃん? 振替輸送? とか言われても。時間かかるし? で、ヴァニタス行こうって。ここに来たの。」

「故意にホームドアを乗り越えるって……。薬物中毒者、ですかね?」

「直前に何かを叫んでたって、なんだろう?」

 林田と花村がそれぞれ疑問を投げかける。

「なんだっけ、来るなーとか仕方ないだろーとか言ってたかな? なんか空中に向かって怯えてたね。」

「ちなみに、鳶さん。空中には何か見えましたか?」とノワールが問いかける。

「ああ。なんか毛むくじゃらの……人型かなぁ。ゴリラよりシャープで……チンパンジーとか猿っぽい感じの何か?」

 鳶の言葉を受けて、花村が大きな音を立てて立ち上がった。モスコミュールは既に空になっている。

「ノワさん。すみません。お代、ここに置いておきます。林田君。取材行くよ。」

「お気をつけて。」

 ノワールがにこやかに返す。

「え? これからですか?」

「怪異者が関係する事件かもしれない。」

 林田は困惑しながらも荷物をまとめ、まだ残っていたカシスオレンジを一気に喉に流し込み、グラスを置いて去っていく花村の背を追って店を出た。

 静かになった店内で、ノワールは二つのグラスを片付けながら「鳶さん。」と話しかける。

「なあにい?」

「線路に降りた人間に憑いていた怪異者は、あなたから見て祓えそうでしたか?」

「多分、無理かなー。あれはーーなんていうか、神様みたいな気配がしたから。」


****


 曇り一つない夜空には肉眼ではそこにある筈の星はほとんど見えなかった。周辺の街灯やまだ開いている店の漏れ出る光がまだ強い。駅に向かうほどに人も多くなっていく。救急車は既に去った後のようだったが、パトカーは数台止まっているのが遠目でも確認できた。目的地に向かって足早に花村と林田が向かう中、肌寒いと思えるほどの夜風に当たり、先ほど店で飲んでいた酒の酔いが冷めていくのを感じる。

 長いエスカレーターを登った先に、駅ビルの入り口と改札口がある少し開けた場所につく。花村と林田がその場所に着いた頃には、改札口の前で駅員たちが遅延についての説明や振替案内について大声で説明しているのが見えた。まばらながら改札口へ入っていく人がいる中、殆どの人々はバスや別の路線口に向かう人波となって流れていく。

 花村は自動券売機で入場券を2枚購入し、レシートを財布に入れた。

「入るよ。」

 花村は入場券の一枚を林田に渡して改札を通る。

 人身事故があった方の電光掲示板にも「線路に人が立ち入ったため」と表示が流れていくのが見えた。二人は迷わずそちらのホームへと階段を降りる。階下に駅員と私服の警察官が話しているのが見え、花村は手を振りながら声をかけた。

「町村さーん!」

 そう呼ばれた町村は薄い青系のスーツに身を包んだ40代後半の男性で、短くも整った黒い髪のためか見た目は若々しく見える、彼は花村の声に階段を見上げる。そして、一度駅員を見てから花村に応じるように軽く手を振った。

「大江(おおえ)さん。すみません。こちらは花村さんと言いまして、国立怪異第三研究所の調査員です。」

 花村と林田がホームに降りると、町村は駅員の大江に花村を紹介した。花村は大江に研究所の名前が印字された顔写真付きの調査員ライセンスを見せ、互いに軽く挨拶を交わす。

 大江から視線を向けられた林田は「花村の同僚の林田です。」と言いながら、花村と同じように調査員ライセンスを大江と町村に見せる。

「既に連絡していたんですか?」と大江は町村に質問した。

「いいえ。勝手に来られました。」

「私たちは鳶さんからは人身事故があったって聞いて確認しに来たんです。まあ、来てみれば、線路の立ち入りってことですけど。」

 大江が呆気に取られ、花村の発言を聞いて「ああ、なるほど。」と町村は静かに納得する。林田はなんとも言えない顔で沈黙した。

「それで、大江さんの発言からして、調査員を呼ぶ予定だったんですよね? どういう状況ですか?」

「先に現場に着いた警察官が聞き取りしたところ、何人かの人間が、線路に降りた相手の背後に黒いモヤのようなものを見たと証言していてな。俺たち特異官が呼ばれたんだ。」

「大江さんはそのモヤを見ましたか?」

「いいえ。その時には改札の方にいましたから。」

「大江さんは線路に降りた方の引き上げと、カメラを確認してくれてたんですよ。ちなみにカメラでは黒いモヤというのは見つかりませんでしたが。」

 町村が話していると彼の携帯が軽快に鳴る。一言断りを入れて電話に出るため少し距離をとった。

「人が転落した後、大江さんが警察対応をされているんですか?」

「ええ。駅で通報したのは私でしたから。一般の方も通報してくれてたそうですが。」

「当時、現場にいた者から電車の緊急停止ボタンを押した人が居たと聞いているんですが、何か知っていますか?」

「その方なら、ボタンを押した後に線路に降りた方の引き上げも手伝っていただけたので覚えてます。もっとも、その後は改札を出られてしまったようです。」

「どんな方でした?」

「えっと、その人たちが何か関係するんでしょうか?」

「原因がわからないので、場合によって、その方達にも黒いモヤが波及する恐れがあります。」

 花村の冷めた言葉に大江は「え?」と声を震わせた。

「黒いモヤが何を目的として動いているかを知ることが怪異調査に必要なことですので、具体的に何があったのかを知る必要があるんです。まあ、一番は憑かれていると思われる線路に降りた人なんですが。」

 林田が花村の言葉の補足を行う。

「見えてしまった人が、その、被害に遭うこともあるってことですか?」

「わかりません。ただ、黒いモヤとなると、基本的には憑いた人物に対して強い執着ないし怒りがあるというのが、今のところ有力です。」

「すみません。戻りました。何か話は進みましたか?」

 町村が電話から戻ってきた。

「緊急停止ボタンを押した人について聞いてました。」と花村が簡潔に返す。

「それの人物なら一緒に居た人物含めて、警察の方でも捜査してる。」

「特定したら連絡先とか貰えます?」

「本人にも確認するが、問題なければ。」

「そういえば、線路に降りた人は、今どうしてるんですか?」

「引き上げた時には気絶して、病院に搬送してるが……今も目が覚めていないと聞いてる。」

「どこの病院に行かれたのかわかりますか?」

「わかってはいるが、警察の方で先に調べたいことがあって、その後なら教えることが出来ると思う。」

「具体的にはいつぐらいになりそうですか?」

「少なくとも今日中は無理だろうな。」

「そうですか。では……今現在こちらがわかっていることを話しますので、情報の擦り合わせをしませんか?」

「そうですね……大江さん、どこか話せる場所はありますか?」

 大江は少し考えてから「では、事務所内に。」と口にして、階段を登り始めた。

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