第六話 反転
テオは腕に噛みついた吸血虫を乱暴に掴み、無理矢理引き剥がそうとした。しかし――。
「おっと……それはアタシならやらないわね」
背後からリアムの声が降ってきた。
テオが荒々しく吸血虫を引き剥がした瞬間、嫌な感覚が腕に残る。振り返ると、吸血虫の口――巨大な針のような吸血器官だけが、テオの皮膚に深々と突き刺さったまま脈打っていた。
ドク、ドク、と自分の血が吸い上げられていく感触。もはや虫本体と繋がっていないため、事実上の「血の垂れ流し器官」だ。
「吸血虫って厄介でねえ……刺さった口は絶対抜けないのよ。そして死んでもなお血を吸い続ける……怖いでしょう?」
「クソッ!」
テオは苛立ちをぶつけるように銃を乱射した。しかし、放たれた弾丸はリアムの背から生える金属質の羽根に当たり、硬質な音を立てて弾かれた。
「アラやだ。諦めるってのも、時には肝心よ」
リアムは余裕の笑みを浮かべながら指先を払う。再び吸血虫が四方から飛びかかった。
だが、今度はテオがすべてを回避した。
「……!?」
「どうした? 急に銃の腕が鈍ったか?」
「そんなハズ――」
放てど当たらない。吸血虫の残弾は多くはない。リアムは焦りを隠せなかった。
「まずは厄介な攻撃を封じれたな」
「ふうん……伊達にここまで来れたワケじゃないのね。でも……」
リアムの体がゆらりと沈み込む。空気すら震わせるような低い姿勢。
まるで獣が獲物を狙うかのようだ。
「吸血虫でリタイアしといた方が良かったと思うかもしれないわよ?」
直後、リアムは一陣の風となってテオに飛びかかった。
その俊敏さは、かつて戦ったバル・ガロをも凌駕する。
だが――テオには一撃も届かなかった。
「!? 一体……」
「隙だッ!」
腹に激痛が走る。テオの銃弾が深々と突き刺さっていた。
「ぐうっ……」
「さて……痛い目を見るのはどっちか、わかってきたようだな?」
リアムは脇腹を押さえ、苦悶の息を吐く。血が温かく指を濡らした。
「もう勝利宣言かしら? いいとこ五分でしょ?」
「いいや、お前は俺に勝てない。お前の攻撃は俺には当たらないし、厄介な吸血虫もない。お前が勝つ見込みは――」
その瞬間、背後から低い羽音が響いた。
先ほど放ち、外れて空中を漂っていた吸血虫が背後から急襲してきたのだ。
しかし、それすらもテオは振り返りざまに握り潰す。
「――ゼロだ」
その光景にリアムは目を見開いて息を呑む。だがすぐに冷静さを取り戻した。
「アンタ……ただの人間じゃないわね……いえ、本当に人間?」
「失礼なやつだな。お前こそ男か女かどっちだよ」
挑発を受け流しながら、リアムは内心でひとつの確信に近づいていた。
(この坊や……未来を知れる……そんなような能力を持ってる)
声にはしないまま、リアムは再びテオに殴りかかった。しかし、やはり当たらない。
「もはやお前に“勝ち”はない」
テオの声には揺らぎがなかった。
リアムの出血は止まらない一方で、テオは一撃も受けていない。
不意打ちも、連撃も、吸血虫も、すべて無意味。
リアムは自分が徐々に劣勢に追い込まれていることを深く理解した。
「なら……これはッ!?」
リアムは最後の手段に出た。
残るすべての吸血虫を一斉に撒き散らし、四方八方から襲わせる飽和攻撃。
何十もの影が空を覆う。
さらにリアム自身もその死角を縫って飛び込んだ。
さすがのテオも一瞬、驚愕の表情を浮かべた。
その頃、ハンナとライリーは急ぎ足で青い谷へ向かっていた。
谷底の穴を抜けると、目の前に広がる光景に思わず息を呑む。
「こ、これは……」
「青い谷……」
洞窟全体が青い光に包まれていた。
壁一面、床一面に光る青い鉱石――魔石が無数に輝き、まるで宝石の海のように辺りを埋め尽くしている。
「これ……全部魔石よ! すごい……こんな量……お父様もみんなも血眼になって探すわけだわ」
「ついに……ついに見つけた……父さん、母さん……ぼく、やったよ……ついにやったんだ……!」
ライリーは涙をこぼし、両手で顔を覆った。
幼い胸に溜め込んできた焦り、悔しさ、夢。それらが一気に噴き出す。
だが、その隣で、ハンナの顔は晴れなかった。
「テオ……大丈夫かしら……?」
飽和攻撃はしかし、空を切っていた。リアムの目の前からテオの姿が消えたのだ。
「!? アタシ……どうして……」
リアムは自分が攻撃した方角を見上げ、ゆっくりと振り返る。
そこには、苛立ちを隠しきれないテオが立っていた。
「
自分が見えていたはずのテオの姿は幻だったのか――?
リアムの背筋に冷たいものが走る。
「未来視……じゃない……?」
リアムの呟きにテオの眉がぴくりと動く。
「アンタ……何者……?」
「お前の魔法もわかりかけてきた……魔物を操れるんだな」
「フッ、正解よ!」
リアムは胸を張る。再び吸血虫を突撃させ、今回は面で包み込むように襲わせた。
しかしそれも躱される。
「とでも言うとでも?」
「ふん……知るか。だが、近いハズだ」
互いの思考が高速で巡り合う。
(人族が魔法を? そんなハズは……でも、この子には確実に何かある。先入観を捨てて考えなくちゃ)
リアムの深い読みが進む。
(おそらく未来視……あるいは未来視に近い何か。複数の能力を持つ可能性もある……これ以上の消耗戦は危険)
「撤退を考えてるのか……? 案外臆病なんだな」
(こっちの思考まで……!? いえ……これは……)
テオが挑発すると、リアムは息を大きく吸い込み、逆に目を細めた。
「……いえ、段々アナタを放置する方が危険と思うようになってきたわ」
「ほう?」
「アナタ……鉱脈を見つけたらどうするつもり?」
「そんなん聞いてどうすんだ」
「鉱脈はおそらく……魔石の温床。大量の魔石が眠る場所。それを狙ってるアナタ……お金と名誉が欲しい開拓者の匂いがするのよ」
「そんなの、誰も同じだろ」
「いいえ……ハンナちゃんとあの坊やには、そんな俗っぽい欲は一切なかった。なのにアナタは平然と彼らと組んでいた……そこがおかしいのよ」
テオの表情がかすかに動く。
リアムは確信した。
「アナタは野心と能力を隠したハイエナ――そんな気配がするのよ」
「ふん、勝手な妄想で批判とはな。そして……またこれかよ、くだらない!」
吸血虫が空から降り注ぐ。
テオがそれを躱すのは、もはや作業のようだった。
だが――今回は違う。
リアムの足元から、地面を破り、巨大な尻尾が伸び上がった。
テオの足を絡め取ろうとする。
それすら、テオは読んでいた。
「芸がないな。こればっかりだろ、お前」
リアムは苦い笑みを浮かべた。次の瞬間、張り付いた表情のまま大きく笑う。
「それは――わざとよ」
「なに……?」
「未来視が出来るような相手に、同じパターンで攻撃を繰り返すとでも思った?」
「だが実際……」
「アナタの能力は、未来視じゃない」
テオの顔から初めて余裕が消える。
「最後のイーターテールの攻撃に、アンタは驚かなかった。初見の吸血虫には驚いてたのにね」
「……なにが言いたい? その時は……能力を使ってなかっただけだ」
「いいえ、違うわ。今アナタ、誤魔化したでしょ?」
「っ!?」
テオが初めて露骨に動揺した。
リアムの声が冷たく低く落ちていく。
「もうアンタの能力は割れてんのよ」
そして、刃のように鋭い声で告げた。
「アンタの能力は……死に戻りか、やり直し。とにかく、何回でも挑戦できる能力のようね」
その言葉に、テオは目を大きく見開く。
そして――腹の底から笑い出した。
「くくく……ははははは! まさか辿り着くとはな! どこでわかった? 興味があるな!」
「ヒントをあげすぎたのよ……アタシの行動の先読み、初見の攻撃への対応……あるいは“対応できなかった”部分。死なない攻撃だから使わなかったってところもね」
「そうだ……まさか割れるとは……くくく、面白いオカマだ。気に入った」
テオは銃口を下げ、平然ともう一つの真実を告げた。
「ならこんな話はどうだ? 俺は……未来から来た」
「なんですって!?」
「この能力を使って、鉱脈を横取りしに来たんだよ。誰が発見したかは……言わなくてもお前ならわかるよな?」
リアムの表情が固まり――そして確信の色に染まった。
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