第二話 少年の地図

 朝の光が砂塵を透かして差し込む荒野。外では開拓者たちが次々と出発の準備を整えていた。人々の視線、金属の輝き、荷車や荷物の音。荒野の息遣いが市場に混ざる。


「そんなに焦らなくてもいいじゃない。鉱脈は逃げないわよ?」


 ハンナは肩をすくめながら、穏やかに言った。


「……わかってる。でも、早い者勝ちだ。出遅れた奴は何も得られない」


 テオは表情を硬くして答える。

(いや──焦っているのは別の理由だ)と、内心で自分に言い聞かせた。


「なにその顔」

「なんでもない。とにかく急ぐぞ」


 ハンナは少し不満げに唇を尖らせる。


「もうちょっと見て回りたかったのに……」


 だがテオは荷物をまとめ、急かすように手を引いた。二人は市場の雑踏へと歩を進める。


 その先には、数十人の男たちが立ちはだかっていた。


「昨日は世話になったな……嬢ちゃん」


 鋭い目で男たちを見たハンナは、淡々と答える。


「ふーん……2人だと敵わないと悟って、数による報復に出たってわけ。正直そこまでタマが小さいとは思わなかった」


 テオは苦笑を浮かべる。


「タマ……意外と口悪いな、お前」

「うるせえ! 魔族は強力なライバルにもなるからな……ここで潰しとくのが賢い開拓者のやり方ってやつよ」


 男の声にハンナは鼻で笑った。


「チンピラのやり方でしょ……開拓の精神ってやつはなさそうね」

「やっちまえ!」


 男たちが襲いかかると、ハンナは竜の右腕を広げ、牽制する。


「テオ、私が撒いた種だし、私に任せて」

「お前一人でこの人数とやるつもりかよ!」


 男たちは少なく見積もっても20人はいる。だが、その中の1人が緊張した声を張り上げた。


「待て! 魔族は魔法が使える。どんな能力か、なにしてくるかんからねえ……」

「フフ、そう。魔族は魔法使いなんだから」


 ハンナはそう言うと、右手を銃の形にして男たちに向けた。彼らに緊張が走る。そして彼女の腕から小さな粒が発射され、2人の男に命中した。


「あたっ」

「なんだこれ?」


 命中した2人は困惑した。彼らにくっついた粒はよく見ると彼女の鱗だった。

 突然、彼ら2人の身体が引き寄せられ、磁石のようにくっついた。


「きっもちわり! 離れろよ!」

「お前がくっついてきたんだろ! そういう趣味だったのかよ! お前が離れろ!」

「はあ!? おめーがくっついてきたんだろうが! おめーが離れろ!」

「いや待て! これって……」


 2人がおそるおそるハンナを見ると、得意げな顔をしていた。


「フフ……!」


 ハンナは次々と男たちに鱗を打ち込み、彼らはそのたびに二人一組でくっついていった。


「はいはい、二人組作ってね〜余った子は3人にしてあげる!」


 結局男たちはお互いの意思を無視してべったりとくっつき合う羽目になっていた。


「ごゆっくりどうぞ」


 ハンナは振り返らず、その場を立ち去ろうとしたが、


「ま、まま待ってくれえ!」


 男たちの悲痛な叫びに足を止めた。


「魔法だろ!? 解いてくれ、頼む!」

「いやよ。また襲ってくるもの」

「絶対もう手は出さない! 二度と! 約束する!」

「本当に〜?」

「本当だってばよ〜勘弁してくれ〜」


 半泣きになった男たちを見てハンナはため息をついて能力を解除した。途端に男たちは離れ、その場に転がる。


 それらを尻目に、ハンナは優雅に歩き去る。


「なあ、あれってお前の魔法? 面白い能力だな」


 テオが動けなくなった男たちを思い出して言った。


「大したことない魔法でしょ? 私の鱗――楔って呼んでるんだけど――をくっつけたもの同士を引き寄せる能力なの」

「いや、シンプルな能力ほど応用が利いて強い。なるほど……」


 テオはハンナの能力に感心しているようだ。


 埃っぽい裏通りにたどり着くと、そこにはひとりの少年が座っていた。膝の上には古びた地図。


 テオは足を止め、問いかける。


「おいお前。その地図、どこで手に入れた?」


 少年は目を上げ、無造作に答えた。


「手に入れたんじゃない。描いたんだ。ぼくがね」


(こいつ……まさか、“あの男”か?)


 テオは内心で息を呑む。


「へえ、あなたが描いたの? すごいわね。地図職人さん?」


 ハンナの目が輝く。


「そんな大層なもんじゃないよ。ただ、興味があるだけさ。この土地の“形”に」


 地図には詳細な地形線と、誰も知らない道筋、赤い印がいくつも書き込まれていた。小石や木の形まで正確に記され、見た者の目を奪う。


「……悪くない地図だな。開拓者の間で売れるぞ」


 テオは地図を眺めながら言った。


「売らないよ。金で買える価値じゃない」


 少年、ライリー・ハリスはきっぱりと言った。


「ふーん、じゃああなたは何のために描いてるの?」


 ハンナの声には好奇心があふれている。


「行きたい場所がある。誰も知らない“青い谷”さ」

「青い……谷?」

「風が青く見える谷だって、昔聞いたことがあるんだ。たぶん誰も行ったことがない。でも地形を追っていけば、必ず辿り着けると思ってる」


(青い谷──そうか。そこが……鉱脈の場所だ)


 テオの瞳に光が宿る。


「お前……案内できるのか? その“青い谷”まで」

「できると思う。けど、行くなら覚悟が要るよ。ここから先は“地獄”だ」

「そんなの当たり前でしょ? 地獄を超えなきゃ鉱脈にはたどり着けない」


 鉱脈は地獄の先にある。これは開拓者たちにとっては常識だ。


「それを求めて開拓者はここを通る。避けては通れない」

「僕も覚悟はできてる。二人とも、協力してくれる?」

「行こう。青い谷へ」


 テオが答えた瞬間、三人の運命が静かに交わった音がしたのを、テオだけが感じていた。


「私はハンナ。あなたは?」

「僕はライリー•ハリス」

「テオだ」


 自己紹介を終え握手を交わす。そうして三人一組の旅が始まった。




 3人は地獄への入り口にたどり着いた。

 地獄とは、広大な密林、あるいは断崖絶壁、またある時は巨大な河川などが行く手を阻む、前人未到の未開拓の地だ。

 だが、自然が険しいからという理由だけで地獄と呼ばれているわけではない。


「ここから先は魔物が出る。準備はいいな?」


 テオの言葉に、2人は緊張しながら頷く。


 地獄には魔物がいる。ヒトの形をしていない――あるいはヒトに似て非なるものが蔓延る。それが地獄だ。

 魔物の力は恐ろしく、戦闘力こそが正義である魔族にとっても、厄介な相手で、相手をしたがらないほどだ。


「危ないときは私に任せて。なんとかしてみせる」


 ハンナが気丈に竜の右腕を見せる。が、その手は震えていた。


「無理するな。お前は箱入り娘だったんだ。人間はともかく……魔物と戦うなんて初めてだろ?」


 テオの指摘で、ハンナの表情が曇る。やはり自信はないのだ。

 ライリーが目を丸くする。


「箱入り娘って……ハンナ姉さん、もしかして魔族の中でも貴族だったの?」

「ええ、外の世界が見たくてテオについてきたんだけど」

「今になって怖気付いたわけだ」

「う……それは……」


 事実なので否定できない。


「誰だって怖い。だが、俺たちは進むしかない。だろ?」


 テオはライリーに向かって言う。年少だと言うのに、ライリーは怖がっている様子がない。


「ぼくは父さんと母さんのように、世界中を旅して土地を知りたいんだ。特に誰も行ったことのない地獄……鉱脈はその足掛かりになる。ぼくはこんなところで止まれない」


 それところか、ライリーの瞳には強い意志が宿っている。


「ライリー……私も、外の世界を知りたいって屋敷を飛び出してきたの。あなたの目的に共感するわ」


 アンナは手を差し出し、ライリーはそれを取る。


「私にも勇気が欲しい。私も未知に進むわ」

「一緒に行こう……テオ兄さんも」

「……俺にそんな恥ずかしい真似しろって?」


 肩をすくめたテオの様子を見て、2人は顔を見合わせる。


「ノリ悪いね、テオ兄さん」

「このお兄ちゃんは恥ずかしがり屋なの」

「おい」


 和やかな雰囲気になるが、地獄は目の前だ。3人は再び気を引き締める。


「行くぞ」


 そうして地獄へと足を踏み入れたのだ。

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