EP 8

禁断のオプション沼

 深夜の社長室。

 遮光カーテンが引かれた密室には、甘い香水の匂いと、男の荒い息遣いが充満していた。

「さぁ、恭介くん。……誰に会いたい?」

 リカが妖艶に微笑む。

 俺は震える手で、机の上の金貨袋を握りしめていた。これは今日のライブの売上だ。経費や給料を支払うための大切な運転資金だ。

 だが、今の俺の心は渇ききっていた。

「……な、七瀬マイちゃん(地球の推しアイドル)で」

「うふふ、オーケー。……コースは?」

「『耳元で愛の囁きプラン』……お願いしますッ!」

 チャリン。

 金貨10枚がリカの手のひらに落ちる。

「メイクアップ・イリュージョン」

 ボンッ♡

 ピンク色の煙が晴れると、そこには憧れの国民的アイドル、七瀬マイが立っていた。

 テレビの中の彼女じゃない。今、目の前に、俺だけのために存在している。

「恭介さん……」

 彼女がそっと近づいてくる。

 そして、俺の耳元に唇を寄せた。吐息がかかる距離。

「……今日もお仕事、頑張ったんだね。偉いよ。……大好きだよ」

 ドックゥゥゥゥン!!

 脳内で何かが弾けた。

 脳内麻薬(ドーパミン)がドバドバと溢れ出し、日々のストレス、ワイガーの筋肉、ルナのワガママ、ユアの冷たい視線……すべてが吹き飛んだ。

「あ、ああ……! 癒やされる……! 生きている心地がする……!」

 俺は机に突っ伏して感動に震えた。

 たった3分。されど永遠のような3分。

 変身が解け、元のリカに戻った彼女は、ニコリと笑った。

「どう? スッキリした?」

「は、はい……! でも、まだ足りない! もっとだ!」

 一度味わった快楽は、さらなる渇望を呼ぶ。

「あら、積極的ね。……じゃあ、次はどうする? 『恋人ごっこプラン』なんてどう?」

「こ、恋人……?」

「ええ。エプロン姿で『おかえりなさい』って迎えてあげたり、膝枕(お触りは禁止よ♡)で愚痴を聞いてあげたり……。3分間、金貨20枚でどうかしら?」

「に、20枚……」

 高い。あまりにも高い。

 だが、俺の手は無意識に金貨袋に伸びていた。

「払います!! お願いします!!」

          ◇

 それからというもの、俺は狂ったようにリカを呼び出した。

「今日は『幼馴染プラン』で!」

「次は『ツンデレメイドプラン』だ!」

「罵ってくれ! いや、やっぱり褒めてくれ!」

 社長室から一歩も出ず、次々とオプションを追加していく。

 当然、俺の個人の財布などすぐに空になった。

 だが、目の前には「会社の金(売上)」がある。

(……ちょっとくらいなら、バレないよな?)

(これは必要経費だ。俺が潰れたらプロジェクトが終わるんだから、これは『福利厚生費』だ!)

 俺は震える手で、売上の袋から金貨を掴み取り、リカに渡す。

 リカはそれを笑顔で受け取り、完璧な幻影を見せてくれる。

「恭介くん、愛してるわ♡」

「うおおおおお! 俺もだぁぁぁ!!」

 金貨が消えるたびに、俺の精神は回復し、そして会社の財務状況は悪化していく。

 だが、もう止まらない。

「構うものかあああ!! 金ならある! 明日のライブでまた稼げばいいんだ!!」

 俺は叫びながら、金貨の山を崩した。

 その姿は、もはやプロデューサーではない。

 ただの『依存症の太客』だった。

          ◇

 ガチャリ。

 社長室のドアが開いた。

「恭介ー? 明日のケータリングの件で……」

 入ってきたのはユアだった。

 彼女は部屋の惨状を見て、足を止めた。

 散乱した酒瓶。空になった金貨袋。

 そして、七瀬マイ(に変身したリカ)に膝枕をされながら、だらしなくニヤけている恭介。

「…………」

 ユアの目が、絶対零度まで冷え込んだ。

「……へぇ。プロデューサーが自社のタレントに一番貢いでるって、どういうギャグ?」

「ゆ、ユア!? ち、違うんだ、これは演技指導の一環で……!」

 俺は慌てて飛び起きるが、変身が解けたリカが、手の中の金貨をジャラつかせながら言った。

「あらユア。邪魔しないでよ。今、いいところだったのに」

「リカ姉もリカ姉だよ。……ま、いいけどね」

 ユアは俺を一瞥し、憐れむように呟いた。

「搾りカスになるまで楽しめば? ……そのツケ、全部自分に返ってくるんだから」

 バタン!

 ドアが閉まる。

 俺は一瞬だけ背筋が寒くなったが、すぐにリカの甘い声にかき消された。

「さぁ、恭介くん。続きをしましょ? まだ『延長』できるわよね?」

「は、はいぃぃぃ!!」

 俺は再び、甘美な沼へと沈んでいった。

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