EP 7

エスカレートする接待

​ ナグモ領の廃墟――いや、今やそこは『ナグモ・芸能プロダクション』の本社ビル(外見はボロいが内装は少しマシになった)となっていた。

 連日のライブ、握手会、グッズ販売。

 ナグモ領は「アイドルの聖地」として巡礼者が絶えず、周辺には屋台が立ち並び、かつての荒涼とした風景は嘘のような活気に満ちていた。

​ だが、その社長室では、一人の男が頭を抱えていた。

​「……金が、残らねぇ」

​ 俺、南雲恭介は、目の前に積み上がった請求書の山を見て呻(うめ)いていた。

 売上は凄い。毎日、金貨が数百枚単位で動いている。

 だが、それ以上に『経費』が暴走していた。

​「ジャーマネぇ〜! ちょっと来てくださいぃ!」

​ 控室からルナの声が響く。俺は溜め息をついて駆けつけた。

​「どうした、ルナ?」

​「この衣装、チクチクしますぅ! 私、もっとフワフワでキラキラしたのがいいです!」

​ ルナが不満げに頬を膨らませる。

​「贅沢言うな。それだって最高級のシルクだぞ?」

​「嫌ですぅ! 隣国の『妖精絹(フェアリーシルク)』じゃないと、私の肌が荒れちゃいます! ビジュアル担当の肌が荒れたら、売上が落ちちゃいますよぉ?」

​「くっ……! わ、分かった! 手配する!」

​ 妖精絹。金貨20枚は下らない希少素材だ。

​「あと恭介」

​ ソファでふんぞり返っているユアが、食べかけの弁当をゴミ箱に放り投げた。

​「今日のロケ弁、何これ? まさか『松阪牛』じゃないの?」

​「こっちの世界に松阪牛はない! 最高級のオーク肉だぞ!」

​「脂っこいし硬い。……あーあ、テンション下がるなぁ。これじゃ今日のMC、噛んじゃうかも」

​「……ユア様。すぐに『A5ランク和牛』を地球から取り寄せます」

​「よろしい。あ、デザートは千疋屋のメロンで」

​ 俺は胃を押さえた。

 だが、これで終わりではない。

​「プロデューサーさん?」

​ 鏡の前で念入りに化粧をしていたリカが、優雅に振り返った。

​「次回の王都遠征のことなんだけど……まさか、またあのガタガタ揺れる馬車で行くつもりじゃないわよね?」

​「え? いや、あれもクッションを良くした特別製で……」

​「ダメよ。揺れでメイクが崩れたらどうするの? 私、センターなのよ?」

​ リカは妖艶な流し目を送ってきた。

​「『魔導サスペンション付き・リムジン馬車』。……買ってくれるわよね? 私のために」

​「り、リムジン馬車!? あれ、城が買える値段だぞ!?」

​「あら? 私たちが誰のおかげで稼げてると思ってるの? ……ねぇ、買ってくれないなら、私、明日から喉の調子が悪くなるかもしれないわ……」

​「か、買いますぅぅぅぅ!!」

​ 脅迫だ。これは接待ではない、脅迫だ。

 だが、彼女たちのご機嫌を損ねて解散でもされたら、残るのは莫大な借金だけ。

 俺は『イエス』と言い続けるしかなかった。

​          ◇

​ 深夜。

 メンバーたちが専用の高級宿舎(リフォーム済み)へ引き上げた後、俺は一人、社長室で死んだような目をしていた。

​「……稼いでも稼いでも、右から左へ消えていく」

​ 自転車操業。

 華やかなスポットライトの裏側は、過労とストレスの地獄だった。

 肩は凝り、胃は痛み、心はすり減っている。

 誰か……誰か俺を癒やしてくれ……。

​「あら、まだ起きてたの? プロデューサーさん」

​ ふわりと甘い香りが漂った。

 顔を上げると、そこには私服姿のリカが立っていた。

 タイトなニットワンピが、豊かな曲線を強調している。

​「リカ……姉さん? どうしたんですか、こんな時間に」

​「んー? あなたが辛そうな顔をしてたから、気になってね」

​ リカは俺の背後に回り込み、そっと肩に手を置いた。

​「凝ってるわねぇ。……大変ね、ワガママな妹たちの相手は」

​「い、いやぁ……ハハハ……」

​ そのワガママの筆頭はあなたですが、とは言えない。

 リカの指が、凝り固まった俺の肩を絶妙な力加減で揉みほぐす。

​「うっ……! そ、そこ……!」

​「気持ちいい? 私、マッサージも得意なのよ」

​ リカは耳元で囁くように言った。

 吐息がかかる距離。大人の香水が脳を麻痺させる。

​「ねぇ、恭介くん。……もっと『癒やし』たくない?」

​「え……?」

​「ストレス、溜まってるんでしょ? 誰かに甘えたいんでしょ?」

​ リカは俺の椅子をくるりと回し、正面から俺を見下ろした。

 その瞳は、深淵のように深く、甘く、誘っていた。

​「私のスキル『千の仮面』を使えば……あなたの『理想の女性』になって、優しく慰めてあげられるわよ?」

​「り、理想の……」

​「そう。例えば、誰にも言えない秘密の恋人とか。……あるいは、あなたが一番大好きな『推し』になって、耳元で愛を囁くとか♡」

​ ドクン。

 心臓が大きく跳ねた。

 推し(七瀬マイ)が、俺のためだけに、愛を囁く?

 恋人になってくれる?

 たとえ3分間の偽物だとしても、この疲れ切った心には、劇薬のような魅力だった。

​「も、もちろん……」

​ リカはニッコリと笑い、人差し指と親指で『お金』のサインを作った。

​「特別オプション料金になるけど……今のあなたなら、払えるわよね?」

​ 悪魔の囁き。

 だが、今の俺にそれを拒絶する理性は残っていなかった。

​「……詳しく、聞かせてください」

​ 俺は震える声で言った。

 こうして、プロデューサー自らが、最大の「沼」へと足を踏み入れたのだった。

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