第16話
虚飾の交渉人(ネゴシエーター)
指定された取引場所は、街から数キロ離れた森の奥にある、廃教会だった。
崩れかけた石壁、苔むした床。月明かりだけが頼りの薄気味悪い場所だ。
「……おい、本当に大丈夫なのかよ。相手は凶悪犯だぞ」
背後でワイガーが小声で囁く。
彼は空腹でゲッソリしているが、腐っても元Bランク相当の冒険者だ。痩せても筋肉の骨格は威圧感を放っている。
「大丈夫だ。ワイガーは黙って立っててくれ。それだけで十分、脅しになる」
「あぁ……腹減った……」
その低音の唸り声が、逆に殺気のように聞こえるから不思議だ。
ルナは俺の後ろで震えながら、杖を握りしめている。
ユアは……「ここ電波悪いわー」と文句を言いながら、なぜかポップコーンを持っている。映画でも見る気か。
俺たちが礼拝堂の中央に進むと、闇の奥から数人の男たちが姿を現した。
総勢10人。全員が剣やボウガンで武装している。目つきが悪い。間違いなくプロの犯罪組織だ。
「よう。お前らがハミルトンの使いか?」
リーダー格と思われる男が、抜身の剣を肩に担いで前に出た。
その足元には、猿ぐつわをされ、縛られた少年が転がされている。ハミルトン男爵の息子だ。怯えきっているが無事なようだ。
「そうだ。俺は南雲恭介。交渉役だ」
俺は努めて冷静な声を出し、一歩前に出る。
心臓はバクバク言っているが、ここで舐められたら終わりだ。
「交渉だと? 笑わせるな。条件は一つだ。金貨1000枚。それ以外に話すことはねぇ」
リーダーが切っ先を俺に向ける。
「まさか、手ぶらで来たわけじゃねぇだろうな? 金はどこだ?」
男たちの視線が、俺たちの荷物に集中する。
当然だが、俺たちは金貨1000枚なんて重い物理貨幣は持っていない。
「……現金(現物)は持ってきていない」
「あぁ!?」
男たちが色めき立ち、殺気が膨れ上がる。
「ふざけんな! ガキを殺されたいのか!」
「待て。話を聞け」
俺は両手を広げ、落ち着かせるようなジェスチャーをした。
「1000枚もの大金、ジャラジャラと袋に入れて運べるわけがないだろう。重いし、途中で強盗に遭うリスクもある」
「……で、何が言いてぇ?」
「だから、俺の『金庫番』に管理させている。ここで、今すぐ呼び出してやるよ」
俺はスマホを取り出した。
男たちは「なんだその板は?」と怪訝な顔をしている。
「ユア。……頼む」
俺は後ろのユアに目配せをした。
ユアは「ちっ、しょーがないなー」と言いながら、俺の手のひらに金貨1枚を乗せた。
なけなしの、本当に最後の1枚だ。これも借金だが、今は考えるな。
俺はスマホの画面をタップする。
アドレス帳の『No.2』。
プルルルル……ガチャ。
『……おや? 私をご指名かな?』
キザな声が聞こえたのと同時に、俺の手から金貨が消滅した。
ボンッ!!
突如、俺と強盗たちの間に、ピンク色の怪しい煙が巻き起こった。
甘ったるい香水の匂いが充満する。
「な、なんだ!? 毒ガスか!?」
強盗たちが慌てて口元を覆う。
煙が晴れると、そこには一人の男が立っていた。
紫色の派手な燕尾服。
シルクハットに、片眼鏡(モノクル)。
そしてカイゼル髭を指先で弄(いじ)る、いかにも胡散臭い男。
「ノン、ノン、ノン。毒ガスなどという無粋なものと一緒にしないでいただきたい」
男はステッキを優雅に回し、恭しく一礼した。
「我が名はザーマンス。しがない魔法使いであり……錬金術師さ」
「は? 魔法使いだぁ?」
強盗たちが呆気に取られている。
俺はザーマンスの隣に並び、強盗たちに向けてニヤリと笑った。
「紹介しよう。彼が俺の金庫番だ。……おいザーマンス、例のモノを」
「ウィ(Yes)。承知した」
ザーマンスが大仰に両手を広げる。
「お客様のご要望は金貨1000枚。……よろしい、我が魔法の真髄、とくとご覧あれ」
彼がステッキを一振りした。
ただ、それだけだった。
カラン……カラン、カラン……ジャラララララララッ!!
何もない虚空から、黄金の奔流が溢れ出した。
本物の金貨だ。
王の刻印が刻まれた、眩いばかりの金貨が、滝のように降り注ぎ、強盗たちの目の前に山を作っていく。
「なっ……ななな……!?」
強盗たちの目が釘付けになる。
それは、誰も見たことがないほどの、圧倒的な富の輝きだった。
「ほら、数えてみろ。きっちり1000枚あるはずだ」
俺は腕を組んで言い放った。心臓が口から飛び出しそうだが、顔だけは余裕を保つ。
これは本物じゃない。
3分で消える、ただの砂だ。
勝負はここからだ。3分以内に人質を奪還し、この場を離脱しなければならない。
砂時計の砂が、落ち始めた。
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