第15話
起死回生の誘拐事件
スラムのアパートでの極貧生活が始まって、3日が過ぎた。
限界だった。
精神的にも、肉体的にも、そして胃袋的にも。
「……肉……肉ぅ……」
部屋の隅で、ワイガーが天井のシミを見つめながら譫言(うわごと)を呟いている。
あの隆々とした筋肉は見る影もなく萎み、頬はこけ、目は虚ろだ。虎というより、雨に濡れた捨て猫に近い。
「恭介さまぁ……見てください。このダンゴムシさん、丸くて黒豆みたいで美味しそうです……」
ルナが床を這う虫を指で突っついている。
まずい。エルフの尊厳が崩壊し始めている。
「しっかりしろ二人とも! ダンゴムシは食い物じゃない! ……たぶん!」
俺は声をかけたが、自分も立ち上がるだけで立ちくらみがした。
パンの耳と水だけでは、カロリーが圧倒的に足りない。
隣ではユアが「今日は奮発して鰻重(うなじゅう)にしよっかなー」などと独り言を言っているが、殺意が湧くので無視する。
このままでは、俺たちはここで野垂れ死ぬか、借金取りに売り飛ばされるかだ。
何か、仕事を探さなければ。
俺はふらつく足取りで、情報の集まる街の広場へと向かった。
◇
広場は、何やら騒然としていた。
人々が掲示板の前に集まり、深刻な顔で話し合っている。
「酷い話だよなぁ……」
「ああ。あそこの息子さん、まだ小さいんだろ?」
「身代金なんて、払えるわけがねぇよ」
俺は人垣をかき分け、掲示板の張り紙を見た。
【緊急告知:誘拐事件発生】
【被害者:ハミルトン男爵家・長男(10歳)】
【犯人の要求:身代金・金貨1000枚】
【情報求む】
「……金貨、1000枚?」
その数字を見た瞬間、俺の脳内に電流が走った。
1000枚。
それは俺たちがドラゴンの討伐で得ようとしていた金額であり、現在の負債を一発で完済できる夢の数字だ。
「おい、そこの爺さん。ハミルトン男爵家ってのは金持ちなのか?」
俺は隣にいた老人に尋ねた。
「いやぁ、あそこは昔は名門だったが、今は没落して貧乏貴族じゃよ。領民には慕われておるが、金貨1000枚なんて大金、逆立ちしても出せまい」
「……なるほど」
「憲兵も動いておるが、犯人は『金を用意できなければ息子の命はない』と脅しておるらしくてな。手出しができんのじゃ」
詰んでいる。
金はない。警察も動けない。
典型的なデッドロック(膠着状態)だ。
だが――俺の頭の中で、パズルのピースがカチリと嵌(は)まった。
金貨1000枚を用意するなんて不可能だ。
だが、『用意したように見せかける』ことなら?
俺には、あの『電話帳』があるじゃないか。
「……いける」
俺はニヤリと笑った。久々に浮かぶ、悪巧みの笑みだ。
俺は全速力でアパートに戻った。
「起きろワイガー! ルナ! 仕事だ!」
「……肉……?」
「……ご飯……?」
「ああ、成功すれば肉もご飯も食い放題だ! 俺たちで、誘拐された子供を救い出すぞ!」
◇
街外れにある古びた屋敷。ハミルトン男爵邸。
門の前には、憔悴しきった様子の初老の男性と、泣き崩れる夫人の姿があった。男爵夫妻だ。
「誰か……誰か息子を助けておくれ……」
「金貨1000枚など、屋敷を売っても足りませぬ……」
絶望に暮れる二人の前に、俺たちは姿を現した。
ボロボロの服を着た、怪しい三人組(+女子高生)。
当然、門番が槍を構える。
「止まれ! 何用だ乞食ども!」
「失礼な。俺たちは乞食じゃない。……交渉人(ネゴシエーター)だ」
俺はできるだけ背筋を伸ばし、慶應仕込みのハッタリをかました。
「男爵。息子さんを助けたいなら、俺たちに任せてください」
「な、何を言うか! お前たちのような者に何ができる!」
「金貨1000枚、俺たちが用意します」
「なっ……!?」
その場にいた全員が息を呑んだ。
男爵が縋(すが)るような目で俺を見る。
「ほ、本当か!? 1000枚もの大金を、持っていると言うのか!?」
「『持っては』いません。ですが、『用意』はできます」
俺はユアを見た。彼女は「へぇ、面白そうじゃん」とニヤニヤしている。
俺は男爵に向き直り、力強く宣言した。
「俺に策があります。犯人との取引役、俺に任せていただきましょう」
失うものは何もない(すでにパンの耳生活だ)。
ならば、この大博打に乗るしかない。
これは人助けであり、何より俺たちの起死回生の『錬金術』なのだから。
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