第6話
カレー・エコノミクス
日が暮れる前に、俺たちは森の中の開けた場所で野営をすることになった。
街まで戻るには時間が足りないし、夜の森は危険すぎるからだ。
「ぐぅぅぅぅ〜……」
焚き火の前で、雷鳴のような音が響く。犯人はもちろん、虎耳族の巨漢だ。
「あー、腹減った。おいキョウスケ、飯はまだか? 俺はもう限界だぞ。このままだと非常食(ルナ)を齧(かじ)っちまうかもしれねぇ」
「ひいぃっ! わ、私、美味しくないですよ!? 筋張ってますよ!?」
ルナが本気で怯えてワイガーから距離を取る。このエルフ、冗談が通じないタイプか。
「安心しろルナ。ワイガーも冗談だ。……たぶん」
俺は苦笑しながら立ち上がった。
さて、約束通り、彼らの胃袋を満足させなければならない。今日の報酬(ゴブリンの耳と、ルナの護衛代)がかかっている。
「よし、今日の晩飯は『カレー』にするぞ」
「おう! 待ってました! ……で、そのカレーってのはどんな料理なんだ?」
「スパイスをふんだんに使った煮込み料理だ。元気が出るぞ」
「へぇ、精がつくのか。そいつはいい!」
ワイガーが舌なめずりをする。
だが、問題が一つ。俺の手元には食材が一切ない。あるのは、さっき解体したばかりのゴブリンの肉(食用には適さないらしい)だけだ。
俺は視線を、少し離れた場所でスマホをいじっている女子高生に向けた。
「……ユア様。食材の調達をお願いできますでしょうか」
「んー? いいけど、高いよ? 時間外手数料もかかるし」
ユアは画面から目を離さずに答える。
「分かってる。必要経費だ。……とりあえず、これだけの物を取り寄せてくれ」
俺はスマホのメモアプリに打ち込んでおいたリストを見せた。
* スパイスセット(クミン、コリアンダー、ターメリック、ガラムマサラ、カイエンペッパーなど基本10種)
* 玉ねぎ、にんにく、生姜
* 米(5キロ)
* 簡易ガスコンロとガスボンベ
* 大きめの鍋とお玉
* 水(2リットル×6本)
「……あんた、キャンプに来たの?」
「うるさい。料理は道具と環境が命なんだよ」
「はいはい。……ん、転送完了」
ユアが画面をタップした瞬間、何もない空間が歪み、リスト通りの品々がドサドサと地面に現れた。
魔法のような光景だが、俺は知っている。これは魔法ではない。「課金」という名の現代の奇跡だ。
「うわぁ! すごいです! これが恭介さまの召喚魔法ですか!?」
「いや、ただの通販だ。……よし、始めるか」
俺はエプロン(これも取り寄せた)を締め、料理人モードに切り替えた。
まずは米を研ぎ、鍋で炊き始める。並行して、もう一つの鍋で油を熱し、みじん切りにしたニンニクと生姜を投入。
ジュワァァァッ!
食欲をそそる香りが爆発的に広がる。
「んんっ!? なんだこの匂いは!?」
ワイガーの鼻がヒクヒクと動く。
「まだ序の口だ」
続いて、大量の玉ねぎを投入。ここからが勝負だ。飴色になるまで、焦がさないように、ひたすら炒め続ける。この工程がカレーのコクを決める。
40分後。玉ねぎが黄金色のペースト状になったところで、トマト缶と、持参していたゴブリン……ではなく、ワイガーがいつの間にか狩ってきていた「ワイルドボア(巨大イノシシ)」の肉を投入。
そして、真打ち登場。スパイスの調合だ。
「クミンで香りのベースを作り、コリアンダーで爽やかさを、ターメリックで色付けを……そしてカイエンペッパーで辛味のアクセントを!」
俺は(脳内で)ブツブツと呟きながら、最適な配合でスパイスを鍋に放り込む。
瞬間、森の空気が変わった。
幾重にも重なったスパイスの芳醇な香りが、煙となって立ち昇る。それは暴力的なまでの食欲への刺激だった。
「ぐおおおおっ! な、なんだこれは! 匂いだけでヨダレが止まらねぇ!」
「はわわ……な、なんですの、この刺激的な香りは……! エルフの里では嗅いだことがありませんわ……!」
ワイガーは涎を垂らしながら鍋に釘付けになり、ルナはハンカチで口を押さえながらも、目は料理から離せないでいる。
「仕上げにガラムマサラで香りを整えて……よし、完成だ!」
俺は炊きたての白米を皿に盛り、その上から熱々のカレーをたっぷりとかけた。
「さぁ、食ってくれ。これが俺の世界のソウルフード、『スパイスカレー』だ!」
「いっただきまぁぁぁす!!」
ワイガーがスプーン(スコップみたいにデカい)でカレーを掬(すく)い、大口を開けて放り込む。
「…………ッ!!?」
彼の動きが止まった。
次の瞬間。
「んん゛ん゛ん゛まいぃぃぃぃぃぃっ!!!」
虎の咆哮が森に響いた。
「なんだこれ!? 辛ぇ! 舌が痺れる! でも、それ以上に美味い! 肉の旨味と、この複雑な香りが爆発してやがる! こんなの初めてだ!」
ワイガーは涙目になりながら、一心不乱にスプーンを動かし始めた。飲むような勢いだ。
「あ、あの、私も……いただきます」
ルナがおそるおそる一口食べる。
「んんっ!? か、辛いです! 口の中が火事ですわ!」
彼女は目を白黒させたが、すぐにスプーンが二口目を求めた。
「でも……不思議です。体が熱くなって、力が湧いてくるような……。それに、お野菜の甘味も感じられて……美味しい、です」
ルナは「はふはふ」と言いながら、頬を赤らめて食べ進める。その姿は、深窓の令嬢が初めてジャンクフードの味を知ってしまった瞬間のようだった。
「ふーん。まぁ、悪くないんじゃない?」
いつの間にか自分の分を確保していたユアも、スマホ片手に完食していた。
「恭介、あんた塾講よりカレー屋やった方が儲かるんじゃない?」
「……褒め言葉として受け取っておくよ」
俺も自分の分のカレーを口に運ぶ。
うん、美味い。ワイルドボアの肉がスパイスとよく合っている。異世界の食材でも、カレーはカレーだ。
みんなの満足そうな顔を見て、俺は料理人としての達成感に包まれた。
――そう、この時までは幸せだったのだ。
食後。満腹で動けなくなっているワイガーとルナの横で、ユアがおもむろにスマホの電卓アプリを起動した。
「さて、と。じゃあ精算しよっか」
パチパチパチ、と軽快なタップ音が響く。
「スパイスセット一式、調理器具レンタル代、お米5キロ、水、その他手数料込みで……〆て、金貨4枚ね」
「…………はい?」
俺は耳を疑った。
金貨4枚。日本円で約4万円だ。
「ちょ、ちょっと待て! 高すぎるだろ! ボッタクリもいいとこだ!」
「えー? 異世界への緊急転送料金だよ? 妥当なラインでしょ」
「そんな……」
俺は懐の革袋を確認した。
今日のゴブリン討伐の報酬(耳の換金)と、ルナから前借りした護衛代。合わせて金貨3枚と銀貨数枚だ。
「……赤字じゃねぇか」
命がけでゴブリンと戦い、迷子のエルフを助け、美味い飯まで作ったのに。
俺の手元に残るのは、マイナス金貨1枚分の借金だけ。
「はい、これ請求書。月末にまとめて引き落とすからよろしくねー」
ユアが笑顔で突きつけてくるスマホ画面が、死神の鎌に見えた。
「美味かったぞー! キョウスケ! 明日も頼むな!」
「ごちそうさまでしたぁ。幸せですぅ……」
何も知らない筋肉とポンコツエルフが、幸せそうに腹をさすっている。
俺は夜空を見上げ、音のない涙を流した。
この世界、世知辛すぎるだろ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます