ふわふわのムチちゃん

@gachianiki69

ふわふわのムチちゃんムチ!

ふわふわ~

ふわふわ~


ムチちゃんは魔法の風船でふわふわ浮かんでいます。冒険者ギルドに向かってふわふわ移動しています。


ムチちゃんはムチムチ族の男の子です。大きさはワンワンさんぐらいです。まんまるボディが特徴で、とってもムチムチした肉付きをしています。姿かたちはブーブーさんの顔に小さな手足が生えた感じです。これでも妖精さんの仲間なんですよ。


ふわふわ~

ふわふわ~


風船に揺られているうちに冒険者ギルドに着きました。まだ新しさの残る木造の建物です。辺境では都市づくりが始まったばかりですからね。


冒険者ギルドは魔物と戦ったり、危険な場所で採集を行う冒険者さんの互助組織です。大陸中に支部があって、依頼の斡旋や初心者への教導などを行っています。とってもとっても大事な組織なんです。


ムチちゃんは小さいので、スイングドアの下を余裕でくぐれます。昼前の冒険者ギルドは活気にあふれています。


受付の列に並んで待ちます。すぐに順番が回ってきました。


「今日の薬草ですムチ。確認をお願いしますムチ」


ムチちゃんは受付嬢♂さんに採取してきた薬草の束を渡します。今朝早くに採取してきた新鮮な薬草です。鮮度が落ちないうちに下処理も済ませてあります。薬草採取のプロであるムチちゃんに抜かりはありません。


受付嬢♂さんは薬草の束を受け取ると、バックヤードのほうに歩いて行きました。薬草の目利きができる鑑定員さんに渡しに行ったのですね。


あ、戻ってきました。


「お疲れさまでした。相変わらず素晴らしい状態ですね。鮮度のあるうちに必要な下処理もしてあるので、本当に助かります。この後どうするんですか?」


「今日はおつかい依頼がないので、ギルドのほうで働かせてもらいますムチ。今ならまかないのリクエストができますムチよ?」


「えっ、本当!? じゃあ、この前作ってくれたお肉の煮込み料理! あれすごく好みだったからお願いしたいわ」


「いいムチよ! ムチちゃん特製の圧力釜なら今からでも間に合うムチ!」


「やった! みんなにも知らせてくるね。みんなー、今日のまかないはムチちゃんの煮込み料理よー」


受付嬢♂さんは離席中の立て札を机の上に置いて、奥のほうに行ってしまいました。ムチちゃんの処理はまだ途中です。まあ、後でやってくれるでしょう。報酬は口座に振り込んでおいてくれればいいですしね。


口座というのは商業ギルドが下支えしている信用取引のサービスです。大店(おおだな)同士の取引だと、金貨の量が足りないことがあります。そんなときに互いの信用を相殺して取引を成立させたりできる画期的な仕組みなんですよ。


話がそれました。ムチちゃんは朝の仕事が終わったので、従業員用の入り口をくぐり、奥の部屋に入ります。水の入った桶から水を取り出し、外で汚れた体を清めます。きれいきれいになったところで体を拭いて、厨房へ向かいます。


「ムチちゃんムチ。今日もお手伝いがんばるムチ!」


「おお、ふわふわの。よく来たよく来た。今日も頼むぜ」


ムチちゃん、ムチムチ族用のコック帽とマスクを身につけて調理開始です。


まずは皮むきをがんばります。じゃがいもさんの皮をしゅるしゅると剥きます。にんじんさんの皮もしゅるしゅると剥きます。剥いた皮はぺらんぺらんです。ぶどまりは大事ですからね。


下ごしらえを終えたら、料理人さんたちに引き継ぎます。ムチちゃんは引き続きまかないを作ります。


お肉をリソレしてから炒めます。リソレは焼き目をつけてうま味を中に閉じ込めたりする技法ですね。お野菜も投入します。お水にお酒、調味料を投入して煮込みます。ムチちゃん特製圧力釜のおいそぎモードが火を噴きます。


煮込み料理は多少雑に作ってもおいしいので、忙しい時には助かります。あとは火の番をして、仕上げに味を調えたら完成です。





昼休憩の時間になり、ギルドのみなさんが集まってきました。日の光が差し込む食堂には木製の椅子が並んでいます。手作り感あふれた家具たちが日差しと相まって暖かい雰囲気を出しています。


ホコリなんてムチちゃんが許しません。しっかり掃除済みです。ムチちゃんは食事用の大きなテーブルに料理を並べます。


メインはボア肉のやわらか煮込みです。リソレしたボアのお肉と食堂で余ったお野菜をムチちゃん特製の圧力窯でしっかりと煮込んでいます。ソースも工夫したんですよ。


サイドはかんたんコンソメスープと野菜サラダです。コンソメスープは一から仕込んだものではなく、あらかじめ作っておいたスープの素を利用しています。さすがに一日中仕込みをするわけにはいきませんからね。


ギルドのみなさんがやってきました。みんな忙しいので、すごいペースで食べていきます。


「ああ、うまい。ムチちゃんの作るまかないは最高だな」


「まったくだ。職場でこんなうまいメシが食えるとは」


みんなおいしそうに食べてくれます。料理人冥利(みょうり)に尽きるというものですね。


「なあふわふわの、冒険者なんてやめて、ウチで正式に働かねえか? 料理の腕も、鍛冶の腕も、錬金術の腕も、みんなスゲエもん持ってるじゃねえか。第一線で活躍できるぜ」


「誘ってくれるのはうれしいけど、ダメむちよ。ムチちゃんは冒険者でテッペンを取るって決めているムチ! 料理も、鍛冶も、錬金術も、冒険者活動に役立つと思って鍛えた余技にすぎないムチ」


「お前も頑固だなあ。まあ、冒険者に飽きたらいつでも来いよ。ムチちゃんなら幹部候補として迎えるぜ」


「ムチちゃんはこつこつ強くなるタイプむち。それに、薬草採取も町のお使いも依頼人さんにとっては大事な依頼ムチ。ムチちゃんはそうした依頼をムッチムチにこなして、ムッチムチの冒険者になるムチ!」


「はは、かなわねえな」


その後も情報共有や雑談も交えた食事の時間が続きました。ムチちゃんはお片付けを済ませて、次の仕事場へ向かいます。





「ムチちゃん、調薬作業に入りますムチ!」


「おう、ふわふわの。今日もよろしくな」


「がんばりますムチ!」


ムチちゃんは再び体を清めてから調合用の台の前に立ちます。マスクも付けますよ。ムチちゃんのお仕事は低級ポーションの作成ですが、実はもうひとつあります。後で説明しますね。


まずは低級ポーションの作成です。ムチちゃんのところには等級の低い薬草が回されます。


冷遇されているわけではないですからね。理由はムチちゃんの専門分野が低コスト調合と廃物利用だからです。新人さんたちが頑張って取ってきた薬草です。ムチちゃんがきっちり下級ポーションに仕上げてみせます。


ムチちゃんはしっかりと錬金窯を洗います。水を蒸留してきれいきれいなお水にします。一つ一つの工程を手抜かりなく実行します。薬草の品質をほかの工程でカバーするのです。


じっくりと手順どおりに薬草を煮詰めます。砂時計を使って時間通りに火を止めます。ゆっくり冷まして簡易鑑定機にかけて……良品質の下級ポーションができました。


ばっちりです。あとは容器に詰めるだけです。


「ムチちゃん、今日もいい仕事ぶりだな。俺たちじゃあこうはいかん」


「まったくだ。普通なら捨てちまう薬草で良品質の下級ポーションができるんだからな。いい腕してるぜ」


「お褒めにあずかり光栄ムチ。でも、ムチちゃんは冒険者ムチ。薬師はあくまで副業ムチ。勧誘してもダメむちよ!」


「ははは、見透かされてたか。それはそうと、ムチちゃん。今日も例の部屋で頼む」


「わかったムチ」


ムチちゃんはムチムチと歩いて調合室のさらに奥にある部屋に入りました。これがもうひとつの仕事、ないしょの上級ポーション作りです。


ムチちゃんが中に入ると、ギルドマスターが待っていました。


「ムチちゃん、いつもすまねえな」


「気にしなくていいムチよ。冒険者は持ちつ持たれつムチ」


「助かる。今月も小規模だが三回も【スタンピード】が起きている。部位欠損すら直す上級ポーションが足りねえんだ。こんな辺境だと何もかもが足りねえ。なけりゃどうにかして作るしかねえ。最高級薬品の中央による一括管理だあ? ンなことぬかしてる間に人が死ぬんだよ!」


ギルマスも忙しくてカリカリしています。


【スタンピード】は魔物の氾濫です。ダンジョンや人の入らない森から大量の魔物があふれだしてきます。対処が悪ければ、村や町が滅んだりする恐ろしい現象です。冒険者ギルドの大きな仕事のひとつとして、このスタンピードの対応があります。ムチちゃんたち冒険者が、普段の荒くれから頼りになる存在になるときでもあります。


「ムチちゃんを呼んだということは、また材料が揃ったムチね?」


「ああ。辺境は手つかずの宝の山だからな。優秀な冒険者がいれば素材はすぐに集まる。たまたまラインハルトのヤツが来てくれたのは幸運だ」


「そいつは助かるムチね。ムチちゃんもがんばって調薬するムチ!」


ムチちゃんは気合を入れなおして特別な調薬台の前に立ちます。これから作るのは上級回復薬【エクスポーション】です。


【エクスポーション】は霊薬に分類されるお薬です。外傷ならば欠損部位も修復し、内臓の疾患にも効能があります。とってもとってもすごいお薬です。


作るのには貴重な材料が必要で、作り手も上級薬師以上の腕前が求められます。ムチちゃんは特級薬師でもあるムチケミー先生に上級相当と太鼓判をいただいています。すごいでしょう。


久々の上級薬づくりなので気合を入れて作りました。簡易鑑定機の結果は……高品質のエクスポーションです。オークションに出せば白金貨モノです。おうちどころか、小さな街が買えてしまいます。ですが、大事なスタンピードへの備えです。大事に大事にマスターに保管してもらいましょう。


「マスター、できたムチ。ちゃんと高品質ムチよ!」


「お、また高品質か。相変わらずいい腕してるな」


「ムチフフフ……副業とはいえ、ムチちゃんは研鑽を怠らないムチ。ムチちゃんがここにいる間は、どーんと任せるムチよ!」


「……ありがてえ」


「今日のバイトもこれで終わりムチ。ムチちゃんは軽く汗を流してから帰るムチ」


ムチちゃんは調薬室を出て、ギルドの訓練施設に向かいました。





「あちょ~ムチ!」


ぺちょ


「も一度あちょ~ムチ!」


ぺちょ

ぺちょ


今日も木製の的を相手にむちパンチの練習です。か弱いムチムチ族のパンチでは豪快な音は出ません。ぺちょ、という気の抜けた音が精いっぱいです。


「おい、またやってるぜ。あのムチムチ族」


「成果は出ないのに精が出るねえ。これ以上無様を晒すまえに田舎に帰ったほうがいいんじゃねえか?」


あの二人はいつもムチちゃんのことを馬鹿にします。柄が悪いと評判です。ムチちゃんは気にせず鍛錬に集中します。


「オイコラ聞いてんのか? そのみじめな音を聞くとこっちが萎えんだよ。さっさと失せな!」


ムチちゃんに向かって蹴りを放ってきました。ギルドの訓練施設ですよ? 人の目もあるのに、どれだけ考えなしなのでしょうか。ムチちゃんはあわててガードを固めます。


蹴り足がムチちゃんにヒットしましたが、しっかり両手で防御できています。しかし、男はそのまま足を振りぬきました。


ぽよんっ

ころころころ


ムチちゃんはそのまま吹き飛ばされてしまいました。壁にぶつかって、転がって、またもとの場所に戻ってきました。痛いです。


泣きたくなったけど我慢します。ムチちゃんは強い子なのです。


「何をするムチか。ギルド内のもめごとなんてシャレにならないムチよ」


「うるせえ、テメエを見てるとムカつくんだよ! 大人しく俺に殺されとけ!」


二人が得物を抜きました。正気ですか? 正気じゃないですね。目がちゃんと殺す目をしています。やばいです。


「――小競り合いならまだしも、殺しはダメだ」


一瞬の出来事でした。冷たい気配と恐ろしい威圧感が場に満ちています。場に居合わせた誰もが動くことすらできません。


「ラ、ラインハルト……」


剣聖ラインハルト――大陸でも5人しかいない特級冒険者です。2メートル近い長身に鍛え上げられた肉体。黄金の長髪、凄みはあるが美しく整えられた目鼻立ち。


その二つ名の通り、精妙な剣技でいくつもの魔物を葬ってきた強者のなかの強者です。実はムチちゃんのお友達なんですよ。


「こんなムチムチしたのでも、生産系としては一流なんだ。無駄に殺してくれるな」


静かな物言いですが、その迫力に二人とも気圧されています。ムチムチ族は攻撃力はへなちょこだけど、防御力はけっこうすごいのです。あんな連中に殺されることはないのですが、ラインハルトのおかげでうまく収まりそうです。


「アンタと事を構えるほど馬鹿じゃねえよ」


二人が外に出ていきました。ムチちゃんには何もなしですか? 思いっきり「いーっ」してやります。


「ケガはないか? ムチちゃん」


「大丈夫ムチ。ムチちゃんは強い子ムチ!」


「そうか、それはよかった。今日の仕事は終わったようだな」


「抜かりなく終わったムチよ。なんか居づらくなったので、今日はもう帰るムチ。ごはんがまだなら一緒にどうムチか?」


「ムチちゃんの手料理か。久々にいただこうか……腕はなまっていないだろうな?」


「ぬかせムチ。ムチコック先生直伝のこの腕、ちゃんと磨き続けているムチよ。宿の厨房を借りるムチ。ちょっと料理の指導をするだけで貸してもらえるムチ。オーナーさんはホントにいい人ムチ!」


「ムチコック殿の直弟子から指導を受けられるなら喜んで貸すだろうさ――ちなみに、何を作るつもりだ?」


「ドラゴンステーキむち。亜竜を狩ってきたのは知っているムチよ。解体場がお祭りだったムチ」


「やはり知っていたか。ムチちゃんがいるのは知っていたから、一番いいところを譲ってもらっている。しっかり調理してくれ」


ムチちゃんたちは雑談をしながら宿へと向かいました。ちなみのこの宿、冒険者ギルドが経営しています。冒険者さんには割引サービスがあるんです。冒険者ギルドの支援はすごいですね。





宿屋に着いたので、オーナーさんと交渉です。ラインハルトと食べるドラゴンステーキを作るので、厨房を貸してほしいとお願いしました。


ムチちゃんの特製ステーキソースのレシピと引き換えに快く貸してくれました。教材として、従業員さんたちも一切れずつ分けてあげることにしました。ムチちゃんってば太っ腹ですね。まんまるムチムチボディに恥じぬ振る舞いです。


調理台の上に立ち、ムチテツおじさんが作ってくれたすごい包丁でブロック肉を切り分けます。ムチテツおじさんは名工と呼ばれるすごい鍛冶です。だからこの包丁はすごい業物なのです。筋を切り、下味をつけ、形を整えたら火を通します。


並行してソースづくりです。亜竜の肉は素晴らしい風味を持っています。最高の素材なので塩で食べるという選択をしがちですが、脂をつかったソースも絶品です。このソース、ふつうのお肉に使っても一つ上の味になります。あまったらオーナーさんにあげましょう。


そうこうしているうちに出来上がりです。テーブルへもっていきます。


「いただきますムチ」


「いただきます」


テーブルの上には会心の作品が存在感を放っています。官能的な肉の香りが鼻をくすぐります。


ラインハルトが対面に座って食事をはじめました。ラインハルトは見事な手つきでステーキを切り分けます。絵になるとはこのことですね。おいしそうに食べています。無表情を装っていますが、付き合いの長いムチちゃんにはお見通しです。


「――うまいな」


「どういたしましてムチ。素材がいいムチよ」


「謙遜はよせ。良い素材というものは扱う者に相応の実力を要求するものだ。亜竜の肉をこれだけ仕上げられるのだ。この腕なら特級も夢ではないぞ」


「そんな……特級料理人だなんて恐れ多いムチ。ムチちゃん、まだまだ師匠のムチコック先生には遠く及ばないムチよ」


「いきなり頂点と比べてどうする。一歩ずつ積み上げていけ。上ばかり見ていると、足元の石でつまずくぞ」


「……それもそうムチね。ムチちゃんがんばるムチ!」


「ははは、その意気だ」


その夜はムチちゃんはラインハルトと近況報告をしたり、色々と話しました。久々に会った友人との語らいは楽しかったです。





翌日、ムチちゃんはいつものように薬草を納品するためにギルドへ向かいました。今日もいい感じの薬草さんをいっぱい持っていきます。受付嬢♂さんにもいっぱいほめてもらいました。ムチちゃんの冒険者ライフは順風満帆です。


午後からは街のおつかい依頼です。魔物との戦いでケガをした冒険者さんのための買い物代行や家事代行――このあたりがムチちゃんによく振られる依頼です。他にも鍛冶・調薬・調理などのヘルプもありますね。とっても評判がいいんですよ。


ばっちり仕事をこなしたのでギルドに報告です。夕暮れ時ともなると、仕事を終えた冒険者でごった返しです。ここ最近の蒸し暑さもあって、あんまり長居したくないですね。


そんなことを考えていると、スイングドアのばたん、という音がしました。ムチちゃんがよく家事代行でお邪魔していたおうちのジョンくんですね。どうしたんでしょう?


「おとうさんが……おとうさんの容体がいよいよ悪くなって……薬草の依頼を……」


「病気に効く薬草の調達依頼ね。依頼料はいくら出せる?」


「家じゅうのお金をかき集めてきたけど……」


ジョンくんは袋に入っていたお金をテーブルに出しました。薄汚れた銀貨や銅貨がたくさんあります。がんばって貯めたのでしょう。


「普通の薬草なら大丈夫そうね。それで、どんな薬草が必要なの?」


受付嬢♂さんが落ち着かせるようにして聞きました。


「お医者様が言うには【万年月光草】っていう名前の薬草なんだけど……」


万年月光草! 大霊薬の材料にもなるとんでもない霊草じゃないですか。これが必要になる病気で可能性があるとすれば……。


「ジョンくん、お父さん、最近黒いアザが全身にできたりしなかったムチか?」


「ムチちゃん? うん。病状が悪化しはじめた2週間ほど前から、全身にうっすらと浮き出てたよ」


確定です。呪いに冒されたように苦しんで死んでいく【呪怨病】に間違いありません。瘴気を吸いすぎることでまれに発病する難病ですが、辺境の森のさらに奥地にでも行ったのでしょうか……とにかく時間がありません。


「万年月光草ともなると上級、場合によっては特級の依頼になります。悪いけど、この金額で依頼を受ける冒険者はいないわ」


「そんな……」


みんな黙ってしまいました。でもムチちゃんは黙りません。


「いるさっ、ここにひとりな!」


おっと、いつものムチ言葉を忘れてしまいました。興奮しすぎましたね。


「ムチちゃん……気持ちはわかるけど、これはいつもの薬草採取とは違うのよ?」


「ご忠告ありがとうございますムチ。でも、ムチちゃんは薬草採取と調薬のプロですムチ。すごいプロであるムチちゃんは、万年月光草の心当たりだってありますムチ。それに、『どうにもならないことを、どうにかするのが一流の冒険者だ』って言いますムチ。誰の言葉かはご存じムチよね?」


「グランドマスターの言葉ね。でも、その心当たりにはどうやって行くの? ムチちゃんは私どころかスライムより弱いでしょう? 友達の力になりたいのはわかるけど、死ぬとわかって死地に赴くのは馬鹿のすることよ」


ムチちゃんは弱いです。スライムにも勝てません。そしてムチちゃんの心当たりの場所には強い魔物がうろついています。だから、ムチちゃん一人ではどうしようもありません。死にに行くだけなら馬鹿そのものです。でも、ムチちゃんは……


「たしかに馬鹿だな、対策もなしに死地に向かうのは」


「ラインハルト!」


そこには剣聖と呼ばれている偉丈夫が立っていました。馬鹿とはなんですか!


「今日ばかりはそんな馬鹿がもう一人いるぞ。組んで冒険をするのは久しぶりだな」


やっぱりラインハルトはムチちゃんのお友達でした!


ムチちゃん、高速手のひら返しです。





翌朝、ムチちゃんとラインハルトは旅支度を済ませ、大急ぎで森の奥にある薬草の群生地へと向かいます。


「ムチちゃん、その霊草の群生地まではどのぐらいあるんだ?」


「ムチちゃんが歩いてひと月、全力で転がって3日ムチね。ラインハルトの足なら2日ムチ。タイムリミットにはじゅうぶん間に合うムチ」


「そうか。しかし、相変わらず歩くと転がるの差がひどいな。その手足では仕方がないか」


「ムチちゃんは転がったら早いんだからいいムチ! 出発ムチよ!!」


「ははは、そうだな」


ラインハルトがムチちゃんをむんずと掴みました。そしてそのまま頭の上に乗せます。


「舌を噛むなよ、ムチちゃん」


ラインハルトが腕を組んで走り始めました。景色がものすごい勢いで流れていきます。


ラインハルトの走り方は少々特殊です。まず、上半身は一切揺れません。普段は腕を組んでおり、必要に応じて剣を抜きます。それに対して下半身はものすごい勢いで動いています。ただ、リズムは一定で、加減速も自由自在です。優れた武術家が歩行でそれを行うのは聞いていますが、走りで実現するのはさらに難度が高いはずです。


瘴気が濃くなってきました。


これまではラインハルトの覇気に圧されて鳴りを潜めていた魔物ですが、ここからはそうもいかないようです。特級寄りの上級がいる領域です。魔狼の上位種が群れて襲ってきました。


「ムチちゃん、収納を頼む」


「よしきたムチ! マージムチ流生活魔法【せいとん上手】ムチ!」


ムチちゃんはお得意の生活魔法を起動します。【せいとん上手】はマージムチ先生が作り上げた特級位階の生活魔法です。神のもたらす奇跡の一歩手前の位階ですね。


生活魔法に位階があるのかって? それがあるんですよ。生活魔法以外の才能が一切なかったマージムチ先生が、おのれの人生を費やしてオリジナルの生活魔法を編み出したんです。すごいですね。マージムチ先生は生活魔法しか使えないのに、あらゆる魔法使いの頂点に立っているお方なんです。


この魔法は単純な収納と違って色々便利な収納魔法なんです。なんと自動取り込みに自動解体機能が付いています。はっきり言って、ものすごい速度で魔物を倒し続けているラインハルトについていくには、これぐらいやらないと無理なんです。


しゅぽんしゅぽんと素材もとい死体を吸い込んでいきます。ここらの魔物は特級寄りの上級なので、かなりの売値になりますよ。


「相変わらず便利な生活魔法だ。少しペースを上げるぞ!」


ラインハルトが二刀の構えをとりました。ラインハルトの全力です。


こちらの事情も知らずに魔物がどんどんやってきます。狼だけでなく、熊や豚鬼の上位種もです。大げさな表現ですが、それこそ山のようです。ムチちゃんが生活魔法を発動しながら現状を認識しているうちに、どんどん魔物が倒されていきます。それでも――


「囲まれるムチ! 突破できるムチか?」


「問題ない」


ラインハルトが天高く飛び上がりました。両手を交差させてタメを作ります。


「――嵐」


無数の斬撃が地上に飛び、魔物を打ち倒します。


ラインハルトはこの大陸に存在する剣技のほとんどを修めています。これが剣聖と呼ばれる所以ですね。今放った【嵐】という技はムチムチ族の大英傑【ムチ太郎】様の技で、一瞬のタメの後に無数の斬撃を放ち複数に対処する技です。ムチ太郎様は"剣の頂"とも"斬撃の体現者"とも言われる最強の剣士なんですよ。


ラインハルトはムチ太郎様からこの技を直接教わってはいないけど、直弟子の一人である【キシムチ】さんの【いっぱい斬り】からヒントを得て嵐を体得したそうです。キシムチさんもムチムチ族で、騎士になる夢をクロスガルドという国で叶えた立派なお方です。キシムチさんは防御と技術の落とし込みが得意で、誰も体得できなかったムチ太郎様の技を、劣化版とはいえ体得可能な技術に落とし込んだ功績でも知られています。


「その技、キシムチさんから教わったんだから、いっぱい斬りじゃないムチか?」


「格好悪いから却下だ。それに、磨き続けた今の技は嵐のほうに近いぞ」


「そうムチか……剣聖なのに技の名前を選り好みするムチか……」


「剣聖だからだ。名は重要だぞ。優れた名付けはイメージを明確にする。明確なイメージは正確な動作の助けとなる。正確な動作は優れた技の助けとなるからな」


「なるほどムチ。収納終わったムチよ。おかわりが来る前にとっとと進むムチ!」


ムチちゃんはお話をしながら術式を8並列で運用していました。大回転です。正直カンベンしてほしいです。


ラインハルトは剣についた血を払い、鞘に納めると、再び目的地まで走りだしました。





ラインハルトが走り続けて3時間、休むのにちょうどよい水場にたどり着きました。日が暮れはじめ、これ以上進むのは危険です。ここで夜を明かしてもじゅうぶん間に合いますからね。


森の奥深くですが、魔物の気配はありません。さっきの戦いで好戦的な魔物はみな倒されたのでしょう。きれいな泉があります。透明度の高い水です。毒検知の生活魔法で検査したところ、煮沸すれば飲めるようです。背の高い木々が生い茂り、日の光もあまり差し込みません。虫たちが鳴いており、夜が訪れはじめました。野営の準備をしないとですね。


「ラインハルト、ムチちゃんは野営の準備をするから、念のため周囲の警戒を頼むムチ」


「心得た」


ムチちゃんは【ムチ袋】から【まほうのおうち】を取り出しました。【ムチ袋】はムチムチ族脅威のメカニズムで作られた魔法の袋です。時間停止と空間拡張の付与が施されている逸品なんです。そして取り出した【まほうのおうち】は文字通り魔法のお家です。空間拡張されているので数人なら快適に暮らせます。そしてバス・トイレ・キッチン付きです。水は魔力による水生成か、近くの水源をくみ取って利用することができます。ただし、汚水はタンクに貯まっていくので、機会を見て処理しなければいけません。


今回は水源があるので、それを利用します。まほうのおうちから給水用の管を泉に入れて、準備完了です。最初にお風呂の準備です。

まほうのおうちのお風呂は結構広いです。一人なら大男でも手足をしっかり伸ばすことができます。ムチちゃんはお風呂をごしごし洗います。きれいになったら水で流します。そしてお湯張りです。火の番をする余裕がないので、今回はムチちゃんの魔力で湯沸かしします。ちょうどよい時間になるよう砂時計をセットします。


おつぎはお夕飯の準備です。キッチンに移動します。キッチンは石造りで、かまども2つあります。なんとパンが焼ける窯までついています。レイアウトも余裕のあるつくりになっており、オムレツ用のフライパンやいろんな種類の調理器具が並んでいます。料理人の端くれとしても満足です。


お献立は魔狼の香草焼きと干しアワビを戻したスープをにしました。小鉢も2種類ほど用意します。魔狼はさっき倒したての新鮮さです。


魔狼の肉はクセが強いので下処理が重要になります。そのための香草ですね。ムチちゃんのストックにあるものを適当に選びます。ちょっとピリッとした味が欲しいので山椒を使います。山椒の実を砕いて、特製調味液にお肉とともに入れます。新鮮なうちに処理してしまいたいですからね。内臓も処理して副菜にしましょう。


並行してスープの準備をします。こちらは干しアワビを戻しながらダシをとり、塩で味を調えます。ラインハルトに会うのも久しぶりだから、ムチちゃん張り切っちゃいました。あとは火の番をしっかりとします。ぐつぐつ煮立たちすぎないようにですね。


こうしてムチムチと料理をしていきます。





「ごはんができたムチよ。【簡易結界】を張るから、いっしょに食べるムチ」


【簡易結界】は大錬金術師のムチケミー先生とムチちゃんが共同制作したマジックアイテムです。魔物を一切寄せ付けない強力な魔よけの効果があります。従来の結界装置は高価な触媒や聖別された素材を使うものでした。性能はいいのですが、当然お高いです。下級の冒険者には手が出ません。


ムチちゃんも下級冒険者の端くれとして、このお高い結界問題を何とかしたいと思っていました。錬金術師のムチケミー先生に相談したところ、ムチちゃんの得意な廃物利用で何とかなりそうということがわかりました。そこから先は地獄の試行錯誤でした。安い素材は星の数ほどあるのですが、それらの特性を片っ端から調べたのです。そしてよさげな素材を組み合わせて、またまた試行錯誤です。こうして完成したのが簡易結界です。今では下級冒険者の友とまで呼ばれているんですよ。


「相変わらず簡易結界を愛用しているようだな。副業もあわせれば相当稼いでいるくせに、変なところで節約する」


「簡易結界は駆け出し冒険者の友達ムチ! コスパがいいので気軽に使えるムチ。短時間の安全確保のならこいつが一番ムチ!」


「そうだな、一応周辺の気配は察知できるよう気を巡らせてはいるが、安全策は多いほうがいいからな。よし、食事にしようか」


「かしこまりムチ!」


ムチちゃんは簡易結界を起動させ、ラインハルトとともにまほうのおうちのダイニングルームへ向かいました。さあ、楽しい食事の時間です。


「いただきます」


「いただきますムチ」


一枚板のテーブルの上には香草の香り立つ魔狼のお肉と、これまた潮の香りがするアワビのスープ、それに色とりどりの小鉢が並んでいます。薄いピンクのテーブルクロスが食材の彩を際立てています。アツアツの湯気とおいしそう匂いの多重攻撃にムチちゃんはやられてしまいそうです。我ながらいい出来に仕上がりました。


ラインハルトは相変わらず上品に食べています。ムチちゃんが愛用しているウサギさんの食器を使っているくせに、妙に様になっています。美形は得ですね。


「ムチちゃんと冒険をしていると休憩のレベルが違うな。いいか、普通はこうじゃないからな。上級や特級の一部はサポートメンバーに調理してもらうこともあるが、せいぜい保存食にひと手間加えるぐらいだぞ。椅子なんてものもない。地べたに直接腰かけるか、専用の布を敷くぐらいだ」


「ムチハハハ、みんな修行が足りないムチな。サポーターならサポート対象に最高の働きをしてもらうための努力は惜しまないものムチ。この後は風呂ムチ。先に入っていいムチよ。ムチちゃんはその間後片付けをしているムチ。風呂が終わったらムチちゃんがマッサージしてあげるムチ。その後はふかふかのベッドで交代で眠るムチ。ムチちゃんは武器のメンテをしてから寝るムチ」


「至れり尽くせりだな。冒険中だというのを忘れそうだ。それにしても旨いな、特にこの魔狼の香草焼きは格別だ」


「ラインハルトが好きな調味液に漬けたムチよ。『料理人にとって何よりの報酬は食べた人の笑顔ムチ』――ムチコック先生のお言葉ムチ。長い付き合いなんだから、好みの味付けぐらい察しが付くムチ」


「料理人としては一流だな。その技量があれば、どこの国にでも召し抱えてもらえるぞ」


ラインハルトがスープを飲みました。音も立てない完ぺきな所作です。特級冒険者ともなると高貴な方に招かれることも多いですからね。実はギルドでは特級冒険者向けのマナー講習もあるんですよ。


「ダメむちよ! ムチちゃんは冒険者ムチ。料理は余技にすぎないムチ。今は底辺でも、目指すは特級冒険者ムチ!」


「そうだったな。ムチちゃんは冒険者だったな。俺の命数が尽きるまでに特級まで来いよ」


「その時は序列でも上に立ってやるムチ。覚悟するムチよ!」





翌朝になりました。木漏れ日がまぶしい気持ち良い天気です。森の澄んだ空気がおいしいです。


「ムチちゃん、起きていたか。居眠りでもしていないか心配していたぞ」


「抜かせムチ。ムチちゃんだって交代の睡眠ぐらいできるムチ。夜がきたらコテンと寝て、朝まで起きないムチちゃんはとっくに卒業したムチ!」


「さて、目的地へ急ぐぞ。病の治療だ。早ければ早いほどいいからな」


ラインハルトがムチちゃんを頭の上に乗せ、腕を組んで走りだしました。


ほどなくして目的地に着きました。森の奥深くにある万年月光草の群生地です。ここだけは瘴気の影響もなく、清らかな空気があふれています。


「森の奥深くにこんな場所があったのか……」


「ムチちゃんが風船でふわふわしながら【鷹の目】を使って発見したムチ。辺境の薬草はばっちりおさえてあるムチ!」


【鷹の目】は遠目スキルの一種です。高所から見下ろす際にボーナスが付くんですよ。ムチちゃんは風船でふわふわしているのでぴったりのスキルです。


「鷹の目は高所でないと使いづらいスキルだが、ムチちゃんの場合は風船があるからな」


「ムチフフフ……必要なぶんを採集するので、念のための警戒を頼むムチ。万年月光草は採取方法が難しいから、ムチちゃんクラスでないとダメむちからね」


「心得た」


万年月光草は人の手で触ると枯れてしまいます。そのため、無属性の魔力を手に纏わせて、直接触らずに採取する必要があります。また、抜いたとたんに劣化するため、特別な薬液に漬けて保存する必要があります。とにかく面倒くさいやつなんですよ。


ムチちゃんは精妙な手つきで処理していきます。あっという間に処理完了です。ラインハルトと一緒に帰ります。





「ただいまムチ! 受付嬢♂さん、調薬室を使わせてほしいムチ!」


街に戻ってきたムチちゃんは風船でふわふわしないで、大急ぎで転がりました。


「ム、ムチちゃん、早かったわね。準備はできているわ」


「ありがとうムチ。行ってきますムチ!」


ムチちゃんは全力で調薬室へと向かいました。そして入り口で体を清め、マスクとエプロンをして調薬開始です。呪怨病の治療薬を作るのには卓越した技術が必要です。ムチちゃんでもギリギリなんですよ。ほっぺをムチッと叩いて気合を入れます。調薬開始です!


必要なものは万年月光草に10種類の霊草、そして聖別された清らかな水です。霊草はムチちゃんのとっておきの蓄えから出します。お水はギルドのものを使わせてもらいます。


魔力を纏わせた薬研(やげん)でごりごり混ぜ合わせます。このときの分量比はとても正確でなければいけません。ムチケミー先生のもとで養った勘の使いどころです。


一時間、いや、二時間ほどでしょうか。緻密な作業も終わりを迎えました。治療薬の完成です!


「ジョンくん、待たせたムチな。治療薬が完成したムチよ」


「本当!? ムチちゃん」


「ほんとのほんとムチ。この治療薬を飲めばバッチリ治るムチ!」


「ありがとう! さっそく飲ませてくる」


ジョンくんはムチちゃんから治療薬を受け取ると、父親のもとに駆け出していきました。


「ご父君の病、治るといいな」


「治るムチよ。ムチちゃん印の治療薬はいくつも実績のあるすごいやつムチ。きっと治るムチ!」


ラインハルトと話をしていると、ジョンくんが戻ってきました。表情から喜んでいるのがわかります。治療薬が効いたのでしょう。


「ムチちゃん、ありがとう。薬を飲ませたら、父さんの体からアザが消えて行って、そのまま眠ったんだ。いつもは苦しそうにしているのに、とても安らかな寝顔だったよ。ムチちゃん、本当にありがとう!」


「いいムチよ……困っている人を助けるのは冒険者として当然のことムチ!」


アザが消えていったのならもう安心です。数日で元気になるでしょう。


「それでムチちゃん……報酬の件なんだけど……」


「心配しなくても、最初の報酬でいいムチよ」


「でも、いくらなんでも少なすぎる……」


「足りないと思ったら、いつでもいいから同じように困った人を助けてあげてほしいムチ」


「少年は幸運だったのだ。出来ることでいい。その幸運のひとかけらでも他人に分け与えられる人間になってくれ」


「それではムチちゃん達はクールに去るムチ」


ムチちゃんとラインハルトはギルドから立ち去りました。ムチちゃんは次の目的地へ向かいます。


後日、人づてにジョンくんたちの顛末を聞きました。ジョンくんのお父さんは、息子の誕生日プレゼントを買ってあげるために森の奥深くへと進み、瘴気だまりで瘴気を吸いすぎたそうです。ジョンくんも自分のために無茶をしたということで、あんまり怒ることができなかったそうです。お父さんは無事に完治し、今ではまた元気に働いているそうです。





――ギルマス視点――



俺は辺境で数少ない酒家でグラスを傾けている。開拓がはじまってようやくの酒家だ。男たちの貴重な娯楽ってやつだ。


ムチちゃんの置き土産、こいつだ。あのムチムチした子供が大変なものを残していきやがった。


ギルドの業務や街の運営の課題と解決案、調理や調薬の注釈付きのレシピ、とどめに辺境の森の資源分布図と来たもんだ。分布図にいたっては霊草まで書いてある。いったいどうやって調べたんだ?


「ムチちゃんは鷹の目持ちだ。風船で空高くにあがって調べたのだろう」


「……ラインハルトか」


「相席、よろしいか? 久しぶりに友に会えた喜びを誰かと分かち合いたくてな」


特級冒険者もこんな安い店に来るんだな。他に選択肢もないが。


「構わねえぜ。剣聖様と呑めるなんて滅多にねえからな。ココにはまだ安酒しかねえが、構わねえよな?」


「構わんよ。私とて駆け出しの頃はある。今日はそれを思い出しながら呑むさ」


駆け出し、ねえ。アンタはデビューから大層なものだった気がするがな。それにしても、剣聖様にもわかるぐらい動揺していたのか。


「それじゃあ、この辺境の未来に乾杯といこうか!」


俺とラインハルトはグラスを突き合わせ、注がれている酒を飲み干した。


それからは安い肴をつまみながら、これまた安酒をちびちびと呑んだ。値段の割にはいい酒だ。金貨を対価に高級酒を呑んでも、これの2倍の喜びは得られまい。10年、いや、5年だ。5年もすればもっといい酒が並ぶようになる。あのムチムチした置き土産でそのめども立った。


「聞かぬのだな、ムチちゃんのことを」


「聞いたら教えてくれるのかい?」


「ああ、ある程度は話してよいと許可はもらっている」


「それなら遠慮なしでいかせてもらう。いったいムチちゃんは何者なんだ? あんなに有能な冒険者なんて特級ぐらいしか知らんし、あんなに弱い冒険者なんて底辺にもいねえ。とにかくありようがチグハグ――一貫しているのはムチムチしているところだけだ」


俺はムチちゃんと会ってからの疑問を吐き出していた。


「大きな声では言えんが、ムチちゃんは番外のギルドナイトだ。正規にするには戦闘力が足りな過ぎてな。我々のような武辺者では手の届かないところをケアしてもらっている。ちなみに本人はそのことを知らん。『最近グランドマスターのおっさんから面倒な指名依頼をもらうムチ』というのが本人の弁だ」


「ちなみに今回の依頼というのは……」


「察しの通り、辺境のテコ入れだ。辺境の状況についてはグランドマスターも心を痛めていてな。中央の煩わしい問題が邪魔だったが、ようやく虎の子のムチちゃんを派遣できたというわけだ」


グランドマスターもオレたちのことを考えていてくれたのか。ムチちゃんの前で愚痴ったのはマズかったな。


心のモヤモヤが晴れたところで次の酒を頼んだ。今日はいい日だ。とびきりキツい火酒をあおる。思わず息がもれる。


「上機嫌だな」


「上が信じられるってのは組織にいる人間にとって何よりだからな。ところで、友というのはムチちゃんのことか?」


「ああ、駆け出しの時に知り合ってな。それから定期的に武器の手入れなどを頼んでいる」


「アンタの得物といったら名工ムチテツが鍛えた業物じゃねえか! ムチちゃんのやつ、鍛冶もそこまでやるのか……」


「名工ムチテツの直弟子だぞ。鍛冶をやるムチムチ族はだいたいそうらしいが」


「とんでもねえな」


ムチムチ族は妖精族のヒトに分類される。あんなにムチムチした形をしていても、一応ヒトだ。穏やかな性格で、お人よし揃いだ。いずれもすさまじい知恵者で、生産系に特化した能力を持っていると聞く。


「ムチムチ族は基本的に聖地ムチムチランドで暮らしている。だが、ムチちゃんは外の世界で見聞を広めたいという変わり者でな、ムチムチ王がグランドマスターに人材として紹介したのだ」


「ムチムチ族の秘密兵器ってところかい」


「どちらかというと"卵"だな」


「あれで"卵"かい、底が知れねえな」


その夜は久々にいい酒だった。





ふわふわ~

ふわふわ~


ムチちゃんは魔法の風船でふわふわ浮かんでいます。次の目的地に向かってふわふわ移動します。


ふわふわ~

ふわふわ~


お空の上でムチちゃん宛ての手紙を見ます。またグラマスからの指名依頼でした。底辺冒険者のムチちゃんまで頼るなんて、中央はよっぽど忙しいみたいですね。


ふわふわ~

ふわふわ~


次の目的地ではどんなことが待っているのでしょうか。ムチちゃんは楽しみです。



(おしまい)

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