第3話 覇王の布石

 ラインハルトの命令を受けて、父ヘルマンの腹心である事務官アルフレッドは、急ぎ神殿の控室に駆けつけた。

 四十代半ばの彼は、元傭兵らしくがっしりした体格ながら、日々の煩雑な事務処理に追われ、その顔には疲労の色が濃く出ていた。


 アルフレッドは、床に倒れ込み、魔力の暴走を見せたばかりの十歳の若様が、なぜ自分を呼び出したのか、理解に苦しんでいた。

 しかし、ラインハルトの瞳を見た瞬間、彼の戸惑いは消え去った。


「アルフレッド、よく来てくれた。早速だが、ノイエンの財政と兵站について、虚飾のない真実を余に報告せよ」


 ラインハルトの口調は、十歳の少年が発するものではなかった。

 戦場で何千もの兵を率いた覇気と、国を動かす統率力が混ざり合った、絶対的な命令だった。


 アルフレッドは冷や汗を拭い、膝を突いた。


「若様……。お言葉ですが、私はまだ若様が生まれる以前から、ヘルマン様にお仕えしており、若様を見てまいりました。ですが、今の若様はまるで別人……」


「余が誰であろうと構わぬ。父上が戦場で血を流している間も、このノイエンは病に蝕まれている。その病名を告げよ」


 ラインハルトは冷酷に言い放った。


 アルフレッドは意を決し、懐から分厚い帳簿の写しを取り出した。


「はっ。病名とはすなわち、エアデ伯爵家の文官政治にございます」


 アルフレッドは、ノイエンの現状を包み隠さず報告した。


 ノイエンは東に交易港、西に肥沃な大地、北に魔の森から得られる貴重な魔物資源を抱え、発展の余地は十分にある。

 しかし近年の収入は激減していた。最大の原因は、伯爵家から派遣された上級文官たちが、領主である父ヘルマンの権限を無視し、勝手に過剰で非効率な徴税を行っている点にあった。


 例えば、伯爵家が関与しない独立した商人による交易に対して、高率の通過税や品目税を課し、ノイエンへの流入を妨げている。

 一方で、通過税や品目税を逃れようとする商人たちから賄賂を受け取っているという噂も絶えない。


 さらに、上級文官たちは、複雑な手続きや書類を故意に増やし、領主側の実務を滞らせ、自分たちの支配を強固にしていた。

 優秀な平民や、父ヘルマンに忠実な元傭兵を要職から意図的に遠ざけることで、伯爵家の影響力を維持していたのである。


 ラインハルト(信長)は、アルフレッドの報告を冷静に聞いていた。

彼の知略98が、膨大な帳簿の数字とアルフレッドの言葉の裏にある、「既得権益」と「搾取のシステム」を瞬時に解析した。


(なるほど。このノイエンは、父の武勇という「矛」を維持するための燃料庫として利用されているに過ぎない。伯爵家の文官は、その燃料を掠め取るハイエナか。このままでは、父は戦場で疲弊し、ノイエンは飢え死にする。まずは、この搾取構造を破壊しなければ)


「わかった。アルフレッド、貴殿はよく務めてくれた。この病は根が深い。だが、治療法は存在する」


 ラインハルトは立ち上がり、力を込め、アルフレッドに今後の極秘方針を伝えた。

 彼の言葉は、迷いなく、そして常識を打ち破るものであったため、アルフレッドは驚きを隠せなかった。


「まずは人材だ。伯爵家の無能な文官を排除するため、武勇や魔力はなくても、頭脳と実務能力に長けた平民の子弟を登用せよ」


 ラインハルトが命じたのは、平民の二男・三男を、兵站担当や下級文官として積極的に採用することだった。

 彼らは家を継ぐ義務がなく、金銭的野心と向上心に満ちている。


「アルフレッド、貴殿は彼らを率いて伯爵家派の文官の金の流れを調査させよ」


「金の流れ、でございますか?しかし、それは難しいのでは…」


「真偽などどうでもいい。文官が伯爵家に金を上納せず意図的に懐に入れているという流言を流せ。互いに疑心暗鬼となり、足を引っ張り合う間に、余たちは別の場所で着実に政策を実行する。彼らのエネルギーを互いに向けさせ、消耗させるのだ」


 アルフレッドは戦慄した。十歳の少年が、権謀術数を厭わぬ冷酷な策を口にしている。


「次に、交易だ。ノイエンは交易港であるにもかかわらず、関所が多すぎ、税が高すぎる。これは商売の妨げだ」


「はい。その通行税と市場税の多くが、伯爵家へ流れておりますゆえ……」


「ならば、その関所と税を撤廃するための、極秘の準備をはじめよ」


 ラインハルトが打ち出したのは、前世の信長が尾張で行った革新的な政策、「楽市楽座」に相当する、前例のない経済政策だった。


「この布告は、伯爵家への事実上の宣戦布告となる。今はまだ時期ではない。水面下で法的な準備と、税収が一時的に落ち込んだ際の代替財源の試算を行え。余が号令を下す瞬間まで、この策は絶対に秘匿せよ」


 アルフレッドは口をあんぐりと開けた。


「わ、若様!それは王国の常識を覆します!伯爵家が抱える商人たちが黙ってはおりません!」


「常識は破るためにある。アルフレッド、余が命じる。この策は必ず、ノイエンを蘇らせる。だが、実行の時期は余が決める」


「そして、その交易の利益を、伯爵家ではなく、直接領主邸に確保する。父上の名で男爵家直営の商会を立ち上げろ」


「直営で、ございますか?」


「そうだ。そして、その商会で、ノイエンの主要な交易品の輸送事業を開始する。伯爵家が牛耳る既存のルートを回避し、安全かつ低コストでの輸送を行うのだ。これにより、資金の直接確保と、兵站の安定供給を同時に達成する」


 アルフレッドは戦慄と同時に深い感動を覚えた。


(この少年こそ、時代を変える覇王だ。私はこの覇道に命を捧げよう)


 彼は深く頭を垂れ、胸に拳を当てて誓った。


「若様。このアルフレッド、命に代えても必ずや施策を成し遂げてみせます!」


 ラインハルトは冷徹な眼差しで彼を見下ろし、わずかに口元を歪めた。


「よい。余の覇道は始まったばかりだ。貴殿の忠誠、しかと受け取った」


 アルフレッドは胸の奥で熱いものを感じていた。


(この少年に従うことこそ、私の生涯の意味だ。父ヘルマンの武勇とは異なる、新しい覇道に私は賭ける)


 彼の背中は、疲労に覆われていたはずなのに、今は新たな使命に燃える炎を宿していた。




 翌日の夜。

 領主邸の奥まった部屋で、ラインハルトはクレメンス神官を迎えていた。

 彼女は緊張と期待を抱きながら、若き覇王の前に座した。


「クレメンス神官殿、ご足労感謝する。余は余の加護を隠すつもりはない。闇の力を持つことを、貴殿は知っているはずだ」


 クレメンスは息を呑み、そして静かに頷いた。


「はい……。ですが、私はあえて真実を伏せました。理由はただ一つ――あなたの力を守るためです」

(守るため――そう言ったが、真実は半ば利用するためでもあった。だが、この少年はその全てを見抜いている)


 ラインハルトは冷笑を浮かべた。

 その笑みは、相手の心を見透かし、支配する者だけが浮かべる余裕の笑みだった。


「守る? いや、利用するためだろう。だがそれでよい。余は利用されることを恐れぬ。利用するのは余の方だ」


 その瞬間、クレメンスは悟った。

 この少年は、ただの改革派の旗印ではない。彼自身が時代を呑み込み、支配する覇王なのだ。


(この少年は危険だ……だが、この危険こそが私の望む未来を切り開く。恐怖と興奮が同時に胸を満たす)


 ラインハルトは声を低め、威圧するように告げた。


「余の加護は【第六天魔王】。属性は闇。そしてその魔力量は、貴殿が知るいかなる聖職者をも凌駕する。この情報を、貴殿はなぜ『土属性、高位』と偽ったのか」


 クレメンスは息を呑んだ。ラインハルトが全てを知っていることは明らかであったが、彼女は落ち着きを取り戻すと、正直に答えた。


「ラインハルト様のおっしゃる通りです。正直に申し上げれば、その力は、聖光教会の教義と秩序にとって異端であり、保守派の貴族・聖職者にとっては討伐の口実となり得ます」


 彼女は続けた。


「私は教会の現状に憂いを感じております。群雄割拠で世は乱れ、魔物は増える一方。貴族や保守派の聖職者たちは自らの責務を忘れ、私利私欲に飲まれている」


「私は教会の改革派に属しております。保守派の貴族たちが教会の権威を利用し、民を苦しめる現状を、我々は打破したい。ラインハルト様の規格外の力は、そのための時代の転換点となり得るのです」


 クレメンスは身を乗り出した。


「我々は、ラインハルト様を裏切ることはありません。その代わり、私の秘密も教えましょう。私には世の人が忌み嫌う鑑定スキルがあります。教会のアーティファクトがなくてもそのものの加護や能力、スキルを見ることが可能です」


 彼女はお茶を一口含み、静かに続けた。


「……ラインハルト様には、我々改革派が教会内の権力構造を掌握するための剣となっていただきたい。我々からは、教会の情報網を通じた、王都や伯爵家の動向に関する極秘情報を常時提供します」


 ラインハルトは、クレメンスの野心を評価したが、その提案をそのまま受け入れるつもりはなかった。

 彼は、あくまで自分が主役でなければ気が済まない覇王である。


「なるほど。貴殿らは、余を『教会公認の闇の英雄』として利用したいわけか」ラインハルトは冷たい笑みを浮かべた。


「貴殿の申し出は受け入れよう。しかし、余の目的は教会ではない。このヴァルデニア王国全土を、そしていずれは天下を掌握することだ」


 ラインハルトは立ち上がり、クレメンスを見下ろした。


「貴殿は、余の情報網として機能せよ。貴殿の改革派という後ろ盾は、ノイエンという小さな城を抜けて、王国全土に影響力を広げる最高の道具になる。見返りに、余が貴殿らの派閥の後ろ盾となろう」


 ラインハルトは、クレメンスを「協力者」ではなく、「配下」として扱うことを明確にした。

 彼の言葉には、圧倒的な支配欲が込められていた。


 クレメンスは、その瞬間、ラインハルトがもはや彼女の派閥の「駒」ではなく、予測不可能な独立した勢力であることを悟った。

 しかし、彼の非凡な才能とカリスマは、彼女の野心を満たす上で不可欠だった。


(この覇王に従わねば、改革派の未来はない。私の命運も、この少年に賭けるしかない)


 彼女は深く一礼した。


「恐れ入ります。ラインハルト様。クレメンス、教会の情報すべてをもって、陛下の覇道を支えさせていただきます」


 ここに、アルフレッドという忠臣と、クレメンスという内通者が揃った。

 この密約は、ノイエンの小さな領地を超え、王国全土に波紋を広げる最初の一歩となった。

 覇王ラインハルトの覇道は、ノイエンの小さな領地から始まり、やがて王国全土を揺るがす嵐へと広がっていくのであった。




 数日後、療養と称して静養していたラインハルトは、領内の主要な家臣と領民代表を領主邸に集めた。


 壇上に立った彼は、土属性高位の魔力開花を正式に発表した。

 母エリーゼは感激のあまり涙ぐみ、ヴァルター子爵令息は内心の不満を押し殺して拍手を送るしかなかった。


 ラインハルトは、魔力開花という権威を背景に、続く声明で本題に入った。


「父上ヘルマンは、常に最前線で命を懸けている。しかし、父上の負担は限界だ。よって、このラインハルトは、土属性高位の才能をもって、父上の負担を減らすことを誓う」


 彼は、領主代理としての権限を行使することを宣言した。


「これより、ノイエンの領地経営は新しい段階に入る。父上の武勇を支えるため、平民の子弟を含む領内の優秀な人材を文官として緊急登用し、新体制を発足させる」


 ラインハルトは、壇上に並べられた新たな文官たちの名簿を読み上げた。

 そこには、アルフレッドが選び抜き、クレメンスが鑑定した、領内出身の平民の二男・三男の名前が多数含まれていた。


 壇上を見上げた領民代表ニケは、信じられぬという顔をした。


(平民の子弟が文官に……夢のようだ。だが、これが現実になるなら、我らの未来は変わる)


 会場の片隅で、農民の父親が涙を流していた。


「息子が文官に……夢ではないのか」


 その声は周囲の人々の心を震わせ、ざわめきはやがて希望のどよめきへと変わっていった。


 若者たちは目を輝かせ、年長者たちは戸惑いながらも希望を抱いた。


「若様は我らを信じてくださった……」


 その熱気は、ノイエンの空気をわずかに揺さぶり始めていた。


 この発表は、「父を助けるための人材強化」という大義名分で行われたため、ヴァルターは公の場で反対できなかった。

 しかし、ラインハルトが自分の「功績」を基に、自分に忠実な新勢力を作り始めたことに、激しい危機感を覚えた。


(あの子は、余に感謝を述べた舌の根も乾かぬうちに、余の支配下にない人間を登用し、組織を作り始めた!これは余への挑戦ではない。伯爵家への挑戦だ!)


 ヴァルターは、ラインハルトの行動が、合法的な手続きを装いながら、巧妙に自分の支配構造を蝕み始めていることを悟った。

 彼は、憎悪を噛み締めながら、この新体制の発足を伯爵家へ報告する準備を始めた。




 数日後、エアデ領都に届いた報告書を前に、伯爵家の会議室は怒号に包まれた。


「平民を文官に?秩序の崩壊だ!」


「領主代理の権限を超えている!」


 だが、一部の若手文官は、密かに興味を抱いていた。


(効率化には繋がるかもしれぬ……だが、危険だ)


 伯爵家内部にも、亀裂が走り始めていた。


 同時に、王都の改革派聖職者たちはクレメンスからの密報によりノイエンの動きを知った。


「闇属性の加護を持つ少年が、平民を登用し、交易改革を企図している」


 その情報は瞬く間に広がり、彼らは密かに期待を膨らませた。


 一方、保守派の司祭たちは激しく警戒し、ノイエンに監察官を派遣する準備を始めた。


 ラインハルトは領主邸の自室の窓から、新しく登用された文官たちが、アルフレッドのもとで働き始めている光景を見下ろしていた。


「ふん。これで第一歩は踏み出した。伯爵家への宣戦布告は、急がずとも良い。まずは足場を固める。アルフレッド、クレメンス、そして新しく加わった者たち。貴様らを使って、このノイエンを、余の天下布武のための揺るぎない城塞に変えてみせよう」


 彼は地図を広げ、静かに呟いた。


「まずは足場を固める。次に伯爵家の影響を削ぐ。そして王都をも呑み込む。余の覇道は、まだ始まりに過ぎぬ」


 その瞳には、天下布武の旗が翻る幻影が宿っていた。


 だが王都では、すでに保守派の司祭たちが動き始めていた。

 ノイエンに監察官を送り込み、覇王の芽を摘み取ろうとしていたのである。

 その足音は、確実にノイエンへと近づいていた。

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