第2話 覇王の覚醒

 その瞬間、ラインハルトの頭蓋を内側から叩き割るような激しい痛みが襲った。 『真実の水晶』に触れた瞬間、嵐のような記憶が奔流となり、彼の十年の人生を一瞬で上書きしていく。


 炎に包まれた寺院。黒焦げの屍。鎧武者たちの絶叫。 桶狭間の奇襲、長篠の鉄砲三段撃ち、安土城の豪華絢爛な天守。


 ――余は、織田信長であった。


 苛烈な戦場の記憶が次々と蘇る。


 桶狭間では、豪雨に煙る山道を駆け抜ける兵士たちの恐怖が蘇る。 「やれ!今が天運を掴むときぞ!」と叫ぶ声と共に、今川義元の本陣を奇襲した瞬間の血の匂い。


 長篠では、鉄砲三千丁の轟音が大地を震わせ、武田騎馬軍の突撃が土煙に消えていく。 「平民に武器を持たせよ。数こそ力だ!」冷酷な命令が飛び、農民兵が鉄砲を構える姿が脳裏に焼き付く。


 安土城では、金箔の柱が輝き、天下を見下ろす天守からの景色が広がる。 「余の敵は、仏ではない。余の敵は、人である。」鋭い眼差しで天を睨み、天下布武の旗が翻る幻影。


 光と闇、策略と暴力、破壊と創造。 その人生はあまりにも苛烈で、あまりにも短かった。 そして最後は裏切りに遭い、炎の中で笑いながら命を絶った。


「……で、あるか」


 意識が統合された瞬間、十歳の少年の脳内で覇王の魂が覚醒した。


【ラインハルト・フォン・オーディン(覚醒後)】


・統率:95/100

・武勇:35/70

・知略:98/100

・内政:90/98

・魅力:85/95

・加護:

【第六天魔王】

・闇属性の魔力を自在に操り、敵対者に恐怖を与える。

・覇王としての統率力を増幅し、戦場での士気を圧倒的に高める。

・スキル:

【覇道統率】

・軍勢の士気を常時上昇させ、混乱を抑制する。

【魔王の威光】

・敵対者に恐怖を与え、交渉や戦闘で優位に立つ。




 まるで天が覇王を再定義したかのように、数値が脳裏に浮かび上がる。

(この力、この知略……余が歩む覇道は、ノイエンに留まらぬ。やがて王国を揺るがし、大陸をも震撼させるだろう)


 ラインハルトの青い瞳は冷酷な光を帯び、周囲の全てを価値判断の対象として分析し始めた。




 神殿内は異様な静寂に包まれていた。

 参列した貴族たちは互いに顔を見合わせ、水晶の亀裂を不吉の兆しと感じていた。


 母エリーゼは両手を胸に当て、必死に祈りを捧げていた。

 (どうか、この子を守ってください……。この子が未来を切り開けるように……)  

 その祈りは、母としての愛と恐怖が入り混じった切実な叫びだった。


 だがクレメンス神官の視界には、信じがたい光景が広がっていた。

 測定針は天井を突き破るかのように振り切れ、属性を示す光は漆黒の闇と禍々しい紫光を脈動させていた。

 闇属性――魔物や教会の敵と結び付けられる最悪の烙印。しかもその魔力量は王都の枢機卿を凌駕していた。


 ――【第六天魔王】の加護が発現しました。


(闇か……余に相応しい。だが公になれば討伐対象だ。さてどうする)


 ラインハルトは即座に判断し、覚醒した魔力を水晶へ叩きつけた。


 ガキンッ!


 水晶の表面に亀裂が走り、光が収束する。異常な反応は止まった。

 その亀裂は、聖光教会の象徴に小さな亀裂をも刻んだ。


 ラインハルトは倒れ込む演技をし、クレメンスは即座に虚偽の結果を宣言した。


「ラインハルト様の魔力は――土属性、高位です!」


(もし闇属性を公表すれば、この場で討伐命令が下るだろう。だが私は選んだ。この少年の力を改革派の未来に繋げるために。危険でも、ここで隠すしかない)


 参列者は安堵し、母エリーゼは涙を浮かべた。

 ヴァルターは凡庸を期待していたが、結果は優秀。彼の顔は歪んだ。


「だが……神官殿!」ヴァルターが声を荒げた。「水晶に亀裂が走ったではないか!これは儀式の失敗ではないのか?」


 参列者たちは一斉にざわめき、誰もが顔を見合わせた。

「水晶が割れるなど聞いたことがない……」

「これは凶兆ではないか?」

 囁きは恐怖と好奇心に満ち、神殿の空気は一瞬にして不安の渦に飲み込まれた。


 老貴族の一人は震える声で「これは神罰ではないか」と呟き、若い騎士は剣の柄に手を伸ばした。

 だが誰も一歩を踏み出せず、ただ恐怖と好奇心に縛られたまま、少年の姿を凝視していた。


 その場に居合わせた者たちは、後に語った。

「十歳の少年の瞳に、未来の覇王を見た」と。

 その言葉は噂となり、ノイエンの街に広がっていった。



 クレメンスは一瞬だけ瞳を揺らしたが、すぐに毅然とした声で応じた。


「ご安心ください。水晶は想定外の魔力の奔流を受けたために表面に亀裂が入っただけです。儀式そのものは成功しています。むしろ、ラインハルト様の魔力量が常人を遥かに超えている証左なのです。」


 彼女は堂々とした態度で言い切り、参列者たちの動揺を抑え込んだ。


「この結果を疑うことは、聖光教会の権威そのものを疑うことになります。ドルンベルク子爵令息、あなたも理解していただけますね?」


 ヴァルターは言葉を詰まらせ、顔をさらに歪めた。彼の内心には苛立ちと屈辱が渦巻いていたが、教会の権威を正面から否定する勇気はなかった。


 ラインハルトはその様子を冷静に観察しながら、心の中でクレメンスを評価していた。


(見事だ。即座に虚偽を織り交ぜ、教会の権威を盾にしてヴァルターを封じたか。

若いながら胆力がある。余の闇を隠し通す度胸も、改革派としての野心も侮れぬ。――この女、使える)


(人は力だけでは従わぬ。恐怖と権威を操り、場を収める才覚こそ覇道に必要だ。

この女ならば、余の覇道を支える一角となり得る。駒ではなく、臣として迎え入れる価値がある)


(だが油断はならぬ。改革派の野心は時に覇道を阻む。

余が主導権を握り、彼女を利用するのだ。――余の覇道に従う覚悟を試す時が来る)



 彼の瞳には、すでにクレメンスを「駒」ではなく「臣」として迎え入れる可能性を見据えた冷徹な光が宿っていた。




 ラインハルトはゆっくりと目を開けた。

 最初に視界に入ったのは、涙に濡れた母エリーゼの顔だった。彼女は必死に息子の手を握りしめ、震える声で呼びかけていた。


「ラインハルト……!目を覚まして……!」


 その声に、彼は一瞬だけ十歳の子供としての自分を取り戻した。


「……母上、心配をおかけしました。私は大丈夫です」


 エリーゼは安堵の息を漏らし、彼の額にそっと手を当てた。


「あなたが無事でよかった……。この結果は、必ずあなたの未来を守るものになるわ」


 ラインハルトは母の瞳を見つめた。そこには、伯爵家から切り捨てられる恐怖と、息子への深い愛情が入り混じっていた。


(母上……。余はもう子供ではない。だが、この地を守るために、あなたの願いを必ず叶えてみせよう)


 そして彼は、母の手を静かに握り返した。

 その瞬間だけ、覇王の冷徹な光は消え、少年としての優しさが垣間見えた。


(母上……余は必ずこの地を守る。伯爵家の圧力も、教会の陰謀も、全て打ち砕いてみせよう。あなたの涙を、二度と流させはせぬ)


 次に、ヴァルターに向かって恭しく頭を下げた。


「この結果も、ひとえにヴァルター先生のご指導の賜物です」


 偽りの御礼。だが周囲には「功労者」として印象づけられ、ヴァルターは慢心した。 その瞬間、彼は自らが罠に嵌ったことに気づかない。


「ほ、褒めても何も出ませんぞ」


 口元には隠しきれない優越感が浮かんでいた。


 ラインハルトは告げた。


「父上が不在の今、私は領主代理として責任を負う。アルフレッドを呼べ」


 ヴァルターは狼狽した。アルフレッドは内政の要であり、彼が呼び出されれば監視役の立場が揺らぐ。


「権限は――」


「権限だと?」ラインハルトの声は氷のように冷たかった。


「父上は戦場で命を懸けている。その間に領地は財政危機だ。交易は滞り、上納金も遅れている。監視役であるあなたは何をしていた?」


 正確無比な状況分析。ヴァルターは顔を青ざめさせ、言葉を失った。


「行け。余に命令を二度言わせるな」


 十歳の少年の声ではなかった。それは覇王の声だった。


 ヴァルターは屈辱を押し殺し、アルフレッドを呼ぶために神殿を後にした。

 だがその背中には、怒りと恐怖が入り混じった影がまとわりついていた。


(くそ……!この小僧に命令されるとは。伯爵家の監視役である私が、まるで召使いのように扱われるとは!)


 彼の胸中には、長年抱いてきた「成り上がりへの軽蔑」と「名門貴族としての誇り」が激しくぶつかり合っていた。

 だが同時に、少年の冷徹な眼差しに射すくめられた恐怖も消えなかった。


(あの目……十歳の子供のものではない。まるで戦場で幾千の兵を操る覇王の目だ。もし本当にこの子が力を持つなら……私の立場は危うい)


 ヴァルターは歯を食いしばりながら歩を進めた。

 彼の心は、少年を潰したいという衝動と、逆らえば自らが切り捨てられるという恐怖の板挟みにあった。


 ヴァルターが去った後も、神殿に残った貴族たちの視線は少年に注がれていた。

 十歳の子供に過ぎぬはずの瞳に、彼らは冷徹な覇王の光を見た。

 誰もが言葉を失い、ただその存在感に圧倒されていた。


 その場に居合わせた者たちは、後に語った。

「十歳の少年の瞳に、未来の覇王を見た」と。

 その言葉は噂となり、ノイエンの街に広がっていった。




 控室に移ったラインハルトは椅子に腰を下ろした。

 母エリーゼは心配そうに彼の傍らに座り、震える手で彼の肩を支えていた。


「ラインハルト……本当に大丈夫なの?」


「母上、ご安心ください。私は無事です。ただ、少し休めば回復します。」


 彼は一瞬だけ柔らかな笑みを浮かべ、母の心を落ち着かせるように言葉を選んだ。

そして、声を低めて続けた。


「母上、お願いがあります。今は領主邸の侍従たちに私の容態を伝え、領内の者たちを安心させてください。ここから先は、私一人で話すべきことがあります。」


 エリーゼは戸惑いを見せたが、息子の真剣な眼差しに頷いた。


「……分かったわ。けれど、無理はしないでね。」


 彼女は侍従を伴って部屋を後にした。

 その背中を見送りながら、ラインハルトは深く息を吐いた。


(母上には聞かせられぬ話だ。これは覇王としての第一歩、政治の密談だ)


 廊下を歩きながら、エリーゼは胸に手を当てて祈り続けていた。


(どうか、この子の人生が血に染まらぬように……)


 その祈りは、母としての切なる願いだった。




 部屋が静まり返ったその時、クレメンス神官が入室した。

 彼女の瞳は、先ほどの儀式で見た闇の奔流の残滓を追い求めるように鋭く光っていた。


「ラインハルト様……先ほどの儀式、あの水晶の亀裂はただ事ではありません。ですが、私はあえて真実を伏せました。理由はお分かりでしょう?」


 彼女の声は低く、しかし確信に満ちていた。

 ラインハルトは冷ややかな笑みを浮かべる。


「余を駒にするつもりか。改革派の旗印として。」


 クレメンスは一瞬だけ息を呑んだが、すぐに微笑を返した。


「駒ではありません。時代を変える力です。保守派の司祭たちは、血統と形式に縛られ、民を顧みません。ですがあなたの力は、彼らを打ち砕くに足る。私はその未来を見たいのです。」


「王都では保守派が権力を握り、民は疲弊しています。改革派は力を求めています。

ラインハルト様、あなたの覇道はノイエンに留まらず、王国全土に広がるでしょう。

その時、私たちはあなたの力を必要とするのです。」


 ラインハルトは椅子から立ち上がり、クレメンスに歩み寄った。


「ならば余が主導する。茶店ではなく、領主邸で正式に会おう。余の招待としてだ。――余の覇道に加わる覚悟があるなら、そこで証を立てよ。」


 クレメンスは深く一礼した。


「承知いたしました。ラインハルト様の招きに応じ、必ずや証を示しましょう。」


(この少年……いや、この覇王に賭けるしかない。私の未来も、改革派の未来も、この瞳に宿る炎に託そう。たとえ命を落とすことになろうとも)


 その瞬間、彼女はただの若き神官ではなく、覇王の覇道に加わる最初の「臣」として位置づけられた。


 こうして覇王の覚醒は、ノイエンの監視役の無力化と、教会改革派との連携という最初の一手をもって始まった。

 だが覇王の覇道は、まだ始まりに過ぎない。


 次なる一手――それは領地経営の要、アルフレッドとの邂逅であった。

 この出会いこそが、ノイエンの未来を決定づけ、覇王の覇道を真に始動させることになる。

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