分かれの極

青山 翠雲

第1話:別れの曲

 「ピアノの詩人」ことフレデリック・ショパンはピアノ曲で名曲・傑作を数多く残したが、Etude Op10-3、通称、「別れの曲」を名曲・傑作の第一に推す声も少なくない。ショパンの何がエグいかというと、この曲もそうであるが、 Etudeエチュード、すなわち「練習曲」に名曲が多いのである。練習曲でありながら、技巧を求められ、名だたる他の作曲家のピアノ曲を押しのけて名曲入りするほどの完成度であり、この曲はとりわけ抒情性の高い、琴線に触れる旋律が聴いた者の心を鷲掴みにして離さない。


 この「別れの曲」は1832年に発表された曲であるが、ショパンが1830年に故郷ポーランドを離れてパリへ移住した際、多くの人々との別れを経験した背景がこの曲に込められているようである。ショパンは弟子にこの曲の指導をしている際に「ああ、私の故国よ」と泣き叫んだという逸話や、ショパン自身が「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないだろう」と語ったとも伝えられている名曲である。ただ、この曲にショパンが直接「別れの曲」と名付けたわけではなく、後の人がそう呼ぶようになったのが一般化している。作曲した時代の背景を考えれば、ただ単に故郷を離れる寂しさだけではなく、「花の都パリ」で音楽家としての大成を目指して旅立ったわけであり、曲の中にもそういった決然とした強い思いも感じられる部分があるため、ただひたすらに「別離を悲しむだけの曲」ではないと思われることは付しておきたい。


 この曲といい、日本における別れや巣立ちの時に謳われる「蛍の光」も同様であるが、いわゆるAuftaktアオフタクト(弱起)の曲と言われる始まり方をする。西洋音楽の特徴として、拍(アクセント)がある。それは各小節の一音目が強く、あとは弱くなるというものである。例を挙げれば、ワルツという舞踏会用の曲があるが、これは通常4分の3拍子で書かれ、4分音符を1拍として1小節に3拍のリズムとなるので、「パン、パンパン/パン、パンパン」もしくは「アン・ドゥ・トロヮ/アン・ドゥ・トロヮ」のリズムで舞踏が繰り広げられていく。これに対して、Auftaktアオフタクト(弱起)の曲というのは、最初の一音にアクセント(強拍)が来ない。厳密に言うと、最初の1小節だけ最後の弱拍の音から始まり、次の完全なる小節の1音目(曲でいうと2音目)にアクセント(強拍)が来る曲のことを言う。


 みなさん、ご存知の「蛍の光」で言うと「ほ ーるの ーかーり、ーどーの ぅーきー」という具合に、「ほたる」の「た」にアクセントがあり、「ほ」はあくまでゆったりと優しく入る曲調であることが口ずさんでみれば思い起こされることであろう。つまり、西洋音楽の指揮法に則れば、強拍(アクセント)があるところで、指揮棒(タクト)を振り下ろすわけであるが、AuftaktのAufはドイツ語でいう英語のUpであるからして、「タクトを(優しく)振り上げる」わけである。「ほ」で優しく振り上げて、「た」で振り下ろすから、Auftakt(弱起)の曲というわけだ。この拍をずらす効果により、「蛍の光」も「別れの曲」も、劇的になんとも言えず柔らかく、また、切ない導入となるのである。


 なぜ、ショパンの「別れの曲」をこんなにも熱く語り始めたかというと、カクヨムで小説等を執筆するにあたり、まずは、自分の心の裡の洞察と省察を深めるわけであるが、この50代という人生折り返し地点のなんとも言えない難しいまさにターニングポイントを迎え、人生の機微というもの深く内省することで感傷的になったというか、心の受容体が敏感になっているのだろうか、やたらと急にショパンの「別れの曲」が、新たな境地へと踏み出す曲でもあろうこの曲が無情にも戦地へと巻き込まれてしまったウクライナの地から、日本語が一言も分からない中、はるばる異国の地である日本へと渡ってきた大相撲 安青錦が優勝した姿を見て、胸に沁みるようになってきたのである。幸いこの曲はゆったりとした旋律であるため、「ひょっとして自分にも弾けるのではないか?」という甘い期待も抱かせるところもあり、急に心の中でクローズアップされてきた、というのが偽らざるところである。後日談であるが、最初の数小節チャレンジしてみたがやはり難しく、途中の難所を考えると、やはり、私にはこの曲にチャレンジする前にまだまだ取り組むべき曲が他にあるということが身につまされるように思い知らされてしまった。でも、いつか挑戦してみたいと思っている。


 カクヨムコン11の開催があと1週間後と迫った祝日のある日、私はもう十分に作品は書いたし、午前中のアッシー君の役目も終えたので、午後は天気もいいし、お金をかけずに近所を軽くジョギングも交えながら、ダイエットのためにエクササイズ・ウォーキングでもしてこようと、意気軒高に出掛けようとしていた。


 上下を汗をかいてもよい臙脂えんじ色の半袖半ズボンを来て、いざ、外出しようとしたところ、娘から「ゲッ!そんな恰好で行くの!?もし、そんな恰好で運動に出て脱糞でもしたら、どうすんのさ?!」と見送りにしては最左翼の発言をする。


 「バカ、そんなことになるわけないだろう。そうならないように、ちゃんとさっきお腹を軽くしてるんだよ。見よ、地球は丸くとも、父のこのフラットなお腹を!まぁ、仮にだな、こんな奇天烈な色の服で脱糞などしようものなら、そりゃ誰も助けんだろうから、助からんだろうな。じゃあ、行ってくるよ。鍵は持ったから、ママと出掛けるのなら、くれぐれも気をつけてな。」そう言い残して出掛けたのであるが、気を付けるべきは、かく言う「私」だったのである。

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