推し活で過労死した俺が、ウサギのケモになって輪廻転生した件。働くのが嫌なので、好き放題できる盗賊になりました。

のも

第1話 出逢っちゃいました

ジメッとした重い空気をまとう六月の昼下がり、正午を回った頃。


俺は冷房の温度が低すぎるベッドの上で、スマホ片手に意味のない低音の洋楽を聴き流しながら、SNS「BX」を指一本で惰性でスクロールしていた。全身が鉛のように重く、このまま夕方まで溶けていたい。そんな怠惰な時間だった。


その瞬間、俺の意識を嘲笑うかのように画面に突如表示されたとある『推し』と、俺は抗いようのない運命的な出逢いをしてしまった。


「なんっっっっっっっっっっっっっっっなの!? 」


勢いよく起き上がったせいで、ごはぁ、と肺から空気が抜けるような変な声が出た。やばい、思いっきり咽せた。


――その存在は、あまりに完璧だった。


まるで夜明けの雪原を切り取ったかのような、光沢を帯びた、触れたら溶けてしまいそうなふさふさの毛並み。透き通るような落ち着いた白色の肌(…いや、神々しい毛皮というべきか?)のトーン。


くるりと縁取られた、人形のように甘い可愛い宝石、ルビーのような赤い瞳。その輝きに、ワイは自分の魂を吸い込まれるのを感じた。時折ピクリと震える、垂れ下がった大きな耳。その仕草一つで、俺の生命線は完全に握られた。


ダメだ、これは。脳の理性が警鐘を鳴らすより早く、感情が全てを肯定している。この世にこんなにも罪深くて可愛い存在が許されていいのか?


理屈も、倫理も、全部どうでもいい。俺も、あのフサフサの毛並みと、ルビーの瞳を持つ、完璧なウサケモに転生したい。いますぐに!


この瞬間、俺は「ウサケモ」という深淵への扉を完全に開けてしまったのだ。 もう、後戻りはできない。そして、後戻りなど、したくもない。


これが俺の推しだ。そして、これが俺の運命だ。 俺の惰性で生きてきた人生は、この一瞬で価値を反転させた。


その日から、俺は狂ったように働き始めた。


理由は単純明快だ。推しの存在は、金。とにかく金を食う。グッズ、イベント、オンラインサロン、そしてケモの世界に投資するための準備資金!俺の薄給では、その神聖な活動費を賄いきれないことが明確になったからだ。


「おーい、ちょっといいか」


入社以来、ほとんど会話をしたことがなかった部長が、珍しく深刻な顔でワイのデスクにやってきた。


「はい、部長。なんでしょうか」


よし、追加業務だ。残業代を稼ぐチャンスになる。この間隔を部長が嫌がる前に、さっさと話を終わらせよう。


部長は周囲を気にするように一度目を泳がせ、低い声で言った。


「単刀直入にいうと、君の働きぶりにたいして、ちょっと詰問があってな。その…、今月は既に規定ギリギリだろう?しかも、土日も勝手に出勤してるだろ。どうしたんだ、急に。何か借金でも――個人的な、なにかトラブルか?」


俺は前のめりになり、興奮を抑えきれないトーンで即答した。


「ご心配なく、部長! 借金なんてしていません。 なんでしょう、目標ができたんです」


俺は力強く言い切った。目標とは、推しのグッズ全制覇であり、そしてウサケモに癒されることだ。


部長は、額の汗を拭いながら、完全に引き気味の声で続けた。


「目標?……それはいいが、身体を壊したら元も子もないだろう。来週は強制的に休みを取れ。これは命令だ」


俺は思わず立ち上がりそうになり、必死に声を落とした。


「強制休暇ですか…… それは、ちょっと いや、かなり困ります。まだ、今週中に終わらせたい業務が山ほどあるんですよ、ホントに!もし、本当に俺を休ませたいなら、俺の給料を倍にしてください。 そしたら、一週間休みます」


(給料が上がれば推し活が捗る。これは交渉による実質的な勝利だ。)


部長は、俺の返答に呆然として、無言で何度も頷いた後、そのままデスクに戻っていった。隣の席の同僚にも「頼むから休んでくれ、見てるこっちが怖いんだよ」と真顔で言われたが、そんな忠告は聞く耳を持たない。労働は推しへの奉仕であり、聖戦なのだ。


俺は睡眠時間さえ惜しんで、あらゆるウサケモのイラストやグッズを、お金が許す限り集め続けた。


この先、世界がどうなろうと知ったことか。 全ては、このウサケモのためにある。 生きる目的、呼吸する理由、すべてが更新された。俺の人生は、あの日から、あの画面から、真に始まったのだ。


……と、仕事も推し活も極限まで突き詰め、鼻息荒く宣言したのはいいが。


だが、徹夜が続いた肉体は、精神とは裏腹に限界の悲鳴を上げていた。 情報収集と興奮によるアドレナリンの異常放出が終わり、その反動で鉛のような疲労が全身を襲ってきた。 目の奥が熱くなり、急激な睡魔が脳の制御を奪い始める。


俺の脳は、もはや新しい「推し」の情報を処理しきれない。「オーバーヒート」ではなく、強制シャットダウンに入ったのだ。


週末の夜九時ごろ俺はデスクの椅子に座ったまま、 画面に映るウサケモの顔の上にガクッと頭を落とした。 意識が途切れる直前、ルビーの瞳だけが鮮明に見えた気がした。 スマホを握りしめた手が脱力し、机の角に当たった衝撃すら感じないまま、俺は意識を手放した。

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