第9話:WK記録:ログ改ざんと自己欺瞞(クライアントとの距離)


オフィスチェアに座る私の上半身は、財団との定例通信に耐えうるよう、襟付きのシャツとネクタイで武装している。

だが、デスクの下は耐熱素材のスラックスと、緊急時の冷却パッチを仕込んだベルトだけだ。


今日は、サイト管理ディレクター(偽装会議の相手)との通信日。

議題はCode-893が引き起こしている札幌エリアの空間歪曲率について。

そして、私のWKとしての管理能力の査定だ。


「工藤です。お世話になります」


通信を接続し、表面上は業務の報告を始める。

しかし、私の足元には、ハグミという名のKeterオブジェクトが潜り込んでいた。


「慧吾、お仕事頑張って!」


彼女はそう無邪気に囁きながら、私のズボン越しに太ももをそっと抱きしめた。

その瞬間に、皮膚に微かな熱が走る。

WKログ記録:熱量38.1℃。許容範囲を僅かに超える。

私はポーカーフェイスを保ちながらも、内心で舌打ちした。

彼女にとっての「応援」は、私にとっての「過負荷」なのだ。


「……ッ、ごほっ!」


報告中に不自然な咳払いをしたのは、彼女の体温がジワジワと皮膚を蝕み始めているのを感じたからだ。

痛覚の閾値が下がり始めている。


その時、ハグミがくしゃみを我慢しようとして、口元から「ふぅ、んっ……ふぅ」という吐息を漏らした。

それは通信越しに、ディレクターの耳に届いた。


『工藤くん、今の吸気音は何だ? 部屋に『何か』いるのか?』


ディレクターの声は厳しく、追及の色が強い。

ここで「収容オブジェクトが近くにいる」と報告すれば、私の報告書は虚偽と見なされ、即座に**WK任務の解除、そしてオブジェクトの廃棄(リセット)**に繋がる。


私は一瞬で決断した。


「い、いえ! PCのファンの異音です!熱暴走がひどくて!」


冷や汗が背中に伝う。

嘘だ。この嘘は、財団のログに永遠に残る。

私は今、任務のために用意されたシステムを、私的な感情(ハグミへの情)と自己保身(WK任務の継続)のために改ざんした。


『ふむ……艶っぽいファン音だな。すぐに冷却するよう』


通信が再開される。

私は心の中で「すまない、ハグミ。君を機械扱いした」と謝罪した。


しかし、私の犠牲的ともいえる防衛が、ハグミの純粋な「愛の熱量」をさらに高めてしまった。


「慧吾、私をかばってくれたんだね……! 大好き!」


ハグミは私の太ももに頬をすり寄せ、感謝の印として、ズボンの布地越しに、ちゅ、とキスを落とした。


その熱は、臨界点を超えた。

熱量:40.5℃。緊急警告!


「!!!」


私は悲鳴を抑え、椅子ごと跳ね上がった。

右足の太ももに、耐熱スラックスが溶ける嫌な感触が伝わる。

熱さに耐えきれず、私は天板を蹴り上げ、デスク全体が激しく揺れた。


WKログ記録:熱暴走。皮膚組織に軽度の損傷を確認。


「すみません、機材が倒れまして」と必死に通信を繋ぎ、私はハグミの口を塞ぎ、耳元で懇願した。


「……あとで、たっぷり……してやるから。今は静かにしてろ……頼む……」


彼女はこれを「情熱的な告白」と受け止めた。

だが、本当は「すぐにキス以上の冷却措置(ハグ)をしなければ、お前も俺も、この部屋ももたない」という命懸けの懇願だ。


第2.2セクション:クラウドという名の虚無

通信を終えた後、私は急いでバスルームへ向かい、服を脱いだ。

太ももの内側は、直径5センチほどの範囲が赤く爛れていた。

冷却パッチを貼ると、ジンジンとした痛みが走る。


シャワーを浴びて応急処置をしている間、ハグミは部屋をうろつき始めた。

私が戻ると、彼女は泣き出しそうな顔で私を見上げた。


「慧吾、どうして私たちの写真がないの? 思い出がないの?」


この問いは、私の心臓にダイレクトに突き刺さった。

そうだ。彼女の過去は、3ヶ月前の発見以前、存在しない。

この部屋は「収容セル」であり、「愛の巣」ではない。


彼女の不安は、そのまま熱量に変換され、室温が急激に上昇し始めている。

ここで「君に過去はない」と告げることは、即座に制御不能な熱暴走(メルトダウン)を意味する。


私はタオルを放り出し、彼女を抱きしめることで熱量を安定させながら、頭の中で最も有効な「嘘」を構築した。


「全部、クラウドにある」


「空にあるの?」と目を輝かせる彼女に、私は冷や汗を流しながらも、プログラマーらしい言葉で最もロマンチックな嘘を教え込んだ。


「ああ。物理的なモノは、いつか壊れてしまう。

だから、俺たちの思い出は全て、財団のデータサーバー(クラウド)に安全に保管してある。空に溶けて、どこからでもアクセスできる、壊れない場所だ」


ハグミはこれを「壮大な愛の告白」として受け止め、熱量が安定した。


私は、愛する彼女の「存在しない過去」を、私たちが「監視されているデータ」であるという真実でロマンチックに偽装した。

これ以上の自己欺瞞はない。


その夜、彼女が眠りについた後、私は業務日誌に静かにログを記録した。


WK業務日誌(ログ・アナリシス)


時刻: 01:20 事象: Code-893に対し、過去情報の虚偽報告(プロトコル:Cloud Deception)を適用。

熱暴走を回避。

損害: WK皮膚組織に2度の火傷。

精神的ストレスは限界点を超過。

所見: オブジェクトの愛着がWKの命綱となっているが、同時にWKがオブジェクトに対して「情」を抱き始めている事実が、最大の収容リスクである。

ハグミの寝言「他人になんてさせない」は、WKの覚悟を試すトリガーであると判断。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る