「男たちは孤独で、私は金がない。だから今夜も、チャイムを鳴らす。」**

志乃原七海

第1話『現代・闇タクハツ』

短編小説『現代・闇タクハツ』


「ふむ、ポチッと。年齢25歳女性、住所、岐阜っと……」


ワンルームのアパート。深夜のテンションと金欠が、私の親指を動かしていた。

画面に踊る『即金』『未経験歓迎』の文字。怪しい。どう見ても怪しいが、今の私には背に腹は代えられない。


**ポロリーン♪**


スマホから間の抜けたファンファーレが鳴り響く。


《ご登録ありがとうございます! 高リスク高リターン、当日払いの! 夢の派遣業務へようこそ!》


画面いっぱいに極彩色の文字が点滅する。私は眉をひそめた。


「いや、風俗は、やだよ?」


独り言をつぶやいた、その瞬間だった。


**チッチッち。**


スマホのスピーカーから、舌打ちと指を振る音が聞こえた気がした。いや、聞こえた。


「またか? その安直な思考回路」


画面が切り替わる。そこに現れたのは、昭和の深夜番組か、はたまた三流AVの司会進行役のような、派手なスーツを着たお姉さんだった。巻き髪、濃いアイシャドウ、そして無駄にテカるリップ。


「あ、あの……?」

「ノンノン。うちはそんな前時代的な『肉体労働』は斡旋しないのよ、岐阜のハルカちゃん」


お姉さんは画面越しにビシッと指を差してくる。


「今回、あなたに紹介するのは、一人暮らしの男性のアパート、マンションを巡る**『タクハツ』**業務!」


「タクハツ……って、あのお坊さんの?」

「そう! 漢字で書けば『托鉢』。本来は家々を巡り、経を唱えて施しを受ける修行。でも、令和の現代、お経なんて誰も聞かないわよね?」


お姉さんはウィンクをする。バチコン、と音がしそうだ。


「だから、現代風にアレンジしました。ターゲットは、孤独を抱える独身男性たち。彼らの玄関先に立ち、ある『マントラ』を唱えるだけ。ノルマはもちろんありますが、達成すれば日給5万円。どう?」


5万。

岐阜の片隅でくすぶる私にとって、それは家賃1ヶ月分以上の輝きだった。


「……やります。で、何をすれば?」


「簡単よ。アプリ『Hi-BOWL』をインストールして。あとは地図に表示された家のチャイムを鳴らし、ドアが開いたら、このQRコードをかざして一言」


お姉さんはニヤリと笑った。


「『あなたの余分な業(カルマ)、引き取ります』って言うの」


***


指定されたのは、駅から徒歩15分の微妙な住宅街だった。

服装指定は「地味な私服に、この黄色い腕章」。腕章には『精神衛生管理・委託業者』と書かれている。怪しさ満点だ。


スマホの地図が、一軒の古びたアパート「メゾン・ド・鬱」みたいな名前の建物を指している。

ターゲットは203号室。


(本当に大丈夫なの、これ……)


私は深呼吸をして、チャイムを鳴らした。ピンポーン。


しばらくして、ドアがガチャリと開く。

出てきたのは、無精髭を生やし、目が死んでいるジャージ姿の男だった。部屋の奥からはカップ麺の匂いと、青白いPCの光が漏れている。


「……なに?」

「あ、あの! ……た、たくはつ業務で参りました!」


私は震える手でスマホのQRコードを突き出した。


「あ、あなたの余分な業(カルマ)、引き取ります!」


怒鳴られるかと思った。あるいはドアを叩きつけられるか。

しかし、男の反応は違った。


「……ああ、業者か。待ってたよ」


男は死んだ目のまま、自分のスマホを取り出し、私のQRコードを読み込んだ。


**ピロリン♪**

私のスマホが震える。

《カルマ受領:300ポイント》


「ふぅ……」

男が、憑き物が落ちたように深く息を吐いた。その顔色が、見る見るうちに良くなっていく。さっきまでの淀んだ空気が消え、背筋が伸びた。


「助かったよ。今週、ネットで炎上しててさ。重くて仕方なかったんだ」

「え?」

「じゃ、また頼むよ」


バタン。ドアが閉まる。


私は呆然と立ち尽くした。

スマホを確認する。アプリ上の『集金残高』ならぬ『集業残高』が増えている。


「……お金をもらうんじゃなくて、彼らのストレスとか罪悪感を、データとして引き取るってこと?」


次の家は、高級マンションだった。

出てきたのはエリートそうなスーツの男。

「不倫の罪悪感が抜けなくてねぇ。はい、スキャンして」

**ピロリン♪** 《カルマ受領:5000ポイント》

男は爽やかな笑顔で夜の街へ消えていった。


その次は、引きこもりの青年。

「親への申し訳なさが……」

**ピロリン♪** 《カルマ受領:1200ポイント》


私は次々とアパートを巡った。

感謝される。とにかく感謝されるのだ。彼らは「心のゴミ」を私に押し付け、スッキリして日常に戻っていく。

肉体関係なんてない。ただ、デジタルに「業」を引き取るだけ。


「ちょろい。これ、天職かも」


ノルマである10,000ポイントがあっという間に溜まった。

日給5万円確定だ。


***


帰り道、私はコンビニでおにぎりを買おうと立ち寄った。

足取りは軽い。こんなに簡単に稼げるなんて。


おにぎりを手に取り、レジへ向かう。

その時だった。


「……ッ!?」


急に、猛烈な吐き気が私を襲った。

視界が歪む。胃の奥から、どす黒い感情がせり上がってくる。


『あいつムカつく』

『バレなきゃいいんだよ』

『死にたい』

『もうどうでもいい』


他人の声が、頭の中に直接響く。

さっき会った男たちの顔がフラッシュバックする。


「う、ぐ……!」


私はその場にうずくまった。

スマホが**ポロリーン♪**と鳴る。

あのAV司会風のお姉さんが画面に現れた。


「お疲れ様ハルカちゃん! ノルマ達成おめでとう!」

「な、なにこれ……気分が、悪い……」

「あら、説明しなかったっけ? 『高リスク』って」


お姉さんはチッチッチ、と指を振る。


「彼らの業(カルマ)を引き取ったんだもの。デジタルデータとしてサーバに送るまでの間、一時保存(キャッシュ)されるのは、**あなたの精神(メモリ)**よ」


「は……?」


「引き受けた分の『鬱屈』や『罪悪感』は、一晩かけてあなたの脳内で処理されるわ。五万円は、その精神的苦痛への対価。まあ、二日酔いの酷い版だと思って耐えてね!」


「ふざけ……んな……!」


「じゃ、明日の予約も入れとくわね! 岐阜の男性たちは、まだまだ救いを求めてるから!」


プツン。画面が消える。


私はコンビニの床で、見知らぬ男の「不倫の罪悪感」と「ネット炎上のイライラ」に同時に苛まれながら、涙目で震えた。


確かに風俗じゃなかった。

でも、これはこれで、魂が汚れる音がした。


(……でも、5万か……)


薄れゆく意識の中で、私は明日のシフトを確認していた。

これが、現代の闇託鉢。

私の修行は、まだ始まったばかりらしい。

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