第42話
「神村くんは勉強熱心なのに、なんで敦賀高校に入ったの? 武生とか、高志、藤島にも行けたんじゃない?」
香奈さんは嵐山さんの席で英単語帳を流し読みしながら聞いてくる。この前、気にせず仲良くしようと言われたころから、名前呼びではなく、苗字呼びに戻った。そっちの方が安心できるけれど、どこかまた距離が開いてしまったような気がする。
「そこまで頭がよくないよ。それに、自分でもここまで真面目に勉強できると思っていなかった」
中学のころは部活ばかりで、勉強は二の次だった。部活動を引退した後、ようやく勉強し始めて、本当に運よくこの学科に入れたし……。落ちたら普通科か、敦賀工業高校の二次募集を受け直すつもりでいた。
「香奈さんがいたから……、勉強が楽しいって思えるようになったんだよ」
「ふ、ふぅーん。じゃあ、もっと感謝してもらってもいいよ」
香奈さんは英単語帳で口もとを隠し、そっぽを向く。脚を組み、太ももの下のラインがチラリと見える。今日は体操服を履いていないらしい。
最近、気温がどんどん高くなり、まだ五月なのに夏かと思う日が多々ある。熱が籠りやすいスカートに短パンを履いていられないのかも。
「感謝しているよ……、ありがとう」
「ど、どういたしまして」
少々ギクシャクした会話。前より、関係が複雑になっている影響もある。
「中間試験が終わったら、神村くん、柔道部に入ったら」
「え……?」
「いや、ほら、勉強だけで高校生活が終わっちゃうのももったいないでしょ。い、今なら、超絶可愛らしいマネージャーも一緒に入ってくれるかもしれないよ……」
超絶可愛らしいマネージャーとは誰ぞ、と思いながらも、彼女の言いたいこともわかる。
せっかくの高校生活を勉強だけで潰していいのだろうか。東京大学とか、京都大学とか、凄く難しい大学に入るのが目的なら、勉強一筋でも構わないと思う。でも、僕はそこを目指しているわけじゃない。やることがないから勉強しているだけ……。
「柔道部じゃなくてもいいよ。弓道部でも、写真部でも、合唱部でも、挑戦してみたいと思った部活があれば、私も一緒に飛び込んであげる」
そう言って微笑んだ彼女の顔は、西から差し込む夕日のオレンジに照らされた。耳に髪を掛ける姿は凄く大人びて見える。
「一人で飛び込むより、二人で飛び込んだ方が、気持ちは楽でしょ?」
――不思議だな。星野さんと同じ人なのに、全然同じに見えない。見た目もそうだけど、ずっと明るくなっている。両親が離婚したら、普通悲しいもんじゃないの?
僕の父親と母親が離婚してしまったら、香奈さんと同じように笑える気がしない。気になるけれど、彼女の両親について聞くのは無神経すぎる。彼女の明るさが演技かもしれない。男の僕からしたら彼女の表面しかわからない。
香奈さんも僕の考えていることがわからないよな……。言葉にしないと伝わらないことの方が多い。以心伝心など、熟練夫婦か双子くらいにならないと難しい。
彼女の存在を知ったのは三年前だけれど、ちゃんと話す仲になったのはほんの一ヶ月前だ。そりゃあ、通じ合えるわけがない。
「僕のことは気にしないで、香奈さんが入りたい部活に入ったらいいよ。今なら、同級生から部活の内容を聞けるし、いい部活に入りやすいんじゃないかな……」
「……神村くんのおバカ」
ぼそぼそとした小さな声で、ほとんど聞き取れなかった。でも、何となくがっかりされたのはわかる。
香奈さんは頭がいいからどんな部活に入っても高校生活を十分満喫できるはずだ。
僕は要領が悪いから、部活に入ったら勉強がおろそかになって大学受験で苦労する……という言い訳を頭の中で呟く。挑戦から目を背けた。
吹奏楽部の楽器の音が、校舎を震わせるように鳴り響く。普段は聞こえない時計の秒針の音が小うるさい。
二人きりの教室は、いつもの騒々しい人込みと無縁で、しんと静まり返っている。シャープペンの金具に反射する西日が眩しい。
そろそろ、カーテンを閉めないと何もかもオレンジ色に染まりそうだ。でも、お尻が椅子に張り付いたようで、立ち上がれない。立ち上がって動き回れる雰囲気ではなかった。
水筒に手を伸ばす。お茶で喉を潤そうとするがすでに水稲の中身は空っぽ。乾いた喉に粘度の高い唾を無理やり通す。
「の、飲み物、買ってくる……」
席を立ち、息苦しい教室から逃げるように廊下に出た。階段を降りて生徒玄関近くにある自動販売機の前に立つ。
ダイドウの自販機か、コカコーラの自販機か。コーヒーか、甘いジュースか、何なら天然水か。無駄に迷っている。前はさっさと選んで、少しでも長く香奈さんと一緒にいようとしていたのに……。
今は少しでも長く迷って放課後が速く過ぎればと、思った。
「神村、なに突っ立ってんだよ。早くしろよ」
僕が自販機の前で突っ立っていると、背後から楽間さんの声が聞こえた。彼女も飲み物を買いに来たようだ。僕が突っ立っていた前の自販機に彼女の目的の飲み物があるらしい。
さっとどいて、彼女に先を譲る。
なにを買うかと思ったら、なっちゃんのリンゴジュースだった。可愛らしい。
「な、悩みがあるなら、うちが聞いてやらんこともないが……」
楽間さんはリンゴジュースを取り出し、視線を合わせずに僕の横を通り過ぎた。
「今、悩んでいるのは、どの飲み物で喉を潤そうかと……」
「はっ、くっだらね」
楽間さんは階段に向った。
「喉を潤したいだけなら、水道水でも飲んでろよ」
ごもっとも……。別に、わざわざ飲み物を買う必要はない。僕は香奈さんから距離をとるためだけに、ここにいる。
「楽間さんは大塚文雄さんが、プリキュアの声優になったらどう思う?」
「ぶぅーっ!」
楽間さんは口に含んでいたリンゴジュースを勢いよく吹き出した。
「な、なんだよ、いきなり、笑わせんなよ」
「たとえの話だよ。好きな人が気づかないくらい全く別人になってたら……、その人は好きな人と同じなのかな。外見も中身も変わってたら、それはもう別人なんじゃないかって思って」
「んー、まあ、ギャップが違い過ぎて違和感がすごいかもしれないけど、うちは新たな一面が見られてラッキーって思うけどな」
「ラ、ラッキー?」
「もちろん、キャラに合っていないから無理って思う人もいるだろうし、むしろ今まで嫌いだったけど好きになる人もいるかもしれない。感じ方は人それぞれだろ」
「確かに、人それぞれだね……。でも、相手が好きな人だったらさ、変わってほしくなかったとか、変わる必要なかったのにって思わない?」
「人間は変わる生き物だ。一生同じ花しか咲かせられない植物じゃねえ。変わるなっていう方が無理な話なんだよ」
楽間さんが妙に大人びて見える。まだ一五歳なのに、やけに大人っぽい考え方。達観しているんだな。飲んでいるのはコーヒーじゃなくてリンゴジュースだけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます